「ポーラの家族にエール!」エール! ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)
ポーラの家族にエール!
映画を見終わった後、爽やかな余韻が残る作品です。
エンディングで披露される、主人公ポーラの歌声は圧巻。
彼女はフランスの田舎町の高校生です。
合唱の授業を受け持った音楽教師から、天性の歌声の素晴らしさを見出されたポーラ。
「君をパリの音楽学校へ推薦したい」
ど田舎の集落しか知らない高校生にとっては夢のような話です。
音楽学校入試のための特訓が始まります。
しかし、ポーラは今ひとつ練習に身が入りません。彼女には、一つの悩みがありました。
彼女の家族は、パパ、ママ、弟、みんな耳が聞こえず、話ができない、聾唖者なのです。健常者はポーラただ一人。
本作の冒頭、よく注目してください。一家の食卓の風景が映し出されます。
ママは料理をしている。テーブルにお皿の用意をする。
ここ、バックに音楽を入れてないんです。
そしてママは料理をする時に、鍋を必要以上にガチャガチャ言わせる。お皿とお皿がガチャガチャぶつかる。
これらの音がわざと強調されて観客に提示されます。
ポーラは「うるさいなぁ~」とうんざりした顔をしているのですが、パパもママも全然気にしていない感じなのです。
だって、パパもママも、これらのうるさい「生活音」は、「聞こえていない」のですから。
ポーラの家族は一家総出で酪農を営んでいます。自家製チーズを作り、市場で販売する。お客さんとのやりとりは、いままでポーラの担当でした。
でも、もしポーラがパリの音楽学校へ行ってしまったら、残された家族はどうするのか?
聾唖者の家族が、健常者相手にまともに商売ができるのでしょうか?
本作は、一人の才能あふれる女子高生と、彼女を愛情たっぷりに育て上げた聾唖の家族のお話です。
障害者というモチーフを作品に持ち込んでいますが、全然暗さや湿っぽさを感じさせない。
むしろ、終始コミカルなタッチで描かれています。
この辺りが監督の手腕ですね。
たくましさあふれるパパ、人一倍ポジティブで、楽天家なママ。
ちょっと根暗だけど、愛おしい弟。
みんな聾唖というハンディキャップはあるけれど、ポーラにとっては何物にも代えがたい家族です。
時にはちょっと厄介でめんどくさいけれど、何があっても家族全員で問題に立ち向かう。それがポーラの家族の特徴なんですね。
折しも、村長選挙が間近に迫ってきました。立候補者は、この集落に大企業を誘致するんだ!と威勢のいいことをアピールして廻ります。
企業誘致?! そんなことされたら、ポーラ一家の農場だって買収されてしまうかもしれない。そこでポーラのパパはなんと村長選挙に立候補。
集落の農業、酪農を守るんだ!! とパパはやる気満々。
ちょっと暴走気味の姿は、まるでドン・キホーテのようでもあります。
そんなパパをポーラたちも家族ぐるみで応援。
これら一連のエピソードがうまく編集され、この家族の暮らしそのものが、いとおしいほどの「可笑しみ」の表現につながっているんですね。
また、パパ、ママ、ポーラたちは「手話」で話をします。その間、観客は字幕と俳優たちのマイムで会話の内容を知るわけですね。
この部分、要するに「無声映画」なのです。
かつてのチャップリンやキートンが活躍した時代は無声映画でした。
映画俳優は言葉を喋らなかったのです。
本作はその無声映画の時代へ、あえて先祖帰りした感じがあります。
そういえば同じくフランス映画で、第84回アカデミー賞作品賞を受賞した「アーティスト」(2011年製作)という素晴らしい無声映画がありました。
セリフが一切なくても、マイムだけで十分に映画芸術は成り立つのだ、ということを、21世紀の現代で証明した作品でありました。
本作もその流れを巧みに取り入れているのです。
なお、僕が本作で改めて確認させられたのは、フランスは農業大国なのだ、ということです。
日本であれば、家族単位の農業というと「零細」のイメージが当たり前です。
ところが、ポーラの家族農場、その規模の大きいこと。お父さんの乗るトラクターのタイヤは人の背丈より大きいのです。この大きなトラクターで広大な農場の干し草を刈り取り、牛の餌にしています。
そして、ポーラの住む家の雰囲気がまたいいですね。年代を経たであろうと思わせる石積みでつくられた、郷愁を感じさせる家なんですね。
たとえ、家族が聾啞という障害を抱えようとも、ポーラをど~んと受け止めてくれる、暖かな家庭。その象徴のような石造りの家。
この家族だからこそ、ローラは未来へ向けて一歩を踏み出せたのでしょうね。