「さすがはジョニー・トー 静と動の美学」ホワイト・バレット ごいんきょさんの映画レビュー(感想・評価)
さすがはジョニー・トー 静と動の美学
ジョニー・トー(杜琪峯)監督の「ホワイト・バレット」(原題:三人行)を見た。「三人行」というのは孔子の論語の中の言葉「子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之」(子曰く、三人歩めば、必ず我が師有り。その善き者を選びてすなわちこれに従い、その善からざる者はすなわちこれを改む)から取ったという。3人いれば、自分が手本にすべき人が必ずいる。他人の良いところを見つけたらそれを見習い、他人の悪いところを見つけたら自分の中のそういう部分を直していきなさい。そのような意味だと解釈している。
この映画の主人公で描かれている3人とは、医師と犯罪者と刑事だ。医師(ヴィッキー・チャオ 趙薇)は17歳で大陸からやってきて、苦労して英語と広東語を身につけ努力して脳外科の有能な医師に上り詰めた。しかし、最近は不調で、手術の失敗を患者からなじられ、さらに別の手術では失敗から患者を死なせてしまう。しかし、彼女の根本にあるのは目の前にいる患者を救いたいという一心で、偏狭なまでに医師としての理想を貫いている。刑事 (ルイス・クー 古天樂)は部下の不始末を隠すために、さらに不正を重ねていく。部下が違法な取り調べで犯人を撃ってしまったたのだ。そして刑事は、その事実をもみ消そうと、違法な証拠をねつ造しようとしている。犯罪者(ウォレス・チョン 鍾漢良)は、その銃弾を頭に受けてしまった男だ。弾は前頭葉にとどまっているが、あたり所がよかったのか、脳の中心的な機能は失われていない。教養があるらしく、早口で哲学者たちの言葉を口走るような男だ。彼はある目的のために執拗にひとつの電話番号を繰り返す。そんな3人が、誰から何を学び、何を改めようとしているのか。
映画はその3人の思惑と駆け引きで、静かだが、緊迫したシーンが続く。舞台はほとんどがひとつの病院の内部だけで、外部での出来事は描写されない。ラストのクライマックスまでは、特に大きな事件や銃撃戦があったりはしない。病院内でのこまごまとした駆け引きや、周辺で起こる別の患者をめぐるさまざまな出来事が淡々と描かれる。しかし、もちろん、それらのこまごまとした事実がすべて伏線になることは監督も観客も周知の上だから、緊迫感は途切れることはない。3人の場面を交互に描いていくのだが、そのカットのつなぎ方がうまくて、いやが上にも緊迫感を高めていく。たとえば、3人の様子をそれぞれズームで寄るカットでつなぐ。ここで盛り上がる観客の緊迫感は普通ではない。
ラストのスローモーションのアクションシーンが高く評価されているようだが、そこへ行くまでの(比較的)静かな部分に私は引き込まれた。ジャンル映画でありながら、あるいはジャンル映画であるからこその、この緊迫感とカタルシスを楽しんでほしい。さすがはジョニー・トー。