「男児の潔い決断が際立つ社会派映画」ぼくらの家路 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
男児の潔い決断が際立つ社会派映画
ドイツを舞台に母親に見捨てられた幼い兄弟が帰る場所を探す『ぼくらの家路』、ストーリーはこう。
ジャックとマヌエルはシングルマザーに育てられる10歳と6歳の男の子。
ふたりの容貌の差異もあり、母親の男出入りが窺い知れるところ。
生活も苦しく、まだ自分の自由を謳歌したい母親は、生活保護機関に相談して、兄のジャックを保護施設に、弟のマヌエルを自身のもとに引き取ることとした。
サマーシーズンとなり、多くの仲間が親元に引き取られることになったジャックの施設であったが、ジャックのもとには母親から「迎えにいくのが2日ほど遅れる」との電話があった。
施設でトラブルを起こしたジャックは、母親の迎えの日の前に施設を離れることにしたが、母親の行方が杳として知れない・・・
触感はダルデンヌ兄弟の映画を思わせる。
つまり、説明は排除し、主人公に寄り添って、物語を進めていくという手法。
まだ10歳にしかならないジャックの、母親探しと生まれ育ったベルリンの街でのサバイバルが描かれるのだが、ダルデンヌ兄弟の映画と比べると、少し緊迫感を欠いているような感じがする。
物語の語り口のせいかもしれないし、それまでの母親の生き方に依存するのかもしれないが、母親探しの行程において観客の知らない場所・人物が頻出してしまう。
まぁ、伏線を張ればいいのかもしれないが、そうすると、この映画のドキュメンタリーイズムが崩れるし、尺も長くなるので、それは出来ないところ。
終盤は意外や意外な展開となって、それまで以上の社会性を感じます。
つまり、行方知れずの母親は3日後あっさり自宅に帰還し、サバイバルを繰り広げた子どもたちと再会するのだが、再会をよしとして終わらせず、母親の無軌道で自堕落な生き方をジャックは良しとせず、決断する。
この映画の「決断」で終わらせるのは、まさにダルデンヌ兄弟の映画を思わせる。
この潔さはこころよい。
個人の意思が、社会派映画を成り立たせている。
これがこの映画の特筆すべき点である。
唐突に失礼致します。
レビューを読ませて頂き共感しましたが、気になる点がありましたので私の解釈をまことに勝手ながら書かせていただきます。
ただの戯言ですので返信して頂かなくて構いませんし、直ぐに消して頂いて何ら問題ありません。
上の子供を預けたのは自ら相談したのではなく、下の子供が火傷をしたことにより病院に行き通報された為、つまり引き離されたのかと。
下の子供は母親から引き離すには幼すぎで免除。
上の子供を預けることに一度は仕方ないと受け入れたけど、土壇場でやっぱり嫌だと憤り結局引き離された。
病院のシーンの後にそういう描写がありました。
母親が子供を疎ましく思っている訳ではなく愛情はあると言うことの強調ではないでしょうか。
それなのに久々の子供の帰省も後まわしというだらしなさ、弱さ、能天気さが…最後の決断は単に見限ったのではなく、弟の為であり母親の為でもあるという更に深いものに感じられると思います。