静かなる叫びのレビュー・感想・評価
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工夫された映像の組み立ては気に入ったのだが、監督が何を語ろうとしていたのかを掴めなかった
ドゥニ・ビルヌーブ監督による2009年製作(77分)のカナダ映画
原題:Polytechnique、配給:アットエンタテインメント、劇場公開日:2017年1月14日。
時間が少し入り乱れた見せ方をしていて、謎だったものが後で明かされる展開(男子学生セバスチャン・ユベルドーが見たあの廊下の血痕は、女子大生カリーナ・バナッスが助けを求めて動いたからだった)となっていて、興味深かったし上手い映像構成とは思った。
ただ大学のそこに居た、そして女性であるだけで撃ち殺されるなんて、なんて理不尽な、犯人は極悪非道な人間に思え、そう描きがちと思うのだが、その様には描いていないことには、大きく驚かされた。
とても孤独な存在だが、親に申し訳ないと手紙を書く、ごくごく普通に見える青年(演じたのはマキシム・ゴーデッド)。そんな人間が、あんな信じられない様な酷い大量殺人事件を起こしてしまうことに、人間の心の闇の深淵を感じてしまった。
犯人は銃で頭をぶち抜き自殺するのだが、床に倒れて流れる彼の血が、彼が殺した女子大生から流れ出る血と合流し一つとなる。この表現、死によって彼の孤独が解消された様にも見えて、この演出をするビルヌーブ監督、表現至上主義というか凄えとは思わされた。この映像を撮るために、白黒映画にしたのか!とも。
この大きな事件で心に大きな傷害を受けた姿も描かれていた。事件時に何とかしようとかけずり回った男子学生ユベルドーは女性たちを助けられなかったことをずっと悔やみ、母親の元を久しぶりに訪ねた後、車内に排気ガスを流し込み自殺してしまう。
一方、親友を亡くしたが、生き残った女子学生バナッスも、繰り返し悪夢として事件を思い出す。ただ彼女は希望だった航空機設計に携われた様で、恋人もいる様で妊娠し出産する。彼女も生きるのがとても辛かった様だが、母になったせいか生き抜く決心を出来た様。
台詞に頼らず映像の組み立てで見せていく演出は素晴らしいと思った。ただ、脚本も兼ねるビルヌーブ監督がこの映画で何を語ろうとしているかは、2回見たが、自分には十分に掴みきれなかった。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作ドン・カーモディ 、マキシム・レミラール、製作総指揮ジュリアン・レミラール、アンドレ・ルーロー、脚本ジャック・ダビッド、 ドゥニ・ビルヌーブ、撮影ピエール・ギル、編集リチャード・コモー、音楽ブノワ・シャレスト。
出演
マキシム・ゴーデット、セバスティアン・ユベルドー、カリーヌ・バナッス、エブリーヌ・ブロシュ、ジョアンヌ=マリー・トランブレ、ピエール=イブ・カルディナル。
実話再現ドラマ
1989年12月6日にモントリオール理工科大学で起きた銃乱射事件の再現ドラマ、犯人はマルク・レピーヌ(25歳)、フランス系カナダ人の母親とアルジェリア人の父親の間に生まれた移民の子、大学受験に失敗した原因は理工学部を目指す女子学生が増えたからと思い込み
罪のない女子学生に逆恨みの銃弾を浴びせたという、あまりにも身勝手で非道な行い。
助かったもののPTSDに病み恋人を守れなかったフランソワは自殺、友人を失ったヴァレリーもトラウマを抱え辛い人生を歩んでいる・・。
ただ、犯人よりフランソワの方が髭面で胡散臭く鬱々とした暮らしぶりを見せつけるのでこいつが何かしでかすのかと早合点してしまった。
カナダのアカデミー賞とも言われるジニー賞を受賞しているのだが、犯人の生い立ちや動機の背景などを描いてもおらず、被害者も苦しむ様子を追うだけなので社会派ドラマとしては人物描写が浅く物足りない、銃撃シーンはたっぷりで、ことさらに恐怖感を煽っており、ある種、新手のホラー映画のようにも思えました。
【モノクロームの世界で、反フェミニスト思想の男が起こした事と、生き残った学生のトラウマをドキュメンタリータッチで描く。尋常でない緊張と、モノクロの画が印象的な哀しき作品。】
ー ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、カナダを拠点に創作活動をしていた時代の作品である。
哀しき作品であるが、何故かモノクロームの映像(特に後半の誰もいない通路のシーン。)が印象的である。ー
◆感想<Caution !内容に触れています。>
・反フェミニスト思想の若き男が、思いつめた表情で、呟くモノローグが恐ろしいが、何故、彼がそのような思想により、凶行に走ったのかは描かれていない。
監督は、敢えて描かなかったのだろうと推測する。
何故なら、同じ思想を持つ模倣犯が出てくる可能性があるからだ。
・それにより、この作品はモンスターと化した、女性をターゲットにした犯人の理不尽な凶行の恐ろしさを倍加させている。
・劇中、凶行前に学内に掲げられたピカソの「ゲルニカ」が映しだされ、男子学生フランソワがその前に佇むワンショットが、その後の凶行を予想させる。
・哀しいのは、犯人が教師室に乱入し、男女を分け、犯人から男は出ていけと言われた際に、フランソワが躊躇いながら部屋を出て、学内で負傷した女学生たちを助けながら、再び教室に戻り、多数の女学生の死体を目にし嗚咽する姿と、その後、雪の中、母親に会いに行き、強く抱きしめた後、排ガス自殺をするシーンである。
- 正義感溢れる彼の行動と、それ故に同級生の女性を助けられなかった悔いから、衝動的に自ら命を絶ったのだろうか・・。-
<辛うじて生き残った女学生ヴァレリーが新たな道を進む姿に、辛うじて救われた気持ちになる。
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が静かなトーンで、狂気的思想に取付かれた男の凶行を激しい怒りを抑制して製作した作品。
エンドロールで事件で亡くなった女子学生たちの名前が流れるシーンは哀しい。
何故に、銃乱射事件は亡くならないのか、何故に、ある種の人達は思い込みで罪なき人々を巻き込んで、命を絶つのか。
どうしても、分からない・・。
映画としては、モノクロームの抑制した映像の使い方に、後年のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映像センスの萌芽を感じさせる作品である。>
モノクロ
1989年に起きたモントリオール理工科大学虐殺事件を元にした映画。
なぜモノクロ映画なのか?は観るとわかる。カラーでは無理だ。生々しくて残虐すぎて。血が赤ではなく黒の世界だからこそギリギリ上映できる。
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実際の虐殺事件を題材にした映画にガス・ヴァン・サント監督『エレファント』があるが、それと違うのは、本作『静かなる叫び』が、事件が何故起きたのか?よりも、生き残った人々のその後に重点が置かれている点だと思う。
事件は吐気を催すほどショッキングだが、映画の中で私が一番呆然としたのは、事件を目撃した青年フランソワがその後とった行動。その心情が詳しく説明されることはないが、理不尽な破壊を止める事の出来なかった無力感、彼の負った心の傷に打ちのめされる。彼はそうするしかなかったのだという悲しさに打ちのめされる。
加害者は、銃で大勢の女性達の命を奪っただけではなく、残された者の人間性や希望までも深く破壊してしまったようにも思える。
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もう一つ描かれる行動。事件を生き延びた女性バレリーが書いた手紙、その後の行動。出産。
理不尽な悪意は目を背けたくとも存在し、それを正し消し去るにはあまりにも人間は無力だが。そんな世の中に新しい命を生み出すなど恐ろしいことであるが、それでも尚、命を紡ぐ。希望を繋ぐ。
加害者が壊したものをもう一度取り戻すには、誰かを愛し信じ希望を繋ないでいくしかない。
圧倒的な破壊に立ち向かうには、圧倒的な希望しかない。決意の映画だと思った。
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追記:監督・脚本ドゥニ・ヴィルヌーヴ。
フランス語の脚本。ラストの手紙。命を繋ぐということは赦しであり希望であり、無情な世界への闘いでもある…。
ヴィルヌーヴ監督の『灼熱の魂』と形態・テーマともに非常に近い作品であったなと思う。
このあと『メッセージ』『ブレードランナー 2049』と話題作が続くヴィルヌーヴ監督、非常に公開が待ち遠しい。
追記2:ヴィルヌーヴ監督作はどれもカメラが素晴らしい。フランソワの心情を映したような空撮シーン。忘れられない。
魂に塩を塗られたようなヒリヒリ感
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の2009年作品。
1989年12月、カナダのモントリオール理工科大学で起こった銃乱射事件を、人物に変更を加えての映画化で、主に3人の登場人物を中心に描いていきます。
ひとりは、理工科大学の女子学生ヴァレリー(カリーヌ・ヴァナッス)。
彼女は求職中で、航空機のエンジニアになることが目標。
それは、まだ男性優位の職場で、女性にとっては狭き門。
もうひとりは、ヴァレリーのクラスメイトの男子学生ジャン=フランソワ(セバスティアン・ユベルドー)。
彼にとっては、学校の授業は高度で、なかなかついて行けず、ヴァレリーのノートを借りたりして、しのいでいるような状況。
そして、犯人(マキシム・ゴーデット)。
彼は、自身の不遇な境遇の原因を、女性優遇制度の社会に求め、フェミニスト憎し、それが昂じて、女性憎しとなっている。
そんな彼が、女性を標的に、銃を乱射し、最後には自殺する。
日常の何気ない学校生活が、突然の暴力で破られる。
それを捉えるモノクロ・シネマスコープサイズの画面がヒリヒリする。
ヴィルヌーヴ監督の演出スタイルも、かなりしっかりと固まっている。
静謐といってもいいような、ゆったりと動くカメラと、突然の手持ちカメラの混交。
静と動の対比が効いた演出である。
そして、少々時制を前後させる語り口。
巻頭、学生が集まるコピー室で突然響く銃声。
犯行前の犯人のモノローグ。
ヴァレリーの求職活動の様子。
ジャン=フランソワの学生生活。
そして、乱射事件・・・
乱射事件後の、時制を前後させた描き方も、意表を突かれる。
事件を途中でぶった切って描かれる、事件後のジャン=フランソワの生活。
再び、事件中のヴァレリー。
辛くも生き残る彼女と、ジャン=フランソワが交差するシーンにもハッとさせられる。
そして、犯人の自死。
額を打ち抜いた犯人から流れる血が、隣に斃れている犠牲者女子学生の血だまりが混ざり合うのを、俯瞰で撮ったショット、その印象の鮮烈なこと。
終盤描かれる、事件後のヴァレリーの独白(差し出すことのない、犯人の親へ宛てた手紙の一節)も印象的だ。
「わたしたちは憎悪に縛られている。犯人であるあなたの息子は自死によって、その憎悪から解放されたが、わたしは、いまも、何かに縛られている・・・」
映画の惹句は「あの日のことは今も 私の魂を揺さぶる」であるが、観終わったわたしには、魂に塩を塗られたようなヒリヒリしたものが残っている。
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