劇場公開日 2017年6月10日

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アイム・ノット・シリアルキラー : 映画評論・批評

2017年5月30日更新

2017年6月10日より新宿シネマカリテほかにてロードショー

正常と狂気の境目、その危うい心の揺らぎを視覚化した思春期スリラー

いつもはのどかな地元の町で猟奇的な連続殺人事件が発生したなどというニュースを聞いて、それを歓迎する住民などいるわけがない。ところが16歳の高校生ジョンは大喜びだ。なぜならカウンセラーにソシオパス(社会病質者)と診断されている問題児の彼は、三度のメシより血生臭い出来事が好きで、密かに人を殺してみたいとさえ思っているからだ。シリアルキラーの凶行を描いた映画は枚挙にいとまがないが、このような“殺人鬼予備軍”の少年を主人公にした本作は、類似作品がやすやすとは思いつかない独創的なサイコ・スリラーに仕上がっている。

シリアルキラーの素性は、前半のうちに呆気なくも意外な形で判明する。偶然にも衝撃的な殺人現場の目撃者となったジョンは警察に通報せず、素人探偵さながらに身近に潜む犯人の行動をマークしていく。ジョンの視線を模した主観ショットを多用し、尾行、監視、覗きを映像化したシークエンスが秀逸で、ただならぬ好奇心と恐怖が入り混じった少年の危うい心の揺らぎが、観ているこちらの胸までもざわめかせる。シリアルキラーへの果敢な接近を試みてはとって返すその微妙な距離感は、まさしく正常と狂気の境目に陥ったジョンの葛藤そのものだ。しかもその境界は、自分も殺人鬼へと道を踏み外すか、この世界に踏みとどまるかという彼の人生を左右する重大な分岐点でもある。

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ハロウィンからクリスマスへの季節の移ろいを切り取ったこの極寒のスモールタウン・ムービーは、16ミリフィルムの粗い質感と田舎町に漂う侘しい詩情が絶妙にマッチしている。さらに、親が営む葬儀屋で遺体の血抜きや防腐処理を手伝っているジョンの日常描写にも、細部まで作り手のこだわりが感じられ、このうえなく繊細な思春期ドラマの側面も持つ。そんな視点に立てば、本作を少年が大人になるための通過儀礼の物語と解釈することも可能だが、こうしたもっともらしい理屈づけは、後半のあまりにも異常な展開によって軽々と吹っ飛ばされる。さすがのソシオパス少年も唖然とせずにいられないシリアルキラーの“本当の正体”が明らかになったとき、映画は観客の困惑などお構いなしに別次元のどす黒いクライマックスへとなだれ込んでいくのだ。

高橋諭治

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