長江 愛の詩(うた)のレビュー・感想・評価
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哀しい物語
始まりから意味深なシーンが続きますが、時間を遡ってアンルー(安陸)と主人公の父との恋物語を長江を遡りながら詩で表現されてます。また詩に合わせた映像も素晴らしい。
ただ、貧困地域や国家ダム建設の明暗など近代中国の暗い部分を見た感じがします。
以下は勝ってに深読みしてみました。
長江の上流(チベット族?)に暮らしていたアンルーが、ガオ父と初めて会ったのが重慶の上流(宜宾)、チベットは貧困地域だからお母さんが死んで街に出て来てたのでしょう。重慶の下流で彼等は恋に落ちます。
親戚の家にお世話になっていましたが、山峡ダムが出来て彼女の生活が一変。ガオ父とは別の結婚を親戚から迫られ観音閣へ逃げ出し仏門に入れられます。しかし、彼が忘れられず修行を抜けだしガオ父に会おうとします。
しかしガオ父は彼女を迎えることを決意出来ず、彼女は仕方なく勧めらた結婚を受け入れます。住居の村は山峡ダムの下流で、洪水被害の多いところで厳しい生活が続き夫婦仲は良くなかったのでしょう。ガオ父と逢い引きしているのが夫にバレます。夫は生活苦と妻の不忠により自害してしまいます。
彼女は村に居られなくなり、下流の街へ流れていきます。途中、南京上流の萩港で寺の導師にどう生きるべきか尋ねますが答えを出せません。南京で生きる気力を失い入水自殺を図りますが、助かります。
ガオ父は南京下流の港でアンルーが娼婦になっている事を聞き逢いに行きます。一夜を共に過ごしますが、ルーは昔のルーでは無くなっていました。ガオ父は彼女の「沢山の恋をした」という言葉を聞いて嫉妬してしまいます。
上海の港で、ガオ父が彼女見たのは小舟で客引きをしているのが最後でした。彼女はガオ父を追って、上海まで来ていたのですが、何も出来なかったガオ父は後悔します。ガオ父は息子の身体を借りアンルーに逢いに彼女が眠る?長江上流チベット族の安家(アンルーの母)の墓に行くのでした。
ガオチェンが彼女の息子だとしたら、ガオ父と彼女が1989年冬に初めて会い上海まで流れて来た彼女と結婚してから生まれ子だとすると、ガオチェンは20代前半と考えられるので、ガオ父は彼女が上海にくる前に結婚していたと思えます。迎えに行けなかった頃結婚したのでしょうか。
美しい風景に見惚れるだけで良しとするか、解釈を思い巡らして自分のストーリーを作り上げるか。
映像を讃える記事をよくみかけて誘われた。
意地悪く言えば、ストーリーはよくわからないが、映像はいいということか。
死んだ父の仕事を受け継ぎ、運搬船の船長になった主人公ガオ。行く先々で毎度出会う、不思議な女性アン・ルー。
船内で偶然見つけた詩集は「長江図」、長江のいくつかの港を詠んだもの。次第に、アン・ルーとの関わりに気付くガオ。
・・まあ、ここまでは伝わるが、アン・ルーの正体も、その時々にまるで別人のようになって現われてくる理由も一切の説明がない。
つまり、観たそれぞれが解釈してくれということになる。
で、解釈するに、現実的にいえば、かつて父が出会った何人もの女性を少しきれいな昔ばなしに書き残したのが詩集で、その幻を追体験している話。
幽玄的なことを思えば、長江の水の精に誘われ、迷い戸惑い、源流まで誘い込まれた話。
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