劇場公開日 2017年1月28日

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「どうしようもない多様性」タンジェリン 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0どうしようもない多様性

2025年3月23日
iPhoneアプリから投稿

ハリウッドやシリコンバレーといった華々しいイメージによって過度に虚構化されたロサンゼルスという空間を、今一度再構築する。それゆえ本作ではiPhoneというチープな撮影機材が動員される。遠近を失った映像の中に浮かび上がるロサンゼルスの街並みは、ハーモニー・コリン『ガンモ』に映し出された田舎町のごとく鬱屈としていて行き場がない。

欠けたアスファルトの舗道を右往左往する人々の中に煌めくハリウッドスターやギラついたテクノリバタリアンの姿はない。代わりに、身なりの汚い中年男性や化粧の濃いトランスジェンダーや出自不明のマイノリティ民族らが我が物顔で街を闊歩する。

混沌は映像のみならず音声の領域にまで波及している。主人公たちが場所移動するたびに流れ出す場違いなEDMやヒップホップが爆音もまた、ロサンゼルスという空間のどうしようもない多様性を高らかに謳い上げる。ここでいう多様性とは、理知的な運動ではなく、諦めと無秩序の結果に他ならない。

アナーキーな愚か者たちは街のほうぼうで各々の痴態を演じながら、最終的にドーナツ屋という特異点に結集する。ドーナツ屋というのがまたいい。◯◯屋の中で最もバカそうだから。

愚か者たちのカーニバルはドーナツ屋の店内において最高潮を迎え、そして爆散する。ここで終幕すれば単なる露悪趣味の映画だが、本作は最後に微かな再生を予示する。黒人のトランスジェンダー女性にとって最も重要といえるカツラを小便で汚されてしまった親友のために自分のカツラを差し出す、というのが本作のラストショットになる。

コインランドリー、性的マイノリティ、仲直りというエレメントから我々は『マイ・ビューティフル・ランドレット』を否応なく想起するだろう。無数の洗濯機は彼ら/彼女らの間に蓄積した疑念や憎悪を洗い流すものであると同時に、同じところをグルグルと回り続け永遠にどこへも辿り着けないことのメタファーとして機能する。

因果