劇場公開日 2017年6月3日

「日本の明治維新でいえば桂小五郎的な」ローマ法王になる日まで 島田庵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0日本の明治維新でいえば桂小五郎的な

2025年5月25日
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鑑賞方法:映画館

(角川シネマ「追悼上映」にて)

ひとりの人間にできることには、限りがある。

1976年に始まるアルゼンチン軍事政権の苛烈な独裁の中、
それにただ従うのも、
政府と軍の暴力に暴力で立ち向かうのも、
良心が許さない。

だが人間が踏みにじられる状況は、
自分が許さない。

かといって、
犬死にしてはなんにもならない。

そういう苛烈な10年で多くの友人を殺され、
それでも潰されてはならぬ、
そして1人でも救いたい、

そんなホルヘーーのちの教皇フランシスコの
歯ぎしりが伝わった。

だから彼は、
坂本龍馬や高杉晋作のごとく討ち死にするのではなく、
生き延びてたたかうことを選んだ。
桂小五郎のように。

軍事政権崩壊後、責務から解放されたドイツでの
マリアが「結び目をほどく」話は、
涙なしでは見られなかった。

そこにおそらくホルヘの、
こう言ってしまうとカトリックの人からは叱られるかもしれないけど、
信仰というより良心の
原点があり、

映画の冒頭近くで偉そうな司教だかなんだかが偉そうに
「君の祈りは心からのものじゃない」
とか言ったけど、

「結び目」の話を聞かされてはじめてホルヘは、
「心からの祈り」を悟ったんだろう。

だから教皇フランシスコは、
宗教を超えた良心として存在し得た。

ひとりの人間にできることには、限りがあるけれど、
それを追求し続けるのが、良心。

そういうことを、
見事に描いた名作でありました。

島田庵