「日本と戦争中という時代にしては信じがたいアメリカのフトコロの大きさ」マダム・フローレンス! 夢見るふたり 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
日本と戦争中という時代にしては信じがたいアメリカのフトコロの大きさ
1944年10月、とんでもない音痴なのに、米ニューヨークの大舞台カーネギーホールでリサイタルを開き、満員にした歌手がいました。しかも、発売されたレコードは全米大ヒット!それがこの物語の主人公である当時76歳のフローレンス・フォスター・ジェンキンスでした。彼女が歌い上げたのは、ポップスやジャズならまだ納得できますが、オペラのソプラノ歌手だったというから驚きです。さらにさらに、彼女は自分が音痴であることに気付いていなかったというのです。一体、そんなことがあり得るのか。この驚きの実話が初耳なら、映画ファンもビックリするところでしょう。
ところが本作とほとんど同じ内容の実話を元にした作品が、今年2月に公開されていたのです。それを知っている人からすれば、どうしても2匹目のどじょうに感じてしまう面は否めませんでした。その「偉大なるマルグリット」(グザヴィエ・ジャノリ監督)という作品は、音痴の夫人がなんでオペラを歌い上げることにのめり込むのか、その裏側にある妻としての満たされない孤独が描かれていて、結末も何とも皮肉なものでした。
その点、本作の方はストレートに夫婦愛を打ち出して、優しい夫の愛情があればこそ、主人公は歌い続けられたのでした。そして夢に終わった「マルグリット」と比べて、本当にカーネギーホールでリサイタルを開き、大評判になった事実は凄いいし、映画としても惹き付けられました。
何と言っても凄いのは、主演メリル・ストリープの歌唱力。これ、一旦は各曲をプロのソプラノ歌手並みに歌えるくらいマスターしてから、音痴になる特訓をしたとか。「マンマ・ミーア!」などで抜群の歌唱力を披露したストリープが、どうやってヘタに歌うのか興味津々でした。だいいち歌のうまい人が音痴に歌えといわれても、自然に音痴に聞かせるのはなかなか大変なことですね。だからモーツアルト『魔笛』から有名な「夜の女王のアリア」を歌うシーンでも、うまくならないように、うまく歌っていることがよく伝わってきました(^^ゞそこは、さすがどんな役柄でも巧みに演じるストリープですねぇ。
印象に残ったのはグラントのうまさです。彼が演じるシンクレアの全てを包み込むような優しさにはきっと感激されることでしょう。彼はフローレンスが傷つかないように細心の心配りをしていました。音痴がバレないように、周囲に金をばらまき、マスコミを買収し、批判的なコンサート評が載った新聞は買い占めて、フローレンスに夢を見続けさせていたのです。
けれどもシンクレアには別な一面もあったのです。フローレンスが眠った後、こっそり愛人に会いに行くのです。しかも普段は愛人を囲っている別宅で暮らしていました。これは、フローレンス公認というからビックリです。その理由を探っていくと、健康に問題を抱えていたフローレンスの深い悲しみを知ることになります。シンクレアはそれを知っていても別れようとせず、彼女に尽くしていたのでした。ただ、離婚しない理由として、フローレンスの財産をあてにしている面もあることにはありました。でもシンクレアには、悪意はなかったのです。そんなフローレンスに対する一筋縄ではいかない愛情をグラントが、嫌みなく表現していて、直球の純愛よりも胸を打ちました。
他に、40年代のニューヨークの街並みを見事に再現しいて、臨場感たっぷりなのも特筆モノです。スティーブン・フリアーズ監督は、実話の面白さを損なうことなく、達者な役者たちの芸も生かして、当時の時代の気分を活き活き再現させてくれました。
注目して欲しいところは、本作の舞台が太平洋戦争中の出来事であるということ。カーネギーホールのコンサートも海兵隊の慰問という大義名分で実現にこぎ着けたのでした。またフローレンスのレコードが大ヒットしたのも、前線の兵士を多いに癒したことが、きっかけになったのです。
それでも日本と死闘を繰り広げているというのに、何とのどかな光景かと驚いてしまいます。日本と違ってこんな粋狂が許されるアメリカのお国柄について、フトコロの大きさを感じずにはいられませんね。
物語は、ニューヨークの社交界のトップ、マダム・フローレンス(メリル・ストリープ)が、自ら主催するクラブのチャリティコンサートで、彼女自身が歌うところから始まります。でも絶望的な音痴という致命的な欠陥があることに彼女は気づいていませんでした。
何しろ観客は社交界の名士ばかりで、誰も音痴を指摘しようとしないどころか、絶賛するばかりでした。それに気を良くした彼女は、本格的にソプラノ歌手を目指し始めます
そんな彼女の尽きない愛と財産は、音楽ばかりでなく夫のシンクレアにも捧げられていたのです。ふたりは、法的には結婚していませんでしたが、事実婚としてふたりは長く暮らしてきたのでした。愛する妻に夢を見続けさせるため、シンクレアはおひとよしなピアニストのコズメという伴奏者を見つけ、高名な音楽家の指導を受けさせます。さらに、マスコミを買収し、信奉者だけを集めた小さなリサイタルを開催するなど献身的に立ち回っていたのでした。
ソプラノ歌手になる夢を追い続けるフローレンスでしたが、金目当ての音楽家から褒められて、世界的権威あるカーネギーホールで歌うと言い出します。ただフローレンスはある持病を抱えていました。大きなホールでの単独ライブは、体力的に命がけの挑戦になると医者から警告されます。それでも音楽に生きる彼女のために、シンクレアも一緒に夢をみることを決めます。さあ、笑いと涙で包まれた奇跡の公演の幕があがります!
追伸
映画でははっきりと描かれませんが、カーネギーホール公演のわずか1ヵ月後にフローレンスは亡くなったそうです。まさに希望をかなえきった帰天だったのでした。