「【”民族とは何であるのか。何故に異民族同士は争うのか・・。”という難解で深遠なテーマを斬新な構成で描いた作品。だが、この国で大多数を占める大和民族の男にとっては真の理解は難しいと思った作品でもある。】」灼熱 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”民族とは何であるのか。何故に異民族同士は争うのか・・。”という難解で深遠なテーマを斬新な構成で描いた作品。だが、この国で大多数を占める大和民族の男にとっては真の理解は難しいと思った作品でもある。】
ー 今作で1991年、2001年、2011年の三つの時代で描かれるセルビア民族の女性と、クロアチア民族の男性の愛憎の物語を”日本と言う島に住むほぼ同一民族である、大和民族の男”が真に理解することは、非常に難しいと思った作品である。ー
■この作品の構成は、観れば分かるが、クロアチア民族が旧ユーゴスラビアからの分離独立及び、クロアチア人とセルビア人との民族対立をめぐって起きたクロアチア紛争が始まった1991年を皮切りに、
紛争が表面上終結した2001年
近代化が進み紛争の面影がバルカン半島から表面上、ほぼ消えた2011年
を舞台に、セルビア民族の女性と、クロアチア民族の男性の3つの異なる愛憎の物語を、同じ俳優2人が演じている。
当時の資料では、それを”1つの愛の物語 2つの民族 3つの時代”と表現している。
◆感想
1.1991年の物語
・民族紛争勃発前夜に永遠に引き裂かれた男女、イヴァンとイェレナの哀切極まりない姿を描く。
ー 3つの物語の中では、民族間紛争の哀しさを最もシンプルに描いている。愛する女イェレナを遠目に見ながら、トランペットを吹くイヴァンの姿と銃声が哀しい。ー
2.2001年の物語
・クロアチア紛争は、表面上は収まったが、セルビア民族と、クロアチア民族の間に出来た溝は埋まっていない事が、兄をクロアチア人に殺されたナタシャと、父をセルビア人に殺されたアンテの恋の中で、痛切に描かれている。
ー ナタシャが思い出の海岸にアンテと行った際にお互いに口にしてしまう、”言ってはいけない言葉”が哀しい。ー
3.2011年の物語
・平和を取り戻した現代。
過去のしがらみを乗り越えようとするセルビア民族のマリヤとクロアチア民族のルカ。
ー 二人の間には幼き子供がいながら、過去の二人の間の出来事を乗り越えられない姿。ー
<日本と言う小さな島で圧倒的大多数を占める大和民族(他は、アイヌ民族と琉球民族であるが圧倒的少数民族であり、且つ差別の対象であった。)に属する者にとっては、今作が訴えかけてくる”異民族同士は、何故に争い合うのか”という難解で深遠なテーマを真に理解する事は、難しいと思った作品。
同一民族でも、大国の思惑により長年対立し続ける朝鮮民族や、ロヒンギャの様に、近年まで存在自体を否定されつつあった民族。
民族とは、一体何なのであろうか。
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれたバルカン半島で、数世代に亘り、民族間紛争を経験してきた家系の人間でないと、本作の本質を理解することは、非常に難しいと思った作品である。
但し、映画として観た場合には構成の特異さや斬新さ、3つの時代を生きた異なる男女役を演じたゴーラン・マルコヴィッチと、特にティハナ・ラゾヴィッチの姿には強烈な印象を抱いた作品である。>
<2017年9月10日 京都シネマにて鑑賞>
<2021年9月12日 別媒体にて、再鑑賞>