FAKEのレビュー・感想・評価
全39件中、1~20件目を表示
正誤なきストーリー
見応えあるけど好きでも嫌いでもない。
なんで最初から1人で作んなかったのかなと思う。
ディレクターズカットで視覚障害のある女の子の場面もありました。
受け取る側はいいかげん週刊誌とかに踊らされちゃうこと自体に疑いを持つぐらいの主体性は持つべき。
新垣見て笑ってる人だって気持ち悪い。
ジャーナリスト 、 ルポルタージュライター 、 ノンフィクション作...
ジャーナリスト 、
ルポルタージュライター 、
ノンフィクション作家、
皆 総じて 取材対象に 肉薄することで
知られざる事実を掴むことを営みとしてるけど、
それらのアウトプットは、
客観的事実じゃないんだよね、ということを再び思い出した
撮り手、書き手の 主観がどうしても反映してしまうから
本作も、森達也さんの 思い 願い 思惑みたいな主観が 出てる。
ラスト前に、
「どうして音楽やらないんですか?! 」と
打診、提案する行為がまさにそれ。
ヤラセとはまでは思わないけど、誘導はしてる。
森達也さん固有の 思惑が介在している証左だし、これをフィルムに収めたいという恣意性が出てると思う
やっぱり客観的事実は、単一のドキュメンタリーだけでは 得られない
多種多様な 取材アウトプットをテーブルに並べて俯瞰で見ることが事実を掴む手段だよ!ってことを暗喩しているような作品でした
豆乳入れ過ぎ
日本メディアと外国メディアの差が如実に出ている。片一方は遠巻きから指を指して本人には向き合わず、もう一方は腫れものに直接向きあって合理的な検証を試みる。佐村河内氏は弁明できたか?否である。彼が主張する論法で創作活動が成り立つのか、例えば、新垣氏のような音楽技能がある人を連れてくれば、同じような創作が再現できるのか?そして、創作物への佐村河内氏の貢献がどの程度認められるか。
総括できるか否かはそこである。シンセサイザーを使えるかどうかではない。耳が聴こえてようがそうでなかろうが、この映像の中での彼の行動が全て演技であったとしても、あまり重要ではない。
生き場所を失った人がどう生きるのかという観点で、興味深く見たが、再生したければ先の総括、検証が必要で、そうでなければ、何でもいいから仕事をすべきであるが、彼は全くそうではなく、共感も湧かなかった。
結局真偽は…
軽薄な作品
● ドキュメンタリーとジャーナリズムの違い。
おもろい
画面酔い
FAKE
全39件中、1~20件目を表示