「ファントムペイン」22年目の告白 私が殺人犯です おびさんの映画レビュー(感想・評価)
ファントムペイン
サスペンス映画を本格的に観るのは初めてだったが、想像以上におもしろかった。
伏線や時系列の整理がとにかく丁寧で、辻褄のあっている構造の完成度に素直に感心させられた。
先の展開がある程度読めてしまう場面(曾根崎が被害者遺族であることや、仙道がファントムペインに苦しんでいる真犯人であることなど)もあったけれど、それが「つまらない」につながるのではなく、むしろ「予想が当たって気持ちいい」と思わせる緻密な作りだった。
印象的だったのは、仙堂が曾根崎に万年筆を握らせて殺させようとする場面。
これは物語上、曾根崎が仙堂を真犯人だと確信する根拠にもなっているが、それ以上に、仙堂自身が「死にきれない」「死ぬのが怖い」といった、矛盾した感情を抱えていたことが表れているようにも思えた。
この点は、かつて命を奪われた里香の「死ねればよかったのに」というセリフにもあるように、罪の重みによる逃げ場のなさや、心の揺らぎを感じさせた。
終盤、曾根崎が里香の映像を見つめ、そのモニターに映る自分の姿、つまり鏡像を見るシーンがある。
彼自身が、過去と向き合い、自分という存在の歪みを見つめ直すような場面で、ファントムペインからの解放を描いているように思える。
しかもそれを反射という描き方をしているのが美しく、印象に残った。
その後の別れの場面で、かつての曾根崎の顔に「ほんの一瞬だけ」戻る描写もまた、その痛みから「少しだけ」解き放たれたかことを暗示しているようで、静かな余韻があった。
けれども、その“解放”も束の間。
ラストで橘組組長の息子が牧村を刺すシーンは、たとえ真実が明らかになったとしても、誰かの復讐や苦しみが終わるわけではないという現実を突きつけてくる。
痛みは連鎖し、完全な救いは訪れない。
それでも、人は自分の痛みや記憶、真実に向き合いながら、生きていくしかないのだと改めて感じさせられた。
「ファントムペイン」という概念を通して、人間の内側にずっと残り続ける傷や葛藤を描き切ったこの作品は、単に驚かせることに特化したサスペンスとは異なる。
丁寧に積み重ねられた違和感と、感情の納得で魅せる、骨太な心理サスペンス。
観終わった後もじわじわと胸に残る、そんな一本だった。