「栄光の瞬間」イーグル・ジャンプ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
栄光の瞬間
イギリス初のオリンピック・スキージャンプ・プレイヤー、マイケル・エディ・エドワーズ=通称“エディ・ザ・イーグル”の半生を描いた伝記映画。
日本劇場未公開ながら、タロン・エガートンやヒュー・ジャックマン出演。監督のデクスター・フレッチャーとタロンはこの後再び伝記映画『ロケットマン』で組む事に。
スポーツにも疎い私。無論全く知らなかったが、いつぞや何かの番組で紹介され、映画の概要は知っていたので、“あ、『イーグル・ジャンプ』の人だ”と記憶に引っ掛かって覚えていた事はあった。
オリンピック選手も様々な経歴を持っているが、このエディは異端中の異端。
元々スポーツが得意で、大会などで優勝して、将来やオリンピックを期待されていた訳ではなかった。
寧ろ、運動音痴で近眼。スポーツマンとは程遠いタイプ。
しかし何故かオリンピックに魅せられ、オリンピックに出る!…が夢に。
母親は寛容に応援するが、左官職人の父親は一蹴。父の左官の仕事を手伝う事に。
そんな時、イギリスにスキージャンプ選手が居ない事を知り、スキージャンプでオリンピック出場を目指す。
スキージャンプの経験…? 無い無い。
決めたらそれに向かってバカ正直まっしぐら。
何のスキルも無いのに、スキー板を買ってスキー場へ。
ちょうどオリンピック出場を目指すノルウェー選手が練習中。自己紹介とオリンピックを目指している事を告げると、嘲笑。まあ、当然かな。
それでも本を読んで得た見様見真似の知識で練習。初ジャンプ!
勿論、失敗。って言うか、よく大事に至らなかったもんだ。
見てられないとばかりに、圧雪係の男が声を掛けてくる。
ただのぶっきらぼうな飲んだくれと思ったら、オリンピックにも出場した事のある元スキージャンプ選手、ブロンソン・ピアリー。
ワォ! じゃあ、教えてよ。
無論お断り。
めげるという言葉を知らないかのようにまたまた練習。またまた失敗。
その姿に根負けしたか、練習を見てくれる事に。
妙な形とはなったが、晴れて目指す。オリンピック、見えてきたじゃん!
とにかくエディのポジティブさ、真っ直ぐさ。
それがこの作品そのものであり、実に爽快。
だから見ていて嫌な気持ちにはならない。万人受けする爽快さと感動の実話スポーツ・エンタメ。
とは言え、ちょいちょい気になる。
オリンピックに出たい!…くらいの軽い気持ちで始め、運がいいんだか、とんとん拍子で。
一応は周囲の偏見、厳しいルール、実際高台に立った時の恐怖…。それらも描かれているが、何だか見ていてあまり重く高い壁のように感じない。
あっという間にオリンピックの場へ。実際はそんな簡単な事じゃないだろう。
練習、練習、練習。練習に明け暮れ…。それでもオリンピックには届かない。届くのは、ほんの一部…。涙を呑んだ選手がどれほどいる事か。
スポーツに疎い私でも、オリンピック=例えばアカデミー賞に置き換えれば、それがどんなに容易い事じゃないかくらい分かってるつもり。
それに、何度も失敗。最悪なら死亡、骨折でも当たり前。なのに、ほとんど打撲軽傷程度。超人か!
別にエディ自身やそのスポーツ人生を否定するつもりは無い。
実際にそれをやり遂げてしまったんだから、ぐうの音も出ない。
近代オリンピックの父の言葉。
“オリンピックは勝つ為だけじゃない。出場する事に意義がある”
それを体現したと言えよう。
どんなに偏見嘲笑されようとも、結果は最下位でも。
出場する事、挑戦する事に意義がある。
例え見世物と言われたって構わない。いや、ただの見世物では終わらせない。
大会終わり、委員長が「ある者は鷲のように跳んだ」。それに対する観客の熱狂歓声。
実況の言葉。「鷲が舞い降りた」。
ちゃんと魅せるものを見せてやった。
実は骨のあるスポーツマンなのだ。
タロン・エガートンが快演。若者が教えを乞い、サクセスしていく様はあの作品のよう。
ヒュー・ジャックマンも好助演。ワイルドで、葉巻じゃないけど煙草を咥える様はあのキャラのよう。
デクスター・フレッチャーも快演出。楽曲の使い方も良く、これが後々の『ボヘミアン・ラプソディ』の代打や『ロケットマン』に繋がったのかなと。
夢を諦めない。
挑戦する。
痛快なほどストレートだが、その後の事にも一理ありと感じた。
これ以降、スキージャンプに厳しいルールが設けられたという。
エディみたいにポジティブ思考で始めて、誰もが成功する訳じゃない。一歩間違えたら大事故や死亡に繋がる。
エディは強運と天性の才に恵まれていた。
厳しいルール、それに見合った実力、並々ならぬ意欲と決心。
そして、強運とめげぬチャレンジ精神。
それらがあって、挑戦し続ける者が、“栄光の瞬間”を掴む。