虹蛇と眠る女のレビュー・感想・評価
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ついに売り出されたバーゲンセール女優ニコール
ここ3~4年の間で、年間2本位の割合で映画出演しているニコール・キッドマン
いよいよ40代も後半に差し掛かかった彼女は、バーゲンセールの売り出しに入ったのだろうか?
ここ数年の彼女の出演している映画には、私は全く共感出来る作品が見当たらない。
本作も25年振りで本国のオーストラリア映画に出演と言うのが映画の宣伝、謳い文句とは実に哀しいものだ。
なる程なる程、本作を鑑賞後、やはりこの作品の登場人物の誰に対しても感情移入の出来る人物の登場は無かった。そして、家族は儚くも束の間の夢の様に破壊すると言う事を描いていると言えなくもないが、でも「それが一体何?」と言うようなお粗末なラスト。ヒロインの何の解決も努力も葛藤の深みも感じられない映画は観る価値が有るのだろうか?全く制作意図が見えてこない作品だった。
映画会社の宣伝部でもきっとこの謳い文句以外に何も表現が見当たらない映画なのだと想像した。
ニコール25年振りで、母国の映画に出演するも凱旋とは成らず、玉砕って感じで、残念で言葉を失いますね!
むしろこれでは、今迄の彼女のキャリアに傷が付くのでは?
やはり40代を巧く乗り越えられるかどうかが、男女優共に運命の分れ道なのかも知れない。D・ムーア、M・ライアン、D・ウィンガー等々、この壁は厚いようだ。
日本の女優ではあるけれど、巧い引退をした原節子は本当に素晴らしい我が国が誇る女優だと思う。
美しさ、可愛らしさが売りの俳優程残酷なものはない。
失って気がつく大切な存在。壊れていく母親の理性。
キッドマンは頑張っているのだが・・・
ひとも家族も脆く壊れやすい
舞台は、オーストラリアの砂漠地帯にある100戸程度の小さな町。
マシュー(ジョセフ・ファインズ)とキャサリン(ニコール・キッドマン)の夫妻は、15歳の娘リリー、弟のトミーとともに、最近越してきた。
かつて暮らしていた街で、リリーが学校教師とただならぬ仲になったことが原因で、逃げ出した格好だ。
越してきた町は狭くて娯楽も乏しく、子どもたちは町に馴染めない。
ストレスからか、トミーは夜な夜な部屋を抜け出し、近所を歩き回ったりしている。
ある夜、リリーもトミーとともに、夜、自室を抜け出し、朝になっても帰らなかった・・・というハナシ。
ミステリーならば、子どもふたりが姿を消したのは事故なのか事件なのか、その動機は何なのかが興味の焦点になるし、まぁ、日本タイトルからはそんな映画だろうなぁ、と期待する。
しかし、そんなところに関心を抱いていると、この映画、非常につまらなくなってしまう。
たしかに、ふたりの子どもが姿を消したのは謎めいているが、判ってしまえば、それはありきたりのことだった。
なぁんだ、どんでん返しみたいのはないのか、と拍子抜けしてしまうようなことなのだ。
じゃぁ、この映画の見どころはどこかというと、それは、ひとも家族も脆く壊れやすく、壊れていくさまは恐ろしい、ということ描いていく。
この町に引っ越してくる以前から、(子どもの眼からみると)壊れているマシューとキャサリンの仲。
子どもたちの失踪を機に、ふたりは、仲が壊れるだけでなく、人格さえも壊れてしまう。
ふたりとも情緒不安定になり、マシューは暴力的になり、キャサリンは性的不安定なっていく。
その崩壊力は、子どもたちを捜索の中心となる警官のレイ(ヒューゴ・ウィーヴィング)にも及び、彼とアボリジニの恋人コリーンとの仲にも亀裂が入る。
この壊れていくさまを、ニコール・キッドマンもジョセフ・ファインズもリアリティをもって表現しており、鋭く胸に突き刺さる。
特に、行方不明の子どもを案ずるあまり、アボリジニの虹蛇の伝承にまですがらざるを得なくなってしまうキャサリンには、ニコール・キッドマンの体当たりの演技もあって驚かされる。
ラスト、マシューとキャサリンは少なからず互いを理解するのではあるが、すべてを受け容れたわけでもなく、この落としどころも、また現実的だと感じました。
みんな自己中
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