或る終焉のレビュー・感想・評価
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数えきれない苦しみの足音
生老病死。誰も避けられない苦しみ。お釈迦様も、晩年、消化器系の病に苦しんだとか。一人分でも大変なのに、人の分まで引き受けたら…。主役のお父さん、自分の過去に、何も言い訳しないのは、すでにその心を弔っているからでしょうか?。過去を詮索したところで、無意味かも知れませんが、過去が導く未来が、本作のラストだとすれば、ちょっと軌道修正したい気持ちです。どう軌道修正かは、ご覧になった御見物の皆さんに、お任せするとして、介護の現場って、ハードですね。或る終焉よりも、私の終焉が、心配になりました。そしてお父さんのジョギングシューズは、アスファルトに、苦しみを刻印しつつ、足音を残してゆきます。
生に深くかかわる贖罪
ラストを「天罰」と解釈するレビューがあり、
本当に物事の解釈は人それぞれなんだなぁ…と驚きました。
「死」の捉え方は人それぞれなんだなと。
私は自身が安楽死賛成派なこともあるのか、主人公の即死は、
「辛く苦しい人生からの最速の解放」という、むしろ神からの
ご褒美的なものに感じていました。
あれだけ多くの人の苦しい終焉に寄り添ってきた主人公にとって、
何の希望もない長引く終焉を自身が体験することは、
最も恐ろしい未来だったのではないかと思うのです。
常に死が身近にあった主人公にとっては、介護士など他者の
手を借りることなく死を迎えることができる終焉こそが、
理想であり、憧れであったのではないかと思います。
安楽死が「神の領域を犯した」ことになるのなら、
癌の化学療法も自然の摂理に反している以上、神の領域を
犯しているわけで、延命方向の介入はOKだけど、幕を閉じる
方向の介入はNG、と白黒つけてしまうのは、結局は身勝手な
人間の言い分であり、「生>>>死」という死生観から
生まれる考えなのではないかな、と思います。
他人の手を患らわせ、希望もなく、辛い副作用に悩まされながら
不自然に生きていくことが辛いと思う患者の気持ちはよく分かるし、
私も患者の立場なら可能なら安楽死を望みます。
そして、それを手伝ってくれる人には素直に感謝します。
老人の孤独死が増えている昨今、重く、人生の最後のリアルを
淡々と描き出しているこの映画は、色々考えるきっかけに
なるかもしれないし、ただ暗い気持ちにさせられるだけかも
しれません。
看護師は看護の仕事だけをしてりゃ…
最後は衝撃的な結末でした
これからどうなるんだろう…?!
画面に見入ってた時にあれですからね〜
あの結末は医の神の怒りだったのでしょうね
看護師の仕事の領域を逸脱してしまった主人公に下された神の怒り
看護の本質を自ら捨てて一人の人間として情に流されてしまった主人公はもはや看護師失格です
医療職は医療人である前に人間です…なんて甘えは許されないのでしょう
主人公が道を外した原因を作った患者との出会いは自己犠牲あたりまえの看護師の鏡?を地で行く主人公に対し神の与えた試験課題だったのでしょう
その試験に主人公は落ちてしまった
だからあの結末…
もし仮に試験をパスしてたら…患者にとって幸せな結末になってたかもしれないし、より不幸になっていたかもしれない…
それは神のみぞ知るでしょうね
隣り合わせの死と折り合いをつけるのは難しい
観終わっても、少々心が動揺していた作品です。
終末期の患者ばかりを看護しているデヴィッド(ティム・ロス)。
彼は患者に寄り添いながら、黙々と看護を行っている。
黙々と、といったら語弊があるか。
そんな彼には、別れた妻マーサ(ロビン・バートレット)と娘ナディア(サラ・サザーランド)がいる。
長らく行き来のなかった三人であるが、ある事件(濡れ衣といってもいいのだが)を契機に再び出逢うことになった・・・
というハナシで、話が進むうちに、離婚した原因もわかるようになってくる。
94分という短い尺であるが、そのほとんどがデヴィッドが行う看護の様子が淡々と描かれるのみで、観ていてツライ。
特に、冒頭に描かれる末期エイズ女性を看護する様子は、患者を演じている女優さんがあまりにも痩せさらばえており、かなり衝撃的だった。
映画の面白さ(この言い方でいいのかどうか)のひとつは、デヴィッドの過去が徐々にわかってくるあたりにあるのだが、もっと関心を惹かれたのは、彼の日常におけるバランスの取り様。
常に、死と最も近いところにいるデヴィッドは、患者との関係性に嘘を持ち込みながら、バランスを保っている。
例えば、最初に描かれる末期エイズ患者との関係。
葬儀のあと立ち寄ったバーで、彼はたまたま同席した女性に対して、「妻が死んだ」と告げる。
また、ふたりめの脳梗塞を患った男性患者との際は、患者の弟だと偽って、患者が設計した家屋の内覧に出かけたりする。
ここいらあたりの描写が興味深い。
患者を知って、寄り添うために、患者の身内を装っているのではなく、「実と虚」を混在させることで「生と死」のはざまでのバランスを取っているようにみえるのだ。
生と死のはざま=看護生活、
虚(死に近づいていく)=患者の身内を装う行為、とみるならば、
実(生そのもの)=繰り返し描かれるランニングシーン、なのだろう。
こういう図式があるから、衝撃と謳われるラストがあるのかもしれない。
デヴィッドの過去には、重篤な小児癌だった幼い息子の死がある。
自ら手を下したとされているが、延命治療を自らの手で拒否したのかもしれない。
どちらでもいい。
バランスを取るため行っている「患者の身内を装う行為」は、妻と娘のもとに戻ったときには取れないのである。
そのために、彼はバランスを崩してしまい、三人目の患者の自殺ほう助という行為におよび、ひいては、衝撃のラストに繋がる。
実(生)の世界が、虚(死)へと一気に転換するラスト。
なるほど。
書いているうちに、少なからず心の動揺がおさまったような気がしました。
嫌な感じが後を引く
確かに、最初から強烈な映像と死を感じさせる記号がちりばめられている。
正直、具体的な背景は全くつかめない。ただ漠然とした設定だけが分かるのみ。そうし向けられた作品だと思うし、それによって思考と興味がかき立てられるのも事実。凝視してしまうから、あのラストも強烈に印象に残ってしまう。半ばトラウマとなってしまうくらいに強烈だ。
ただ伏線はたくさんある。それを一つ一つ確かに捉えていけば、うならされること必至。ただ趣味が悪すぎる。
ラストシーンと日本の映画宣伝について。
とにかくラストシーンについて、いろいろ思うところがありました。
このレビューの要点なので、早速ネタバレしますけど、
ジョギングをしていた主人公が、いきなり車にハネられて終わるというラストシーンでした。
「ダサい。」
というのが第一印象でした。
“いきなり真横から車にぶつかられてショック”演出は、
『セッション』で見たし、『追憶の森』でも見たばかりです。
流行りなんでしょうか?
仮に流行りじゃなかったとして、
「最後の最後にびっくりさせてやろう。」という意図は、
やっぱりダサいと思います。
また、その後の無音のエンドロールも、『アメリカンスナイパー』に乗っかったような、「この映画を社会問題映画として真面目に考えろよな」っていう、上からな“圧”を感じて、逆にうるさいです。
最後に主人公を殺したのが、例えば劇中の登場人物の誰かであったり、主人公自身の意図という話であれば、「そういう物語」として理解はできるんですけど、
引っかかるのは、ラストシーンで主人公を殺して、罰したのは誰だったかってことです。
それは「偶然の交通事故=神の視座=映画の作り手の主張」ということになると思うんですけど、それがすごく独善的に思えて仕方がありません。
劇中、いろんな人の死や主人公の葛藤を静かに淡々と描いてきただけに、最後の作り手のどや顔のために、僕にとっては映画全体が「いけすかない話」になってしまいました。
また、何がダサいって、この『或る終焉』に対する、日本の宣伝の仕方です。
ポスターの最下段、
「世界を騒然とさせたその“結末”に、あなたの胸は貫かれる」
というキャッチ。
この映画のいちばんダサいところに乗っかってるじゃないですか。
他に観客に訴える要素って見つからなかったんですか?
仮にそれしか観客動員するために訴える要素がなかったとしましょう。
「映画の最後にびっくりする展開がありますからね!」
って映画観る前にお知らせしちゃったら、びっくり半減しませんか?
また予告編のいちばん最後、
「世界を騒然とさせたその“結末”に、あなたは胸を貫かれる」
というキャッチ。
さらにそのバックには交差点の映像ですよ。
「ああ、最後、交通事故で誰か死ぬんだな。」
って、わかっちゃいますよ、観る前に。
良かれと思って「騒然の結末」を煽ってるのかもしれないですけど、
その衝撃がいちばん薄まっちゃうタイプの宣伝なんじゃないですか?
まあ、でも仮に、作り手がそういう宣伝の仕方を望んだのかもしれないと思って、海外版の予告編(「Chronic trailer」で検索)も観てみました。
全然「騒然の結末」なんてアピールしてないことに騒然としましたよ。
ということは、日本の映画の宣伝屋さんが、「日本人の観客には、この騒然の結末くらいしかウリになる要素がないな。じゃあそれで釣っとくか。」って判断したということでしょう?
100万歩譲って、実際そうだったとしますよ。
じゃあでも、その結末がわかっちゃうような予告編にしたらダメじゃないですか?
もうちょっと真面目に映画宣伝を考えてほしいと願います。
もし、このレビューを読まれた映画宣伝関係者の方で、
「うっせーな!映画宣伝業界にもいろいろ事情があるんだよ!知らんくせに勝手なことばっか書くんじゃねー!」
と思われた方がいらっしゃいましたら、是非反論をお待ちしています。
ささやかではありますが、『無人島キネマ』という映画ブログとPodcastを運営しておりますので、「なんでこういうことになっちゃうのか」「日本の映画宣伝においてどんな問題や障害があるのか」など、お聞かせ頂けましたら、誠実に映画ファンの方々に伝えていきたいと思います。
誠実
依頼主の介護を誠心誠意それでいて人間らしく行う主人公。
仕事だからと割り切れないあまりにも重い仕打ちや依頼にも直面する。
なんともやりきれない全てを無にするラストは衝撃的だけどそれで良いのかという感じ。
孤独な献身と、潔い結末。
言葉数の少ない映画である。言葉以上に身体が多くを物語るこの作品には、終末期患者に寄り添う男の孤独な献身が描かれている。
病で不自由になった生活と精神を補助するために、ティム・ロス演じる看護師はまさしく献身的なケアを患者たちに施していく。家族よりも密接な関係を築く必要があるし、プライベートな領域にまで入り込まなければならない。その有様の難しさと過酷さをティム・ロスとミシェル・フランコ監督は、ただただ看護の風景をまっすぐ見つめることで淡々と描き出していく。そして同時に、ロス演じる男の中に蓄積されていく孤独と葛藤を浮かび上がらせており、言葉に頼らない演出は英断だったと思う
なぜ、彼はこんなにも過酷な仕事をするのか?ふとこちらがそう思った先に物語は展開し、彼の過去が寡黙に姿を見せ始める。多くは語られない。しかし不十分ということはない。大きく空いた余白を埋めるようにティム・ロスの演技が観る側の感受性を刺激する。
おそらく男にとって、終末期患者の在宅ケアという過酷な労働は、ある種の贖罪であり、懺悔のようなものだったのではないかと思う。男はまるで、罪を償うように身を捧げ、身を削り、命に寄り添っているように見える。そして家族とのふれあいのシーンの危うさから、彼が背負う十字架の大きさを垣間見る。かつて奪った(「奪われた」ではない)小さな命という大きすぎる悲劇と罪に抗えずに散った家族のあまりにも心許ない愛情の交流。彼の過去の葛藤や現在の孤独の、その源流が見えたと思うや否や、物語は更に男を追い込み、彼に同じ罪を重ねて背負わせる。重い内容だが、必ず誰の身にも訪れる死への向き合い方がとても真摯で、目が離せない。
ラストシーンでは、本当に息が止まった。映画を観ながら、男の現在と過去はよく見えるが未来だけはなかなか見えないと感じていたのだが、最後の最後、彼の未来を微かに感じ始めた頃に、そんな彼の未来をばっさりと斬り捨てるような幕切れを見せる。カタルシスさえも拒絶するエンディングは潔くていっそ胸がすく。あのまま、彼の未来が終わってしまっても苦しい結末だが、もしも立場が逆転して、彼に与えられた未来が、死を待つ「終末期」だったとしたら?なんて考えたらますます息が苦しくなった。
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