「結局何が撮りたかったのか」FAKE hashikun54さんの映画レビュー(感想・評価)
結局何が撮りたかったのか
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フジテレビのくだりはおおむねあの通りなのだろうし、だとしたら酷い話だと思うのだけど、それについて佐村河内氏の総括があって初めて価値のあるドキュメンタリーたり得ると思う。『テレビなんてそんなものだ』みたいな総括を森監督がするんじゃなくて。
『怒りではなく悲しみを撮りたい』という冒頭の森監督の言葉は、裏を返せば悲しんでないなら悲しまなければならないし、怒っていても知ったことではないと言っているわけで、つまりは森監督の都合に佐村河内氏の方を合わさせて撮りたい絵図があったんだろう。
だから新垣氏の映像を見せたり、作曲しろと言ってみたり、森監督自身が佐村河内氏にいろいろ働きかけてるし、佐村河内氏より森監督のほうがよく喋ってる。
ただ、その割には結局何が撮りたかったのかはよくわからなかった。
というより、人目を避けてずっと家に閉じこもって、たまにメディアの人が取材に来て、というくらいしか撮れなくて話が作れなかったんだろうな。
神山典士氏や新垣隆氏に取材を申し込んで断られたって、まぁそうだろうなとしか思わなかった。
神山・新垣氏が逃げ回ってるというより、単に森監督が取材を取り付けるために、そんなに頑張ってないんだろうと。
妻以外誰一人味方のいない佐村河内氏がフルオーケストラの交響曲を作曲する様はある種異様で、あそこで作られた曲がどこかで人の手で演奏される可能性の絶望的なことに思い至るなら、そこに悲愴感・寂寥感を見出だすことも可能ではあるけれども、それよりも裸の王様・佐村河内氏と仕立て屋・森という滑稽のほうがしっくり来るように思った。
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