「センスのない俺様プロパガンダ映画」グレートウォール 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
センスのない俺様プロパガンダ映画
最近Blu-ray化されたので1つレビューしたい。
この物語の時代背景は宋代らしい。
ちょっと歴史をかじった人間ならこの時代に万里の長城を越えて攻め寄せてくる敵は1つしか思い浮かばない。
後にラストエンペラーで有名な「清」と同じ民族の満州族である。
当時は「女直」とか「女真」と呼ばれていた。
この映画の趣旨は見え透いている。
漢族の古代の妖怪辞典『山海経(せんがいきょう)』に記載されている饕餮(とうてつ)などという怪物に仮託してはいるものの異民族を撃退する国威発揚映画である。
なお筆者は1年半の北京留学中に万里の長城に5回ほど訪れている。
有名な登り口が数カ所あるが、八達嶺はまさに現代になってほぼコンクリートで固められたものだし、一番綺麗な登り口と言われる司馬台ですら後の王朝の明が基礎を作りさらに清代に補強工事されたものである。
そもそも有名な登り口周辺からちょっと外れるとレンガがなくなって土塊が剥き出しで崩落している無惨な光景になっている所も多かった。
地元の住民たちが家を建てる際にちょうどいいやというのでレンガを持って行ってしまうらしい。
(筆者が行った時よりは今は大分整備されているのかもしれない。)
そんなだから宋代の長城がどんなだったかなんて誰も知らない。ただ1つ言えるのは地平線の先まであんなに綺麗な長城は地球上には存在しないということである。
まあフィクションだからそこはしょうがないか。
さて漢族は四方の異民族をかつて「北狄(ほくてき)」「南蛮」「東夷(とうい)」「西戎(せいじゅう)」と呼称した。
5世紀に編纂された『後漢書』には日本のことが記載されているのだが、これが「東夷伝」である。
さて上記4つを英訳してみよう。「Northern Barbarian」「Southern Barbarian」「Eastern Barbarian」「Western Barbarian」になる。
なんてことはない東西南北の野蛮人という意味である。
古代ギリシャ人も自分たち以外は「バルバロイ」という蔑称を使ったが似たようなものである。
それ以降の周辺異民族の名前の付け方も、「倭(矮小なやつら=日本)」「匈奴(びくびくしたやつら)」「鮮卑(鮮「すくな」くて卑しい)」など蔑みの意味を含むことが多い。
「朝鮮」の名称も裏では「朝貢(みつぎもの)が鮮(すくな)い」という意味を込めているという。
このような呼称に端的に現れる考え方を華夷思想といい、漢族が世界の中心でそれ以外は蛮族であるという意味になる。
日本も古代は今では同じ民族であっても関東から東は「蝦夷(えぞ、えみし)」という蔑称で呼んでいたし、戦国時代以降幕末期まで西洋人を「南蛮」や「夷狄」「毛唐」「紅毛」と呼んでいたので似たようなものであるが、彼らのように現代においても自国を「中華」と呼ぶほど傲慢ではない。
結局お隣さんは古代から現代まで俺たちが一番偉いという意識から抜けきれていない。
その癖して歴史的には実際の戦争になるとあまり強くない。
はっきり言うと名前負けしている。
古代から現代まで漢族の統一王朝というのは十指に満たない。
始皇帝で有名な「秦」は羌族(きょうぞく)という西方の異民族の王朝である。
秦の前には夏、商、周という漢族の王朝が代々続いていたのだが、周王朝の末期は権威だけの存在になっていて各地方に国家が乱立して日本と同じような戦国時代に突入する。
その時代の末に他国から野蛮な異民族と馬鹿にされていたのをバネにして力をつけ、他の漢族の国家をことごとく滅ぼしてしまったのが秦になる。
秦はお金や長さや重さなどの単位、漢字も統一しているし、無用だ!と言わんばかりにさまざまな本を焼き尽くし、学者を殺しまくっているので、実はこの時点で漢族の文化が結構な割合で一度破壊されてしまった可能性がある。
現在我々が使っている「漢字」も正しくは「秦字」かもしれない。
また遣隋使や遣唐使で有名な「隋」も「唐」も漢族ではなくツングース系の北方騎馬民族の王朝である。
「元」はもちろんモンゴル族の建てた王朝であり、前述したように「清」は満州族の王朝である。
秦から数えて漢族の統一王朝は「漢(前漢、後漢)」「晋」「宋」「明」の4つしかない。
このうち「晋」は三国時代を経て100年ぶりにやっと統一したと思ったらわずか20年で内部分裂して、北方騎馬民族の匈奴につけこまれ、またまた戦国時代に突入してしまう。
本作の時代背景である宋も五代十国という戦国時代を統一したものの西は「西夏」、北は「遼」という異民族におびやかされ、しまいには満州族の建てた王朝の「金」に北半分を奪われてしまう。
かの国の歴史を眺めると可哀想になるくらいに弱い時期が長い。
なお現在まるで漢族の文化のように思われているチャイナドレスも満州族の風習であり、人民服も日本の鉄道員の服装を孫文が真似て作らせたものである。
さすがに現在は長城以北の満州族の土地も国の一部になっているのでまさか満州族と戦うわけにもいかず、南モンゴルも国の一部になっているしで、表面上は北方異民族と戦えないので苦肉の策として怪物と戦う設定にしたのが見え見えである。
本作もファンタジー映画に分類できるだろうが、プロパガンダ色が強すぎるのと、「中華」という自意識が強過ぎて柔軟な発想に欠けていてセンスがない。
マット・デイモンが演じる西洋人が漢族に感動して「自分はこのために生きてきた」と彼らのために命を捨てるのを決意するシーンなど、あり得ないほどのあまりの純真なデイモンに鼻で笑ってしまった。
どれだけ自国万歳なんだ!
また1点、本作序盤でデイモンらを追う山賊が、テロを起こすという理由で弾圧されているウイグル族のように見えるのも気になる。
唯一良いのは映像だけだが、正直CGも見慣れてきているので他の作品に比べて特段優れているとまで言いがたい。
本作の監督である張芸謀(チャン・イーモウ)は過去に日本未公開の『金陵十三釵』という反日映画も監督している。
いわゆる「南京大虐殺」を扱った映画で、主演はクリスチャン・ベールである。手口は本作といっしょである。
筆者は張が武侠作品である『HERO』や『LOVERS』を監督した当たりから、ん?と思い始めたが、今や彼の作品からは魂を感じない。もしくは体制擁護に回ったために描きたいもののお茶を濁さざるを得なくなっているように感じる。
確かに監督術などの技術は向上しているのかもしれないが、せっかくの張の才能が無駄使いされている。
彼の過去の監督作品には本当に素晴らしい映画がたくさんある。
『紅いコーリャン』『あの子を探して』『初恋のきた道』、 中でも『活きる』は最高である。家族が時代に翻弄されながらも肩を寄せ合って生きて行く姿を描いた感動作である。
共産党批判と取られかねず過去には本国で上映禁止になっていたなど、そんな背景に関係なく本当に素晴らしい映画である。
本作のようなこんな駄作を観るのではなく是非張の過去の監督作品を観てほしい!