ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐのレビュー・感想・評価
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禁酒法じゃないのか?
2015年 イギリス 104分
小説の中身なんてどうでも良いのか?
女性ばかりの家族と帽子を脱がないそれだけが気になる。それだけの映画。
『アフトン川の流れ』の編曲が生きていない。また、スコットランド民謡とJAZZのクロスオーバーなんて考えられないし、客は黒人ばかり。場所はどこなのか?楽譜もないのにアフトン川の流れなんて黒人が分かろうはずもなく。
『彼の人生から削除されたの』
先日、暫く振りで尊敬する友人から電話があった。本を出版するそうだ。その時ヴァージニア・ウルフの話が出てきたので、同じウルフだから、関係あるかなぁって思ってこの映画見てみた。残念ながら一切関係なかった。ともかく『ヴァージニア・ウルフ』なら知っているが、トマス・ウルフなんて知らなかった。
この映画も反則技を使って、色々な人間の視点から描いている。称える人間を客観的に見る視点だけに絞るべきだと思う。編集と推敲を語るお話なのだから、小説の内容に触れずに語ろうとするなら長すぎる。
天才と言われる、この作家の奇抜さが一切伝わって来ないし、敏腕の編集者の姿も伝わらず。ただの帽子はいつ脱ぐのだ?だけ。
やっと、友として敬意を評したから帽子を脱いだ?
分からん。
本を読んでいないからなんとも言えないが。僕の貴重な時間をこんな海千山千な作家の為に使いたくない。
編集者が編集や推敲する時にはタバコを吸わない。絶対に吸わない。
ヘミングウェイとかフィツジェラルドとかビックネームを出せば凄い編集者と見せる。そんな所に姑息な演出が見える。
カット出来るのでは?
30分位の映画♥
経済恐慌の後、映画で破産した人が沢山いました。フィツジェラルドの評価が下がったのも確か恐慌の影響。この作家や編集者が現代の芸術に繋がる姿としたら、寧ろ、負の遺産だと僕は思います。同じウルフを描くならヴァージニア・ウルフを描かねば♥
2人の関係性がいい
画面が落ち着いた感じで素敵。内容とも合った雰囲気でした。
題名も原題「Genius」よりも好きです。物語の根幹にも沿っていますし。
作中でも本の題名について触れているシーンがありましたね。個人的には邦題のほうが興味を惹かれます。
トムとパーキンズの関係が素敵でしたね。友人であり、師弟であるような。
一番好きなのは2人で「時と川の」の推敲をしていくシーン。意見を言い合いながら作品をより良いものにしていく様子がスピーディに描かれていて楽しかったです。
トムが自分の文章をジャズ音楽で伝えるのもおもしろいですね。しかもなんとなく言いたいことが伝わってくるのが凄い。芸術を別の芸術で表すことができるということは、どこか通ずるメカニズムがあるのかなと感じられました。
コリンファースはハマり役といえば確かにそうなのですが、イメージ通りすぎて、特別に良かったとは言い難いです。
ジュードロウの奇人さとナチュラルクズ(褒め言葉)っぷりは良かったです。
ニコールキッドマンは綺麗で衣装も素敵。
ただ、役としてはトムにおざなりな扱いをされているのはわかるのですが、具体的な描写が少ない割にあまりに追い詰められすぎているので、感情移入はできなかったです。
パーキンズに反感を持つのはむしろ不快にすら感じました。
ストーリーとしては、これからどうなるのかなと思っているところで急に終わってしまったので、尻切れとんぼに感じてしまいました。実話が元なので仕方ないですが。
トムが登場人物ではない現実の人と、ひいては自分と向き合って、成長して人の心がわかるようになった後を見てみたかったです。
ラストには涙。手紙はずるいよ。
年々コリンファースを好きになる
中だるみせず見れた。
2人は運命の友人同士。
共にビルの屋上から景色を眺めるシーンは素晴らしいし、最後の手紙を読むシーンもすごく良かったけど、ジュードロウが酔っ払って食事の時に悪酔いして他の作家を嘲笑った際にコリンファースが怒ったシーンこそ真の友情だなって思いました。
コリンファースの余計なことを言わないで
相手を受容する姿が素敵だった。
どういう人を好きになるのか、年々こーゆー人を
私は好きになっている気がしてならない。
小説家なら形作ったものを削らないと・・
映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」
(マイケル・グランデージ監督)から。
作家と編集者がいて、初めて素晴らしい作品が出来上がる。
その両者の関係を理解していないと、
著者だけがスポットライトを浴びて、才能だけが一人歩きし、
自分は天才だと勘違いしてしまい、有頂天になって潰れていく。
作品中、主人公2人の編集作業が印象深い。
「詩的表現に満ちたこの本でこの場面を際立たせるには?」
「単純さだ。簡素な言葉」
「『稲妻』か。暗闇にくっきり稲妻を走らせる・・」
「そうだよ」「ユージンは女を見た。その瞳は青い」
「小説家なら形作ったものを削らないと・・」と意見をぶつけ合う。
その結果が、無駄のない洗練されたフレーズに繋がるのだろう。
原題「Genius」は、辞書によると
「(科学・芸術などでの創造的な)天才、非凡な才能、天才(の人)、
鬼才、特殊な才能、(…の)才、特徴、特質、傾向、精神」とある。
2人の「Genius」が、お互いの力をうまく引き出したとき、
名作が生まれることを、この作品で知った。
最後に作家がこう言う。「一節だけ付け加えたい。本の献辞だよ」
「この本をマックスウェル・エヴァーツ・パーキンズに」
勇気と誠実さに満ちた彼は、ひどく絶望に苦しむ著者を何度も
励ましてくれた。その彼に・・値する作品であることを著者は願う」
今では「あとがき」に編集者への献辞が書かれているが、
この作品が1920年代の実話だとすると、
作者から編者者への一番最初の献辞だったかもしれないなぁ。
トムがうざい。
ジュードロウ演じるトムがうざかった。
ジュードにうざいと思ったのははじめてのはず。
トムの造形がうまくいったということなんですが、
うへぇと思い続けました。
コリンファース、ジュードロウ、ニコールキッドマン、ローラリニーという
豪華出演人に惹かれて見ました。
全体の印象としては小粒な感じでした。
二コールがトム(ジュード)に足蹴にされちゃうパトロン人妻を
演じておりますが、こんなウザイ男にすがらなくてもあなた生きていけるでしょと
思いました。仕事もしてるんだしさ。
ローラリニーは劇作家になりたいけどなれないコリンの妻役ですね。
マックス(コリン)も多分ちょっと変な人として書かれているんだと思います。
だって、ずっと帽子取らないんだもの。
帽子を取るのは死んだトムからの手紙を受取るときだけ。
何を象徴していたのか読み取れませんでしたが、気にはなりました。
フィッツジェラルドが、来年はグレートギャツビーが絶版になんねんと
嘆いていましたが、ならへんよ、没後後も読まれる古典になりましたよと
言ってあげたくなりました。書いたときには売れなかったんですね。
ボルティモアってどこなのかな。アメリカの地理に疎くてわかんないでした。
よかった
トマス・ウルフの小説があんまり面白そうな感じがしなかったせいか、パーキンスもウルフも応援したい気持ちにならなかった。最低の人格であっても本当に才能を感じさせてくれればきっともっと前のめりで見ることができたと思うので残念だ。『華麗なるギャッツビー』も映画で見ただけなのだが大して面白いとは思えない話で、小説ならもっといろいろと感じることができたのだろうか。
ニコール・キッドマンがこれ見よがしに薬を飲むのを「あんなのは芝居だ」と冷たくあしらっていたのはよかった。他人が見えていても自分は見えないものなのがよくわかる凄い場面だった。ただキッドマンは風格がありすぎて不安定な感じがせずメンヘラに全然見えない。初日と言うだけで、特に用もないのに劇場にいて自分をささえろと言うような感じはしなかった。
天才は作られたのか?もともと天才なのか?
むかーし、
むかーし。
ことばにまだ、
きょうだいなちからがあったころの、
おはなしです。
『ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ(2016)』
原題 Genius
(あらすじ)
へミングウエイ「老人と海」
フィッツジェラルド「華麗なるギャツビー」
を見出した編集者、マックスウェル・パーキンズ(コリン・ファース)の元に、まだ無名のトマス・ウルフ(ジュート・ロウ)の原稿が持ち込まれる。
そのまとまりのない大長編の中に、秀でた何かを見付けたパーキンズは、神編集でベストセラーへと導く。
続編で更に超長編を持ち込むウルフに、パーキンズは赤鉛筆を片手に、容赦なくばっさばっさと作品を切り刻み、またまたベストセラーへと導きます。
しかしその過程で、二人の関係に亀裂が……。
実話です。
有名(存じ上げませんでした)演出家:マイケル・グランデージの初監督作品です。
※後半ネタバレあります。
ここ数年、あまり小説が読めていません。
何故って、文章がとても気になるからです。
編集者さん、何してるの?って思ってしまうんです。
で、ある熟年作家せんせ曰く、「最近の若い編集者は小説を読んでないからさー」と。
だから最近の若い作家せんせの作品を読むと、こんな一文があったりしてゲンナリするんですよ。
「彼女の髪は肩までのセミロング」
セミロングって、そもそも肩までくらいなのでー(笑)
きっとパーキンズなら、ここ赤ペンでぴしって校正するでしょうね。
「子供より親が大事、と思いたい。」
これは太宰治の「桜桃」の一文です。
これは何故、「大事」の次に読点を打ってあるんでだろう?
もともと太宰って、読点を大量に打つんですけど。
"子供より、親が大事と思いたい。"
じゃないんだろう?
これ、口に出して読むと、ニュアンスが微妙に違うと思います。
何故、「大事」の次に打ったんだろう?
って、考えたくなるほどの作品が、最近ない。
いや、考えて打ったことが窺える作品が、ない。
慎太郎さんが、「"喉をごくっと鳴らして飲む"なんて表現をするやつに、芥川賞なんかやりたくないぜ」みたいなことを仰ってました。
慎太郎さんは苦手ですが、この部分には激しく同意です。
本作でパーキンズとウルフのやり取りを観ていて(個人的にはウルフに感情移入気味で、苦笑いで観ました)、ひと昔?ふた昔?もっと前の、まだ言葉に力があった時代。
言葉がもっと大事に、丁寧に扱われていた時代。
その頃の人達のことを、懐かしく思い出しました。
上記したようなことが気になる方なら、本作をより楽しめると思います。
これほど、小説に真摯に向き合った作品を知りません。
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(以下かなりネタバレ)
ウルフからは、「貴方に会うまで、私には友達はいなかった」と告白されるパーキンズです。
妻からは、得られなかった息子だとウルフを思ってるんじゃないか?と言われるパーキンズです。
ウルフのかなり年上の愛人アリーン(ニコール・キッドマン)からは、ウルフの恋人きどりか!と嫉妬されるパーキンズです。
そんなパーキンズですが、ラストまで帽子を脱ぎません。
男性が室内で帽子を脱がないのは、かなり失礼にあたります。
ウルフはとんでもないコミュ障に描かれていて、フィッツジェラルド(ガイ・ピアーズ)からも、そのことを怒られたりしています。
※華麗なるギャツビーが売れない!と嘆くフィッツジェラルドに、むっちゃ売れてるよ!みんな知ってるよ!と言ってあげたい。
だから殆どの観客は、人の心の機微が分からないウルフを、時に励まし、時に叱責し、多くの読者が受け入れる作品にしていくパーキンズって、すげー人格者!大人の男!編集のプロ!ってなると思うんです。
けど、商業的に成功した作品が、果たして良作か?となると別問題ですからね(笑)
偉大な芸術作品を、パーキンズが大衆化してしまったのかも知れない。
オリジナルそのまま出版していたら、さてどうなっていたか?
原題Geniusには、色んな意味が込められていますね。
Geniusって、ウルフなのか?パーキンズなのか?
そして、帽子問題です。
ウルフが亡くなって、パーキンズに手紙が届きます。
自分の態度に対する謝罪と、パーキンズへの感謝の気持ちが真摯な言葉で綴られていました。
そこで初めてパーキンズは、帽子を脱ぐんです。
友人
息子
恋人
パーキンズはその瞬間まで、そのどれともウルフを思ってはいなかった?
帽子は、編集者と作家の線引きアイテムだった?
人の心の機微が分からなかったのは、ウルフじゃなかった?
フィッツジェラルドはアルコール依存症が原因で亡くなり、ヘミングウェイは61歳で自殺、そしてウルフは37歳で、放浪の末に病死していますからね。
面白い!
面白い!
面白い!
もう一回。
面白い!
陶酔。
無性に観たい一本だった。日比谷の主館は「削除」だったので、なかなか行けなかったが、最終日にして立川で間に合った。
期待すると自分は殆どハズすが、これは倍返しできて、終わった直後より帰り道で色々模索してたら泣けてきた。こんなん初めてである。
話はトマス・ウルフの伝記になるのだが、その成功を導いた編集者マックスウェル・パーキンズの話にもなる。新人監督ならではの単純な脚本構成になっているのだが、コリン・ジュード・ニコール・ローラによるカルテットが素晴らしい!主役二人の上手さはおいといて、くだらない作品を連発してたニコールが傲慢な薄倖女を披露。存在だけで演技できるローラとの絡みは絶品でした。パーキンスを毛嫌いしてたアリーンが後半デスクで拳銃手に忠告するところから、一気にカタストロフィに話はすべり堕ちるんだけど、コリンの上品度とジュードの下品さが数々の構図を作り出し、名画のような場面が氾濫する。「ネタバレ」にしたのは、これが言いたかったです。編集室で一切帽子を取らなかった → パーキンスの涙 あの最後の最後のカット この持っていき方はコリンの上手さがあったからだが、「英国王のスピーチ」より格別に自分は次元違いに感動した。父の他界した病院で死んでいくトマス。Of Time and the River が苦くもノンフィクションになる波瀾万丈な人生・・・トマスは親愛なる友へ。と敬意を示したが、パーキンスはそんな彼の一瞬たりの人生詩をも世間に伝えたかった「事」を「削除」してしまったことの悔いの涙なんでなかろうか?とか色々模索してたら、帰り道泣けてしまったわけで・・・・。
製作は英で2015とあるんで、たぶん今年の賞レースには乗らない。実際米国での批評家受けは良くない(伝記×新鋭には厳しい)んでオスカーふんたらは無いだろうが、いいじゃん。いい映画は個人の心ん中でいい映画なんだから。んんん・・早くブルーレイが欲しい。それぞれの立場でもう4回は観たい。
シネマシティ Jスタ
才能と創作意欲に惹かれるラブストーリー
「ラブストーリー」と呼ぶと誤解を生みそうで慎重さが必要だが、それでもこの映画のことは「ラブストーリー」と呼びたい。
日本語には「女房役」という言葉があるように、時に同じ目的を共有する者同士の絆と相性を、夫婦に喩えることがある。この映画に登場する作家と編集者のふたりも、さながらそのような関係を築く。互いの才能にほれ込んだ二人が衝突しながらも、絆と信頼の上で傑作を生みだし、しかし次第にすれ違っていくその様は、まるでラブストーリーの筋書きを借用したかのようであるし、作り手もそれを意識しているのでは?と思うような節もある。かと言ってBL的だということはない(その辺だけは誤解を招かないようにしないと)。ただ、作家と編集者の関係を描くうえで、その関係をロマンスに喩えたかのような表現の仕方というのはユニークであるし、それによって関係性が分かり易くなる部分もあり、なかなか悪くなかったかもと思う。
終盤の展開が随分と駆け足で、非常に重要な展開だったわりに実にあっさりと終わったような印象が残る。それぞれの意思がすれ違ったまま訪れてしまう絶対的な別れには、もう少し深みと余韻が欲しかったという気もするし、その言い足りなさを手紙でいいまとめてしまうというのも(文章で繋がれた絆であったとはいえ)ちょっと芸がないのでは?と感じた。
この映画はキャスティングが絶妙だ。何しろコリン・ファースとジュード・ロウだ。ファースは自身のイメージを利用して温かみのある堅物役を買って出て、のびのびと演じるジュード・ロウを受け止める側に立つ懐を見せるし、一方のジュード・ロウはブレイク直後の妖しさや野性味やそれと同時に持ち合わせていた純真さやロマンティシズムみたいなものを復活させており、久しぶりにジュード・ロウのイメージに近いジュード・ロウを見た、という感じがした(ここの所、どちらかというと「性格俳優」的な役柄が多かった)。この二人が演じたことで、作家と編集者の間に芽ばえた燃え滾るような絆と信頼がはっきりと浮き彫りになり、多少の物語の言い足りなさを補うだけの力強さと説得力が出たように思う。
実話を基にした作品だと、ただ歴史文献を読んだだけのような感覚で終わってしまう作品が多い中、この映画は実際の出来事であることを脇に置いても、二人の人間の友情と絆の物語として十分楽しめるものになっていた。その上で、トマス・ウルフの作品を読んでみたい、と素直に感じられる作品だった。
自由で刹那的で奔放な人
ジュードロー、コリンファース、ニコールキッドマンと役者揃いでした。
もともと実話を基にした映画が大好きだし、作家の人生、みたいなキーワードも大好き〔映画も読書も大好きだから〕そしてグレートギャッツビーも好き。
だから期待し過ぎてしまったのかなという印象です。
なんだろう、実話をベースにしているのに、あまり心動かされなかったのは、主人公の人生がまだ大事なものは何か、人生における苦しみ、のようなところにまだ至っていなかったからかしら、と思いました。
でも、最後のお手紙の部分は涙がすっと出たのはなんでしょう。
なぜこうも、刹那的で奔放な人って魅力的なのかしら、
編集者のおかげ。
編集者がいなければ自作本を世に出してもおそらく売れない。
俗にいうタレント本があんなに文列乱れず読みやすい文章に
仕上がっているのは編集者のおかげ。有吉も様付で称えてる。
このパーキンズという人もその世界でかなり有名な編集者で
数々の天才作家を世に出したらしい。フィッツジェラルドも
ヘミングウェイも彼だったのかと驚嘆。今回は若き天才作家
トマス・ウルフとの共闘の日々が描かれる。何しろこの人は
原稿の量が半端じゃなく膨大。全てを読むだけで日が暮れる
ほどだったがパーキンズはこれは売れると直感し出版を約束。
しかしウルフは突飛な性格で付き合うだけでも苦労するうえ、
事ある毎に愛人が口を出してくる。パーキンズが可哀そうな
ほど仕事のやり辛い相手。それでも辛抱強く編集作業を続け
やがて出版されたウルフの本はベストセラーとなるのだが…。
コリン、ジュードの時代を反映させた名演技、まるで正反対
の二人がいかに交流を深めたかがよく分かって感慨深かった。
しかしあれほど神経をすり減らす毎日が続けば身体のことが
やはり心配。ウルフが夭折したのも納得のそんな内容だった。
(パーキンズが家でも帽子をとらないのが不思議だったなぁ)
帽子
ずっと気になってた。
最後まで、脱がない。
食卓につく時も、一人で書斎にこもっていても。
パジャマには着替えるのに。
なんでだろ?
それが、最後の遺書を読む時には脱ぐ。
…なんでだろ?
演出意図を色々想像はできるが、その理由がこの作品にとって重要なのかは疑問である。
作品は、名優たちの芝居を堪能できる。
見応えはある。
想像というか、期待してた内容は恐ろしい速さで通り過ぎていったけど…それでも、見応えはあった。
トーマス・ウルフに造詣の深い方なら、10倍くらい面白いのかも。
やんちゃ演技が可愛いl
主役の二人の演技が素晴らしい。堅実なコリン演じるパ-キンス,やんちゃで奔放なトマス演じるジュ-ド、好対照的で実に宜しい。
スト-リ-としては、淡々としていて盛り上げに欠けるが、天才って短い一生を送る作家が多いですね。まぁ、行き詰って自殺するよりは幸せでしょうから。
genius
2016.10.03 試写会にて
コリン・ファースとジュード・ロウの夢の初共演ということ、文学ファンとしては見逃せない題材ということで鑑賞。結論から言えば良い意味で期待を裏切ってくれた。
まずそもそもが実在した天才小説家トマス・ウルフを私の中で美形俳優という認識であったジュード・ロウが演ずるということに少々の無理を感じていたのだが(何故ならばトマスは大層な巨漢の大食漢であったから)、そんなことは彼の演技を見た瞬間に吹き飛んでしまった。それほどに見事な演技だったからだ。溢れる才能やエネルギー、鋭い感性、繊細さ、無邪気さ、極端な社交性の欠如、傲慢、そして見え隠れする天才が故の不安…どう言い表せば良いのかはわからないが、そんなトマスの魂をジュード・ロウから見て取ることができた。
そしてコリン・ファースもまた、素晴らしいの一言である。カリスマ編集者マックス・パーキンズという役柄上、演じ様によってはストーリー全体を支配できたのかもしれない。だが今作のマックスはそうではなかった。常に作家たちを静かな愛を以ってして支え励ます「黒子」のような存在だった。トマスにとっては同時に友であり父でもあった。そんな難しい役どころをコリン・ファースはなんとも絶妙に抑えた演技で表現している。
相反する二人を喩えるのならば静と動、理性と感性といったところだろう。そこのところのコントラストが実に面白い。編集部の一室で無言でペンを走らせるマックスと、感情が昂り地団駄を踏むトマス。ジャズバーで音楽には興味がないと黙り込むマックスと、そんな彼をも巻き込んで「芸術家」たちの奏でる音楽に興じる自由奔放なトマス。対極しているかのように見える彼らが、次第に打ち解け、互いを認め合い、やがては父と子のようにかけがえのない存在へとなっていく様は観る側を温かな気持ちにさせてくれた。そしてニューヨークのアパルトマンの屋上で二人が肩を抱きながら書くことの意味や物語の持つ力を語り、アメリカを一望するシーンではこの時代ならではのアメリカの影を見た気がする。
また、この作品は構成も秀逸だ。劇中にマックスがトマスの草稿に対し、ハイライトをより効果的にするには無駄なものを削げ、ブレずにシンプルであれと助言するのだが(細かな台詞などは違うが)、これはこの作品自体にも言えることだろう。稲妻のような初恋を表現するのに誇張した形容詞が要らないように、二人の物語を描く上で無駄な美化は要らない。だからこそああいったラストの展開になったのだと思う。トマスの死を変にドラマティックに演出することはせず、死後の描写を無駄に長引かせることもしない。茫々とトマスの死を傍観していたマックスが、二人で声を張り上げながら作品を推敲していたあの編集部のデスクの上で独り、彼が死の瀬戸際に書いた「もう一度君に会いたい」という手紙を読み、堰を切ったように大粒の涙を流す…ただこれだけだ。これだけのシーンで、彼らのすべてが描かれていた。
すぐに切り替わったエンドロールを眺めながら、私は泣いていた。
鮮明に残るのは病により突然倒れてしまったトマスの瞳のアップ。あの時あの瞬間、彼は何を思ったのだろう。誰を想ったのだろう。
この秀作にただ一つ難癖をつけるならば、何故原題であるGENIUSをそのままつけなかったのかという点だ。geniusには「天才」と共に「守り神」という意味がある。映画の内容から言ってもこちらの方が相応しいように思えてならない。劇中あれほどマックスがタイトルの重要性を語っていたのだからこそ、私は尚更に思う。
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