バース・オブ・ネイションのレビュー・感想・評価
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罪を赦したまえ
19世紀、米バージニア州サウサンプトン郡で起きた黒人奴隷ナット・ターナーの反乱に基づく歴史伝記ドラマ。
2016年、サンダンス映画祭でグランプリを獲得するなど高い評価を得、アカデミー賞も期待されていたが…、
“ある不祥事”により存在すら葬られてしまったかのような扱いに。
その不祥事は一先ず置き、作品の純粋な感想を。
ナット・ターナーという人物の事はまるで知らなかった。
アメリカでは伝説的な人物なんだとか。
まずナットの生い立ちから語らなければ、彼が何故反乱に至ったか語れない…。
奴隷の子として産まれたナット。
奴隷の身でありながら幼い頃から文字が読め、仕える白人の奥様から読み書きを習い、聖書を教わる。
やがて成長したナットは聖職者として、説教もするように。
説教が出来る黒人が居ると聞き付け、ある金稼ぎの話が。郡内の農場を周り、黒人奴隷たちが白人主人に服従するよう説教するというもの。
ナットは子供の頃からの親友である白人主人のサミュエルと共に郡内の農場を周るが、そこで目にしたのは…。
黒人奴隷たちが白人から受ける酷い仕打ち。
中には目前で、堂々と拷問まで…。
ナットもある所で、いちゃもんを付けられる。ただ子供に人形を拾ってあげただけなのに…。
虐げられる黒人奴隷たち。
そんな彼らに説教をしなければならない。主人に仕えよ、と。
自分は奴隷の中でも恵まれているのか…?
いい主人に仕え、こうして神に身を捧げる事も出来ている。
自分は何をしているのか…?
同胞がこんなに苦しんでいるというのに…。
先日久々に見た『シンドラーのリスト』もそうだが、本作も、憤りが沸いてきた。
ナチスも白人も、特別なのか?
何故彼らは、ユダヤ人や黒人たちをこんなにも好き勝手虐げる事が出来る?
誰が、誰の為に? 何の為に…?
ナットに苦難が続く。
妻が白人男たちに襲われる。
祖母が神に召される。
ある事をきっかけに、主人と対立…。
主人は確かに、寛大で理解ある主人“だった”。
しかし、妻が襲われたばかりのナットに食事会を準備させ、家名の存続と名誉優先で、実際は本当に黒人奴隷たちの事を理解していたのか…?
主人から初めて、鞭打ちの罰を受ける。
白人たちへの不信感と反発を高める。
次第にこれは、自分の使命であるとの思いが強くなる。
神が自分に課した、導きであり、闘え、と。
水面下で仲間を集い、そして遂に、行動を起こす…。
ナット・ターナーの反乱は、ただ一概に、英雄視や英雄的行い扱いにしてはいけないと思う。
勿論ナットがそれに至った、白人たちの黒人奴隷たちへの酷い仕打ちは絶対に許されない。
ナットの反乱も解らなくはない。それは無理もない。
が、彼の起こした事は、白人たちがやってきた事と同じ虐殺と変わりはない。
多くの血が流れ、またナットの反乱の報復として、さらに多くの罪も無い黒人たちが殺された。
ナットが信ずる神の教えは、隣人を愛する事。
他人を傷付ける所か殺める行いは、神の教えに背く事ではないのか。
白人たちも罪深ければ、ナットたちも罪深い。
神よ、彼らの罪深い行いを、流された血の悲しみの代償に、赦したまえ。
二度とこんな悲劇が起こらないように。
重たい題材で、評価は高くとも興行的に不発、日本では未公開。
見ながら複雑な心境にさせられたが、間違いなく力作。
拷問や凄惨な反乱シーンなどグロいシーンも多いが、目を背けてはならない。
本作のタイトルは、D・W・グリフィスが1915年に発表した『國民の創生』の原題と同じ。
映画史に残る名作と言われる一方、あのKKKを英雄的に描き、黒人迫害を正当化するように描いた問題作。
敢えて同タイトルを付け、真っ向から闘い挑んでるようだ。
監督・プロデュース・脚本・主演の4役を兼任したネイト・パーカーの力強いメッセージが響く。
それだけに…、残念でならない!
作品とスキャンダルは関係ないのは分かっている。
でも、ネイト・パーカーが犯した罪は許されない。
しかし、いずれ神がその罪を赦し、本作が再評価される日が来るのだろうか…?
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