「企画顔で崇高なアメリカという生き物」カーズ クロスロード うそつきカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
企画顔で崇高なアメリカという生き物
ピクサーのアニメーションでありながら、この世界はアメリカ国家の病理をよく表現したおとぎ話だと思う。いい意味にもとれるし、もちろん皮肉にも受け取れる。
レーサーであるのに、自分の生き方を自分で決められないマックイーン。彼のジレンマはアメリカ社会そのものだろう。自分より早い存在を認められず、どこか他人事のように敗北を受け止める。本来なら、最大の敵として強く憎たらしく描かれるはずのストームが、それほど強そうに見えないのも、その描写に時間を割いていないからだ。
そして、マックイーンを熱烈に応援する子供は、ニューヒーローが現れた途端にクルーズに乗り換える。この裏切りは、観客を置き去りにする映画のお話を象徴する。方向性として、マックイーンが走るのをやめることなんて考えられない。自分から走るのをやめるなんて。
いかにも、それ以上の価値を見つけたような演出をつけているが、そこにカタルシスは感じられない。制作者のひとりよがりに他ならない。見ていて、ポカーンとあきれるしかない。それでも、なんとなく映画がまとまっているのは、主人公が何を得て、何を失い、どこからきてどこへ行くのかが明確に描かれているからだ。
果たして、マックイーンは負けたのか?それとも勝ったのか。もはや、映画はそんな次元を飛び越えてしまった。キャラクターが成長し、ひとり歩きを始めてしまったら、落としどころは決まっている。勝利を義務付けられ、早さの象徴でもあるマックイーンが、自分より早い存在に出会ったとき、彼のアイデンティティは揺らぎ、別の価値を見出すことに行き着く。これはディズニーのキャラクター戦略のお手本そのものだ。いや、これこそがアメリカという国家の抱える病理だ。
2018.7.29