ティエリー・トグルドーの憂鬱のレビュー・感想・評価
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市場の原理
原題、La loi du marché「市場の法則、原理」。
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長年勤めてきた会社を首になり、心が裂けてしまった主人公ティエリー。会社を訴える気力も残っていない。それでも、再就職するための研修や面接を必死で受けている。
そこで出会う人々。
「ローンを返せないのだったら家を売るしかないですね」と言う銀行マン。
「あなたを採用する見込みはかなり低いですよ」と言う面接官。
彼らは悪くない。仕事として当たり前の事を言ってるだけだ。
ティエリーの半生を費やしたキャリアや家への思いは、そこでは全く考慮されない。そんな個人的な心情よりも、ローンを返す方が先決だし、会社の効率を考えたら若い人を雇った方が良い。市場の合理化に照らしあわせてみれば何ら間違ったことではない。
ティエリーは断腸の思いでトレーラーハウスを売ろうとする。彼にとっては大切な思い出を売る辛い決断で少しでも高く買ってもらいたい。それでも買手は値切ろうとする。当たり前のことだ。安く買えた方が良い。個人の心情など、損得の前ではどうでも良いことだ。
市場の法則の前では、個々の人間性など無視されてもしょうがない事なのかもしれない。それをどうこう言うべきことではないのかもしれない。
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ようやく再就職が決まったティエリー。
スーパーの警備員。客の万引防止だけでなく、従業員の不正も監視する。人手が余って効率が悪いスーパーは従業員をカットしたい、その口実を見つけるのが仕事だ。ティエリーは市場の法則を行使する側にまわる。
経営側が悪い訳ではない。厳しい市場競争を勝ち抜くためには合理化を進めていった方が良い。それが市場の法則だ。しかも辞めさせる従業員は些細な事とはいえ不正をした者だ。それの何が悪い。
解雇された従業員は店内で自死する。それでも店側は新たな解雇者を見つけ続ける。
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市場の原理の前では、何ら間違っていない当たり前のことなのかもしれない。それを受け入れなくては、やっていけないのかもしれない。
だが、最後、ティエリーはある決断をする。
市場の原理よりも、本当はもっと大切なことがあるでしょうと、声にならない声をあげる。
ティエリー1人が決断しても、世の中を変える力がある訳ではない。結果的には、またティエリーが負け犬の側にまわるだけだ。現実的には甘くバカな決断だ。それでも、この世の原理に歯向かわずにはおられない。踏みつけにされてきて、もう立ち上がる気力もないように見えた男が最後、静かに立ち上がる。
静かな、アウトサイダーな、ヒーロー。ティエリーという男が、私にはそう見えた。
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静かな男を支える家族の描写もいい。辛い状況にあっても、ヘタクソだがダンスを楽しんだり、高校生の息子さんは生物の専門学校を目指していたり(フランスの教育課程を考えたらものすごく優秀な子だ)、頑張って前に進もうとしている。
この家族なら、経済の効率性より人間性を選んだお父さんをこれからも支えてくれるのではないかと、そんな気もする。
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映画は、まるでティエリーを追うドキュメンタリーといった体で撮られている。
ほぼどのシーンにもティエリーが映っている。目線の高さのバストショットが多い。(例外は見下ろす角度で撮られた防犯カメラの映像。)
ティエリーを追った映像が炙り出したのは、「ティエリー個人の憂鬱」というりも、社会全体の問題なんだと思う。
そしてそれは、見下ろす角度からは撮れない、人の目線でしか捉えられない事象なんだろうとも思う。
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