誰のせいでもないのレビュー・感想・評価
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わかるような、わからない
それぞれの立場でずっと11年間あの事故のことが胸にあり、最後の最後に心が晴れた?というか乗り越えたんだろうというのはわかるんだが、なんか主人公、被害者の母、息子と気味が悪いんだよなぁ…。
人生いろいろある。
そんな晴れ晴れと清々しい人生を送れる人ばかりじゃない
みんな問題や過去や何かを抱えて生きる
でも
心が通わないのを置き去りにすると
あとでしっぺ返しをくらう
何があっても恨みを買うことのないよう
最善を尽くすのが人生なんじゃないのかな
と自分に言い聞かせながら見ていた気がする
…どうすれば良かったのか?とかね
あの一瞬の事故のタイミング
・運転中に携帯電話を見た
・子供の母親が読書に夢中だった
・雪が高く積もっていて視界が悪かった
・にもかかわらず遊び方の教育がなされていなかった
(北海道で生まれ育った私は口が酸っぱくなるほど道路に飛び出たら死ぬよ、と言われ続けた、ましてやソリ遊び)
相対的に見ると子供の母親の責任が大きいと思う
タイミングがいいのか悪いのか?あいつは…
本が売れてしまう
彼なりにもがき苦しんだ深い思考が功を奏したのか
作家の書くネタは赤裸々に公開される、それが、売れる…
ほんの少しの捉え方の違いで亀裂が生じる危うさのようなもの
ヴィム・ヴェンダースがやりたかったのは
こういうことなのかな
3D作品として作られたらしいが
2D字幕版で鑑賞
原題Every Thing Will Be Fineは
何か良くないことが起こった時に使う慣用句らしい。
万事うまくいく。大丈夫。という意味らしい。
事故から11年後まで徐々にみせていく。
カナダの田舎町
眠れぬ夜は走り心と向き合いたい。
作家、私は本を読む力もないのに本が好きだ。小学生の頃は家にある伝記を読んだ。小学生ながらに楽しく読めた記憶がある。本を読むと本の中に出てくる言葉を理解してもいないのに使いたくなる、特に小学生の頃は見るもの読むもの全てマネしたくなるそんな小学生だった。学校には先生がいる、そう先生なのだ師匠ではない。先生に質問しなくなったのはいつ頃か忘れてしまったが学校の中は学校の中、学校の外で起こったことは外で起こったこと。先生は学校の中の先生
そして先生は公務員そんなように思うようになった。
早く帰りたい先生情熱気取りの先生様々な先生の形があるが、そんな私でも大好きな先生が二人いる。
その大好きな先生は私に何も教えない。私の話しを
特別聞くわけでもない。私だけではなく他の生徒に対しても私の眼にはそのように写ってる。横・肩をあわせてくれる。会話をしてくれる。本音などはない建前もない発した言葉が記憶に残る。残った言葉が育つかどうかなど考えたりする人など殆どいないと思う。
自分の言いたいことを言いながらにその言葉全てを
理解されたい愛されたいと思うことは罪であると私は考える。目の前で事故が起こる私同様大半の人は動けずにいると思う。そして私は動ける人がすごいとも
思わない。動ける人はただ動けるけら動いただけと考える。動けない人は本当は動けるが様々なことを考え動かない癖がついてると考えてしまう。
作品「誰のせいでもない」はじめて私は
レイチェル・マクアダムスを認識した。そしてレイチェルがこんなに素晴らしい女優さんだと気づけた。シャルロット・ゲンズブールは私の大好きな女優さん。
ラース・フォントリアー作品「アンチクライスト」を必見ムービーと考えてしまう私は「誰のせいでもない」のジェームズ・フランコの眼に惹かれその眼を焼き付けたい。誰のせいでもない。誰のせいでもない。
でも誰かのせいにしたくなってしまう
カミさんはおばあさんを交通事故で亡くしている。トラックの左折に巻き込まれたのだが、接触によってではなく、転倒して頭を打ち、一週間昏睡したのちに亡くなったのだそうだ。
相手のドライバーさんの過失は全てではなかったけれど、責任を感じられて、奥さんは妊娠中だったけれど痩せられて、出産が心配されるほどだったそうだ。そこまで自分を責めなくてもと思うほど、お詫びもいただいて、その後何度もお仏壇に手を合わせにこられていた。
引越しをあえて知らせずにおいて、それは終わった。相手にも家族があり、これからも続く生活がある。
時間はカウンセリングはしてくれても、解決はしてくれない。きっと明日はいい天気と思わないと、人生やっていけない。でも希望的観測だけでは裏切られる。
つらい思いが消えなくて、不本意にも誰かを責める。誰のせいでもないなんてきれいごとで、誰かのせいにせずにはいられない。あの時に戻れるならと思ってしまう。重くやり過ごせない沈鬱と、深い諦念と、微かな思いやりと、それでも続く人生と。
この作品を見て、感想を書くのが難しいなと置いておいたのだけれど、書いておきたくなって。気取った長文失礼しました。
ジェームス
フランコ。シャルロットゲンズブールのナチュラルな佇まいがやたら素敵。人は傷とどう向き合うかという話。尋常じゃなくサスペンスフルで、子供持つ親だったら観たくない感じ。傷が深刻なのは2,3年で、10年経つと薄れるっていう、その薄れ方、何が薄れていのか含めてサスペンス。ビンタに素直に痺れる。ジェームスフランコの歩き方が気になる。シャルロットの背の高い、やや姿勢の悪い歩き方は素晴らしい。
「全部、上手くいくさ」と無関心だからこそ楽観的なことが言える。
妙な気持ち悪さが残りました。
『誰のせいでもない(2015)』
原題 Every Thing Will Be Fine
※一応、全体的なストーリーの流れを書きます。
けれど、監督の制作意図が良く分からないので、ネタバレになるかどうか判断できません。
すみません。
(あらすじ)
カナダの雪深い田舎町。
スランプの作家トマス(ジェームス・フランコ)は、ソリに乗った幼い男の子クリストファーと軽い接触事故を起こします。
男の子が怪我をしていなことに安堵したトマスは、抱きかかえて彼の家をノックする。
しかし、出てきた母親ケイト(シャルロット・ゲンズブール)は、もう一人の息子はどこか?と不安げに聞いた。
実はソリにはもう一人、弟が乗っていたのです。
「誰のせいでもない」事故が、トマス、ケイト、クリストファー、トマスの妻サラ(レイチェル・マクアダムス)、新しい妻アン(マリ=ジョゼ・クローズ)の人生を、変えていく。
的なお話でいいと思います。たぶん。
いや、よく分かんなかったんですよ。話の流れは分かりますよ、けど監督の意図がよく分からなかったんです。
監督がビム・ベンダースです。
ええ、皆さんお好きな"パリ・テキサス"とか"ベルリン・天使の詩"の監督さんですよ。
で、本作は3Dらしいです。
でも、内容的にどう考えてもミニシアター向けの内容だと思うので。3Dで観た方、殆どいないんじゃないかと推測いたします。
3Dにする意図って、やっぱ観客に手を伸ばさせたい=その世界に入りたいと思わせる。より、物語に入り込むものだと思ってました。
このあらすじまんまの、のろのろストーリー(キャメラワークが意図的にのろいっす)を3Dにしてどうするんだ?という。
しかも、入りたくないので(笑)その世界に。
またまた自分語りになるんですが、私は某損保にいたので、交通事故って年間1000件くらい対応してたんですよ。
恐らく一般の人よりは"交通事故"がどんなもんなのか、理解してると思います。
本作では「(事故は)誰のせいでもない」と登場人物達が口々に言い、母親ケイトは「貴方のせいじゃない。貴方(トマス)の為に祈ったわ」と聖書を渡し、尋ねてきたトマスの膝に頭を預けたりする。
トマスはトマスで一時期は酒におぼれ、結果的に自殺未遂を起こすも、悟りを開いたのか?常に冷静で、薄ら笑いを浮かべるようになります。
献身的に支えたサラから逃げ、新しい奥さんと結婚し、けれど小説はヒットし、兄クリストファーはファンになったと現れる。
このストーリーの流れは、私が知っている交通事故、そしてその後のことからは、大きくずれていました。
みなさん、こんな達観してないですよ。
ベンダース監督、一度お子さんが事故に遭ったお母さんと話してみるがいいさ。
と思いました。
唯一、事故が大きく精神面に影響を与えたと思われるクリストファーは、歪んだ憧れをトマスに向け、家に忍び込んでベッドにおしっこしたりする。
けれどそんなクリストファーの行動にも、トマスは薄ら笑い(達観したような表情)を浮かべ「度胸があるな」とハグしたりする。
常にトマスは薄ら笑いを浮かべ、ケイトは泣き続け孤独に生きる。
アンはそんなトマスを気味悪いと思う瞬間あれど、結婚生活を続けまぁまぁ幸せそうにしている。連れ子は懐いてるし。
唯一、感情の乱れを隠そうとしないサラも、再婚して子供に恵まれ幸せそうだ。
ハートフルっぽいラスト、しかし、始終流れる不穏な音楽。
トマスの薄ら笑いにて、終了。
原題 Every Thing Will Be Fine
全部、上手くいくさ。
いや、いかないよね!?
だれも感情を露わにしない。冷静で、達観していそうだけど、それがいつか爆発しそうな不穏な雰囲気。不安感を煽る、音楽。
登場人物の揺れ動く感情を、3Dで表現したと思われる一文がキャッチにありますが。
みんな冷静ですからねー。
で、3Dが観客を物語に引き込む為だったとして、この世界に一番遠いところにいるのが「全部、上手くいくさ」と無関心だからこそ楽観的なことが言える監督のような気がしました。
3Dであれば、何か発見できたのかもしれないですけど。
予告で、サスペンスフルな内容だと勘違いしたのが、よくなかったのかも。
なんか、もの凄く気持ちの悪い映画でした。
3Dだったんだ!
3Dにした意味がよくわからない…雪原の奥深さはすごく感じたけど…。
邦題、このままなお話だった。見終わった後に、…だから?、って思っちゃいました。
人生なんていろいろあるよなー、と。人の巡り合わせもいろいろあるよなー、と。それ以上の事はよくわからなかった…。
まず... ミニシアターで 2Dのみしか上映がなかったので 3D上...
まず...
ミニシアターで
2Dのみしか上映がなかったので
3D上映があったのを
知りませんでした...
2Dで普通に見たからかな?
3Dの必要性はあるのかなぁと
思っちゃいました。
誰のせいでもない...って事は
ないでしょう〜
なんか凄い展開がまってるのかと
ヒヤヒヤしながら見てたのですが...
ホント
何もなく
誰も泣きわめいたりとか
さほど感情的になるわけでもなく
それぞれが静かに苦しみを抱える...
みたいな...
ちょっと予想と違いました。
シャルロットゲンズブールって
アンチクライストのイメージが
強すぎて
不慮の事故とはいえ
子供が亡くなっているのに
あまりにも何もしないので
肩透かし感が半端ないゎ(笑)
予告見ずに
先入観無しで見たかったな...
子供いらないって別れたくせに
子連れと一緒になったり
劇場のホールで引っ叩かれたの
納得だったな(笑)
3Dならでは
3D映像は「出てくる」感覚を楽しむものと思いきや、「奥に入り込む」感覚を味わえた。
部屋の奥に入る感覚(おかげで子ども用ランプの絵柄に気が付ける)。山の向こう側の風景。ガラスの奥の人影。
ヴェンダースの作品を観て思うのは、人の内部の深みと奥行きは、文脈と行間にかかっている、ということ。
出来事の断片が前後左右(今回は奥にも)と広がる文脈の中で、因果のロジックか理解できる。
子どもたちの成長によって時間が流れているように見えるが、実は時間は流れるものではないようだ。
過去のある時間と空間は、別の「出来事」との関係性のなかで「永遠的対象」となり、別の出来事の非連続的連続によって、時間が流れているように見えるのだ。とても哲学的な内容だと思った。
ラストでジェームスフランコは初めて画面のこちらに歩いてくる。
映画を監督で観るという人にはオススメ
「パリ・テキサス」に感動して以来、ヴェンダース作品は気になって観ているが、やっぱりエンタメ作品を創ってる人とは感性が違います。
何か起こりそうで何も起こらない。しかも意図して何も起こらないようにしてる気がする。こんな作品見たことない。もしくはあらすじ聞いても面白そうに聞こえないが2時間観れる映画を観たことない。
タイトルの「誰のせいでもない」Every Thing Will Be Fineというのも哲学的で作品によくマッチしている。
この作品3Dらしいが普通に鑑賞。後悔は3Dで観ておけば良かった。どう考えても3D向きの作品には思えない。そこにヴェンダースの最後の仕掛けがあったのではと思えるから。
意味が解らなかった
うーん、観終わって、で?っていう感想しかなかった
3Dでやる意図もわかりませんでしたし
所々でいいなと思えるシーンはあるのですが
度々流れる不穏な音楽も効果的とは思えなかったし
考察が足りないのか、そもそも観るべきポイントを誤ってるのか、、
私には合わない映画でした。
画面を観てるだけで満足
一つ一つのカットが綺麗なんだわ。ヴェンダース、写真家としても有名なんだけど、全部指示だしたのかな。それ観てるだけでも満足。
ストーリーは《Every Thing Will Be Fine》と呟くしかないなあという内容。内容がないと言えばないかも。
《Pina》の印象が強くて、動きのある映画を作る監督のイメージがあったけど、《パリ・テキサス》の監督なんだから、静かな映画も撮るよなあと思いました。
女優さんみんな良かったけど、シャルロット・ゲンズブールが特に良かったな。
3D版をみたけど、そこまで3Dを活かしてる訳ではないから、2D版でも良いかも。
「画面の外を観る」ための3D映画
ヴィム・ヴェンダース監督の新作『誰のせいでもない』。
ここんところドキュメンタリー映画ばかり撮っているヴェンダース監督、劇映画は『アメリカ,家族のいる風景』以来か。
ドキュメンタリー作品は1本も観ていないので、ヴェンダース作品は本当に久しぶりだ。
そして、この作品、本来は3D映画。
3D映画はとっても苦手なので、2Dで鑑賞。
この時点で、鑑賞方法を誤っているのかしらん?
カナダ・モントリオール郊外。
かつて2冊の小説を発表したトマス(ジェームズ・フランコ)は執筆に行き詰っていた。
恋人サラ(レイチェル・マクアダムス)と離れ、凍結した湖上の小屋にこもっていた彼は、ある日、目的もなく雪の田舎道を自動車で走っていた。
そこへ、プラスチックのソリに乗った少年が飛び出し、間一髪のところで停車した。
近くにある少年の家を訪ねると、母親のアン(シャルロット・ゲンズブール)は、もうひとりの少年の名前を叫び、雪原に飛び出していった。
トマスの目の前に飛び出した少年は、ひとりではなかった・・・
というところから始まるハナシで、予告編からの想像では、その後、トマスがこの事件を題材に小説を書き上げ、その執筆の最中のトマスとアン、さらにはサラを絡めた確執が描かれるのだろうと思っていた。
まぁ、その想像は半ば的中していたが、半ば外れていた。
トマスの小説は意外と早く(映画中盤までに)書き上げられる。
しかし、その小説の内容は明らかにされない。
かてて加えて、トマスがもうひとりの少年を轢いてしまった直接描写がない。
なので、素直な鑑賞眼を持たないりゃんひさは、「おぉ、あの事故は、やっぱり少年はひとりで、母親は以前に死んだもう一人の息子が生きていると思って、錯乱しているのだ」なんて、思ってしまいました。
まぁ、観つづけると、そんなことなどはろうはずはなく、事故から立ち直るトマス(傷は抱えているのだけれど)と、事故から立ち直れないアンと残された少年の物語が、時を経て続いていく。
レイモンド・カーヴァーあたりの小説にでもありそうなハナシだけれど、うーむ、映画としては、つまらない。
原因はハッキリしている。
冒頭から描かれる、小屋の中での舞う埃、事故の際のちらつく雪、フロントガラスや窓ガラスに映るトマスなど、3Dでの画面づくりに力を入れているので、2Dではそこいらあたりはそれほどわからない。
小説には「行間を読む」という言葉あるように、3D映画にも「画面の外を観る」という言葉があってもいいはずだ。
って、ヴィム・ヴェンダース監督は言っているのかもしれない。
ともあれ、2Dで観た限りでは、あまり面白くない一遍だった。
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