「アメリカ人」ファング一家の奇想天外な秘密 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ人
2015年アメリカの作品
アメリカ人の物語に対する思考には感服する。
アメリカ作品のほぼ毎回そう思うが、それだけ層も厚いのだろう。
この作品もまた、本当に奇想天外だった。
「自由の国」の自由な発想は留まることを知らない。
常識という言葉はこの作品には当てはまらない。
そもそも、
冒頭の銀行強盗っぽい小芝居そのものは決してジョークでは済まされない。
そしてそれはジョークではなく「作品」「アート」だと突っぱねる。
現在で言えば迷惑系ユーチューバーと言ったところだろうか?
様々な迷惑系があるが、ファング一家だけがそんなことをしている間はまだ「奇特な人」として許されるのかもしれないが、誰もが発信者となれる今の時代に、それは完全にアウトだろう。
2005年に始まったYouTube
この作品は2015年
日本でも2014年に爆発的にYouTubeが広がったことを鑑みれば、この作品はやはりユーチューブを意識しているのだろうか?
何らかの意図があるのは間違いないように思う。
昨今世間を騒がせた迷惑系とファング一家のケイレブの主張の差はどこにあるのかわからない。
さて、
この物語だけに的を絞る。
ケイレブは、アート作品としての自分の主張を貫きながらも、兄妹が次第にそれに興味を失っていったことを感じていた。
誰にも認められなくても、文句を言われても、評価されなくても、活動してきた効果は否定できないとケイレブは言った。
その信念は認める。
同時に彼の中には、人はそれぞれの考え方があり、結局ひとつに包括などできず、面白さでさえも同じものは飽きられると感じ始めたのかもしれない。
遊園地でハンバーガーの偽タダ券を配っても、店側はそれを受け入れた。
このことは時代の変化の象徴なのだろう。
変わってゆく社会に対し、変われない自分を、ケイレブは再発見したのだろう。
「こんなの間違ってる」
ケイレブは店や客などに対し怒鳴ったが、変われないままの自分自身がそこにいただけだった。
この事件こそ、ケイレブの集大成へとつなげるきっかけになったのだろう。
その計画は疾うに立てていたと思われる。
他人のIDで成りすましていたケイレブとカミーユという名前
それはアニーとバクスターへのプレゼントのつもりだった。
最後にバクスターは、書けないでいた小説をようやく完成させることができた。
「子供たちの穴」
そこにあったのはファング一家の実話ベースの小説 もはや実話だろうと思われる。
つまり「事実は小説より奇なり」と言いたかったのだろう。
生まれたときから「この瞬間」のためにずっと仕込まれてきた彼ら姉弟の人生
バクスターが言葉にした「誰かを変えられる考えは間違いだ」
これは、ずっとケイレブが目標としてきたこと。
みんなを、この世界のみんなを変えたかったケイレブ。
「変えられるのは自分だけ」
バクスターが辿り着いた答え。
それは、逆説的でもあり、反面教師だった両親から学んだこの世界の真理だった。
さて、、
アニー
演じたニコールキッドマンさん
主役は、アニーだけではなくバクスターでもあるように思った。
しかし製作上の理由でこのようなキャスティングになったのだろう。
アニーが女優になっていたという設定は、幼い時からの演劇にルーツがあるようだが、両親によって、こどもAこどもBなどと「作品」の配役をさせられてきたからでもある。
その彼女が現在「売れなくなった」というのも、ケイレブの作品というものが「過去」になってしまったことを物語っている。
だから最後もアニーは女優としていなかったのだろうが、彼女は大きな問題を乗り越えたことで自分自身にも向かい合うことができ、そのスタンスで女優を続けることもできるだろう。
ケイレブとカミーユは22号線で行方不明になるが、当初計画した通りにこれを実行したのは、やはりすべてを「終了」させたかったのだろう。
この彼の集大成はまさに奇想天外ではあったが、同時に兄妹から見れば破滅だった。
「終わりは始まりでもある」
ケイレブの言葉には真理もあった。
それは、一旦終止符を打つことでもう一度やり直す考え。
その終止符を最初から決めていたのは、人生の伏線に他ならないだろう。
冒頭からのナレーションは、まさに武士道の言葉だった。
もし今日自分が死んでしまうのを知っているとすれば、いったいどんな面持ちで一日を過ごすだろうか?
この瞬間瞬間を真剣に生きることこそ武士道だが、ケイレブにもその考えが根本にあった。
「恐れるな、その瞬間を支配しろ 前に進め」
そしてケイレブは「そのやり方」に終止符を打った。
それは死と同じで無 無駄だったのか?
おそらくそうではない。
無駄なことなどないのだ。
二人の姉弟はは両親の下らないお遊びの中に、端然と真理を発見した。
これがこの物語だった。
奇想天外ながら、やはり素晴らしかった。
恐るべしアメリカ人。