「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・トーキョー」続・深夜食堂 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・トーキョー
続 深夜食堂
2016年
前作から1年と10ヶ月
少しだけ間が開きました
いまはもう2025年
本作から9年も過ぎちまいました
あの店に長いこと行ってないなあ
また行きたいなあ
マスターも常連さん達もどうしてるだろう
まだ自分のことを覚えていてくれてるだろうか?
なんか現実と映画が入り混じってしまったかのような心地
豚汁定食のおばあちゃんのことを笑えないよ、まったく
三話とも堪能させて貰いました
素晴らしい脚本
登場人物への深い理解の演技
ああ美味しかった
例えば、喪服で現れたおかまバーのママとマスターとの会話
喪服なんか着てどしたのさ?なんて野暮な会話はバッサリ無い、互いの反応と反射だけでいきなり中身が始まって続く
2年前随分通って世話になったバーのマスターが亡くなった時の事を思い出してしまいました
でも本当は濃い人間関係なんて客同士には無い
安心して飲める店だから、知らない内に問わず語りに話してるから相手を知っている気がして距離感が近いから錯覚してるだけのこと
酒と料理を食べに来ているようでその濃いと錯覚できる人間関係を求めて来ているのが本当のところ
10年昔なら、こんな店はまだあった
今はどうだろう?
昭和のままの飲食店街
細い路地ばかりのところに無数の居酒屋、スナック、バーがあった
本作の中の会話にあるように「角の中華屋店閉めてんの?」なんて具合にマスターやママさんが引退したり、常連さんの多くが定年退職してバッタリ客足が減ってしまったところにコロナ禍でやっていけなくなってたり、はては、こんな入り組んだ路地ばかりの昭和な飲食街は防災上危ないと、綺麗サッパリ区画整理されて、タワマンが何本も建ってしまってすっかりここはどこ?状態になっているのです
そんな小綺麗な街に、深夜食堂みたいな店は存在する訳もありません
もはや絶滅してしまったのかも?
けれども、孤独な人達が夜に片寄せ合う所を探しているはず、コンビニ弁当と缶ビールをワンルームで食べている孤独感、孤立感を一体どこで癒やすのでしょう?
SNS?そんなバカな
落語の貧乏長屋の噺みたいに、現実にはもうない失われた時代の物語になってしまったのかも知れません
だからワンス・アポン・ア・タイム・イン・トーキョーなのです
冒頭の夜の新宿大ガードのシーン
地下鉄も終わってタクシーの中で何度ともなく見た同じ光景
歩道の行き交う人の群れのなかに
自分が写り混んでいてもおかしくない
2025年の今も少しも変わらない
それでもいまはもう、タクシーを停めてもあのような店はもうどこにも無くなっているのです
それが2025年の日本です
多部未華子を観たかったはずなのに、キムラ緑子が凄すぎました
彼女の凄さで頭が一杯になりました
もしかして現代の杉村春子かも?