モン・ロワ 愛を巡るそれぞれの理由のレビュー・感想・評価
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10年に及ぶ愛の変遷を卓越した筆致で描写
白銀のゲレンデは真っ白なキャンバスのようだ。ここを皮切りとして、様々な感情と色彩、そして音色が絵の具のようにぶつかり合う。ひと組の男女の10年間を苦難と激情をちりばめながら描き出す手腕は、どの瞬間においても濃密で芸術性に富み、メイワン監督らしい女性の生き様が凝縮されている。
自由奔放な夫をヴァンサン・カッセル。彼の身勝手さに翻弄されながらも、愛することをやめない妻をエマニュエル・ベルコ。内面から外面まで全てをさらけ出して抱き合い、愛し合い、愛しているが故に激しくぶつかり合う彼らの姿には、単なるラブストーリーを超えた人間の性(さが)のようなものすら見て取れる。医師は語る。「膝は、後ろにしか曲がらない」。その一言が激流の中における一筋の冷静な視点となって心を貫く。きっと私たちは後ろに築いてきたものに支えられながら未来を切り開くしか術がないのだろう。優しい視点が交錯するラストシーンにほのかな希望を見た思いがした。
相性か感情か
久しぶりに激情型フランス映画に触れたので、ふたりの激しいやりとりについていけないと苛つきながらも(私が歳を取ったからですかね)、何故か鑑賞した後に爽やかな余韻が残った不思議な作品でした。
ジョルジオとトニーは感性ではお互い惹きつけられるけど、相性が合わなかったのだと思います。良い時は感情が昂って、凄く楽しいと思うんですよ。でも何かしらのハプニングがないと感性が刺激されないから、感情が昂るハプニングをふたりで作ってしまうんでしょうね。そもそもジョルジオは破滅型だとは思いますが、インテリなトニーが相手だと余計に感情が刺激されちゃうのかな?ヴァンサン・カッセルは、この手の役が本当に似合いますし、ずっと風貌やイメージが変わらず安定感がありました。
苛つくけれど面白く魅力的な10年
所詮他人。
2010年代のベティ・ブルー
主人公は全然違うんだけど、「ベティ・ブルー」を思い出させる、激しい愛情の映画。
主役を演じるエマニュエル・ベルコってあまり知らなかったけど、1967年生まれでこの瑞々しさってすごい。ヴァンサン・カッセルはこういう性格の悪い役が合うなあ。
いい大人があまりに未成熟な男女関係
男と女のことに、大人も子供も理性も知性も有り得ないのはわかっているし、こういうことを言うのは野暮だろうとは思うのだけれど、どうしても「いい年して未成熟な男女関係だなぁ」と感じてしまう。
本能的なまでに愛し合い憎しみ合い求め合う「愛」と言えば聞こえは良いけれども、登場人物にはまるで共感できないし、二人の関係を理解できる気にもならず、少しも惹かれない「愛とやら」の有様をただただ見せつけられる苦痛と不快感。
裏も表もサイテー男でしかない男と、愛して許す姿がただの馬鹿に見えてしまう女。いや、確かに、男女関係なんて客観的に見れば滑稽な戯れでしかなく、ただその渦中に在る当事者になると、途端に冷静な目を失って正しい(でも何を以て正しいとするんだろう?)判断がつかなくなるのはごくごく自然なことで、そういう様子を見ることは出来るとは思うのだけれど、それってでもせいぜい20代の男女でなら「盲目な恋」も様になるが、さすがに大の大人がもうちょっと思慮深くはなれないものか?と此方の目だけがひたすら冷静になっていく。こんなはた迷惑な夫婦・・・わざわざ映画にしなくていいから、何処か他所で勝手にやっててくれ、と思ってしまった。
不完全な男女が不完全な愛をぶつけ合う様って、映画としてはとても崇高で素晴らしいテーマだと思うけれど、この映画の男女に関しては、もうただただ「別れりゃいいじゃん」と思うだけだった。憎しみ合う気持ちは理解できても、求め合う気持ちはまったく理解できずに終わってしまった。交互に挿入されるリハビリのシーンの効果もイマイチ伝わらず。
私には、思い込みの強い独善的な映画としか思えなかった。
他人から見ればすぐに分かること
外科的なリハビリに来たはずの女性は、早々に自身の心の中の問題と向き合うことを、医師によって促される。
この時の医師の言葉遊びのような誘いが自然で洗練されているから、観客はここで一気に主人公の回顧シーンに没入していくことができる。
いくつもの腐れ縁を保っているような男のヴァンサン・カッセルの演技が素晴らしい。女からの視線を常に捉えていて、自分の虜にすることが得意な、最高に嫌な男をさらりと体現している。
彼女はその男から酷い扱いを繰り返されながらも、結局最後まで彼を憎みきれないし、忘れることも出来ない。
彼女の弟が冷静に端から見ているその視線こそ、観客の視線そのものだろう。第三者から見れば他の選択肢があるのだが、二人はお互いにこだわり続けるのだ。
ある程度の年齢になれば、そのこだわりが自分や相手を幸せにもすれば、不幸にもしてしまうことを知る。
だが、そのこだわりから自由になれない男と女のいかに多いことか。
なぜスキー板が交差して大怪我をする事故となったのかを彼女自身が気づいていないように、なぜ自分に安らぎを与えることのない男と離れることができないのかについても、本人が最も理解から遠い場所にいるのだ。
リハビリ施設で同年代の同性と仲良くならない彼女を見ている観客には自明とも言えることなのだが。
それが愛。
愛と激情の日々には至らない
「ベティ・ブルー」を宣伝文句にしているがあの二人には到底敵わないしこちらの心にグッと来るモノが感じられない理解も共感も出来ない男女だった。
愛し愛され傷つけ合った10年とリハビリの様子を合間に挟んでくる意味がイマイチ解らずせっかくの良い曲も起伏がないというか映像に物足りなさも。
お互いが一緒に居たかったのか?別れた生活が正解だったのか?一体全体ドウしたかったのか?
別々の人生を歩んでも互いを意識し合っていて子供にとっては良い環境だろうが第三者が介入した時に波乱が起きてしまうようで。
「ベティ・ブルー」を筆頭に「ブルーバレンタイン」や「オーバー・ザ・ブルースカイ」に特殊だが「わたしはロランス」など男女を描いた共通点はある本作だけど今並べた映画のようにガツンと心に迫るものが無く一人の男としても女としても父・母としても残念な感じ。
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