「この程度で「帰ってきた」とは言わせない。」死霊館 エンフィールド事件 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
この程度で「帰ってきた」とは言わせない。
前作「死霊館」の素晴らしさは、古今東西、老若男女を対象としたもさしく「資料館」ならではの「映画愛」に満ちあふれた傑作だった。
もちろんあのアナベル人形がアクセントとして相当な効果があったのは、つまらないスピン・オフが出来たことでも分かる。
その後の「インシディアス第2章」は、ホラー映画のフォーマットに、数々の映画オマージュを織り込み、ホラー映画の域をすっかり飛び越えてしまって「怖くはないが、面白い」という珍妙な作品に仕上げた。
映画オタク、ジェームズ・ワン監督。
結果「死霊館」でホラー映画監督としてピークに達し、「インシディアス第2章」で「映画監督」として、また1歩進んだ、という印象だった。(ちなみに「1」は凡打、「序章」は駄作)
それ故か、ホラー映画引退宣言をし、おなじアジア人監督ジャスティン・リンから「ワイルドスピード」の最新作を引き継ぎ、「ホラー映画」だけではない、だが「ホラー映画では許された【表現さえよければ粗っぽくてもいい】スタイル」を見事にアクション映画で実行し、大ヒットさせた。ヒットメーカーとしても地位は確立したようなものでもある。そう、どこかサム・ライミのキャリアと被ってくる。
そのジェームズ・ワンが「死霊館」続編の監督をするという。
それは「映画監督としての」さらなる高みへの「逆説的挑戦」か、ヴィン・ディーゼルにいじめられての「出戻り」か、ただ単にライミの「スペル」のようにやってみたかったのか、期待と不安は入り混じる。
「死霊館 エンフィールド事件」
序盤の「インシディアス」風描写に若干の不安がよぎり、また「ホラー」置き去りの作品になるのでは、という思いから始まる。英国に移ってThe Crushの「London Calling」が流れ、アレ、ちょっと時代が違わなくね、と思いつつもまあ、いいや、と少し妥協しつつの鑑賞が続く。
だが、この違和感が家の中を回る無意味なワンカット風撮影で、どうにもつまらないと感じるようになる。家の中の構造、家族構成を描いたように見えるが、ワンカット風で撮る意味がない。これがあの「狼の死刑宣告」の立体ガレージを縦横無尽にカメラを動かしたワンの作品か?と疑うほど意味がない。
また前作でも描いた、家族の絆、ウォーレン夫婦の絆と、改めてするようなことでないことも繰り返し、中途半端にドラマを展開し、本来の「びっくり箱」は前作の足元にも及ばない、という残念な出来。
前作の、あの芸術的な「ワンショット」、想像だにしないあの「パンパンっ」の恐怖。「定番」と「意外性」の見事な、奇跡的な共存。洗練された「センス」と言っていいだろう。
それが本作にはない。
またアナベルの次に、「資料」館に収納されるものが、ゾエトロープというのも実にショボい。視界は観客全員が全員、ガラスケースのアナベル、という残念なシーン。(ゾエトロープのオバケは傑作ホラー「ババドック」の影響ありそうだ)
あと、ベラ様のフリルブラウスも、時代に合わずか、着なくなってたのも悔しい。
結果、「インシディアス第2章」で若干ワンの中にある、映画マニアの欲が冗長し、「ホラー離れ」な作品になってしまうのでは、という不安が的中した形。
ホラーマスターだか何だか知らないが、この程度で「戻ってきた」と言われては「死霊館」の大ファンとしてはちょっといらつくのである。
一番怖かったのが、舞台紹介の説明文と「The Conjuring2」の字の出方のところだったという悲しさ。
やるなら、もっと、もっと、もっと(悲願。。)ホラーに特化しろ。
追記
少し支持的な意見を言わせてもらうと、「The Conjuring」≒「The Exorcist」。「エクソシスト」は「エクソシスト」でも、「1」より「2」寄りなのが、なかなか楽しくはあった。
追記2
鑑賞後、辺りを見渡すと、なんと女の子ばっかり。もちろん前作を観てのことだろう。
それほど前作「死霊館」は「センス」がいい。