「『語り過ぎたのか、或いは語らな過ぎた故か』」ラプチャー 破裂 瀬雨伊府 琴さんの映画レビュー(感想・評価)
『語り過ぎたのか、或いは語らな過ぎた故か』
自宅(CS放送)にて鑑賞。突如、拉致られ、隔離された謎の施設で極限の恐怖を与えられる実験が繰り返され……と摑みはOK。“レネー”のN.ラパス、相変わらず身体を張っているが、魅力に欠ける様に映ったのは全篇を蔽いつくし、見え隠れするチープさ故か。顔が歪む変態も勿体附けた割にショボい出来上がりで失笑レベル、もう少し何とかならなかったものか。語り過ぎて深みが足りないのか、語らな過ぎて物足りないのか、何とも中途半端。ラストも安易でカタルシスが無いばかりか、余韻すら残らない。前半のみを評価して大甘の採点で40/100点。
・小柄でガッシリした体躯に坊主頭のM.チクリス演ずる“スキンヘッドの男”がステロタイプながら如何にもと云った存在感を放ち、印象的であった。ダンッ、ダンッ、ダンッと云うオートロックの重い響きは雰囲気があり悪くない。更に記憶を消され、解放される連中が微かな記憶の断片から、エイリアン・アブダクション体験者となる設定も佳かった。オープニングのタイトルコール時のバック画、及びエンドロール時の赤い画面も有り触れているとは云え、好感が持てた。ただラスト間近で、P.H.ホワイト演じる“エヴァン”へこっそり送信するメールでオッ!これは此處から盛り返すかもと胸躍ったが、淡い期待は呆気なく打ち砕かれてしまった。
・ブタペスト、リオ、マドリード、カンザスシティと施設の在るとされる地域はかなり偏っており、五大陸にも及んでいない。そもそも裏で操る組織は間が抜けており、行動原理や目的も微妙で、人類より高い存在への進化と云う説得力に欠ける説明しか提示されない。“レネー”のN.ラパスの蜘蛛(アラクノフォビア)に限らず、パーソナルに合わせた個々の装置や仕掛けは壮大で手間が掛かっており、圧倒的に非効率的でプリミティブなメソッド。『シャイニング('80)』の舞台となる"オーバールック・ホテル"の有名なカーペット柄のタペストリーが、施設内の或る部屋に掛けられているの見附けた。細部に眼を配る迄もなく、他にも進展と共に粗ばかり目立つ致命的な作りやプロットホールは散見出来、正に竜頭蛇尾な仕上がり。作劇や進行のバランスが不安定な上、メリハリも弱く、盛り上がりに欠け、サスペンスやスリラーとしても及第点をクリアしているとは云い難く、作り手の力量不足を露呈するだけに留まらない全てに於いて圧倒的に物足りない消化不良な愚作。
・売りの一つである拷問のシーンであるが、演者のリアクションがステロタイプで淡泊な上、緊迫感が希薄で臨場感が乏しいばかりか通り一辺倒にしか見えず、白けてしまいこれは演出の拙さに由る処であろう。意味有り気な"G10-12X"と云う謎の単語も然程であり、布石にすらなっておらず、万事この調子で、真意の底は浅く、全篇どこ迄も薄っぺらいプロットで、何か深い真相を匂わせるのみ……思いっ切り肩透かしを喰らった、とても残念な一作。
・鑑賞日:2019年4月9日(火)