「教皇フランシスコの悔恨と良心」ローマ法王になる日まで 島田庵さんの映画レビュー(感想・評価)
教皇フランシスコの悔恨と良心
(角川シネマ「追悼上映」にて)
ひとりの人間にできることには、限りがある。
1976年に始まるアルゼンチン軍事政権の苛烈な独裁の中、
それにただ従うのは、良心が許さない。
人間が踏みにじられる状況は許せない。
政府と軍の暴力に暴力で立ち向かうのは、自分の主義ではない。
でもそういう人だって、守られなければならない。
まして、抵抗するだけで殺されることなど、あってはならない。
暗黒の10年で多くの友人を殺され、
それでも1人でも救いたい、
そんなホルヘーーのちの教皇フランシスコの
歯ぎしりが伝わった。
だから彼は、
坂本龍馬や高杉晋作のごとく討ち死にするのではなく、
生き延びてたたかうことを選んだ。
桂小五郎のように。
軍事政権崩壊後、責務から解放されたあと、留学先のドイツで
聖母マリアが「結び目をほどいてくれる」話を聞いて涙するホルヘの姿は、
涙なしでは見られなかった。
そこにおそらくホルヘの、
こう言ってしまうとカトリックの人からは叱られるかもしれないけど、
信仰というより良心の
原点があったんだろう。
映画の冒頭近くで司教だかなんだかが偉そうに
「君の祈りは心からのものじゃない」
とか言ったけど、
「結び目」の話を聞かされてはじめてホルヘは、
「心からの祈り」を悟ったんだろう。
ホルヘには、
なぜあんなに人が死ななければならなかったのか、
はたして自分の行いはあれでよかったのか、
という捨てがたい悔恨の念がある。
だから教皇フランシスコは、
宗教を超えた良心として存在し得た。
ひとりの人間にできることには、限りがあるけれど、
それを追求し続けるのが、良心。
そういうことを、
見事に描いた名作でありました。
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