コングレス未来学会議のレビュー・感想・評価
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とてもリアルな未来像
この映画の提示する未来像は、破滅的であるがかなりの部分が現実のものとなるのではと思わせる。そしてそれが思いの外心地よいものになるかもしれない。
旬を過ぎた女優が、全身のデジタルデータを提供し、CGで完全再現が可能な技術がある。一度スキャンすればあとは女優自身は必要ない。スキャンデータとして映画の中で永遠に再生産可能。そして人は思い思いのアバターになって暮らせる社会が到来する。まるでバーチャルYouTuberのようだ。
人は生まれ持った外見を捨てられない。整形などの手段はもちろんあるが、この映画が描くのはその延長線上のものだ。そしてそれは現実に起こりつつある。それは悪いことばかりとも言えない。VRの世界で自分の心の性別に簡単になれる。トランスジェンダーの人々の間でこうした技術は期待されている。一方で映画が描くように退廃的な世界を生むかもしれない。
苦しい
なんなんだこれは
何が幸せなのかという話で救いがなくて苦しい
見た後に生きることが馬鹿馬鹿しく思えてしまい、この先の人生どうしようと思ってしまったので危険。人におすすめはできない
馬鹿馬鹿しいのが見たくなってキルビルで口直しした
作品のアイデンティティは著作権
思考実験かつアートな1本。
ゆえに物語の起承転結へ没入しようとした場合、
説明不足や設定の腑に落ちないところが目立つのではないかと感じた。
だがここではないどこか、幻想の中で生きるとは、
を突き詰めようとしたアート作品であると理解すれば、疑似体験に浸れる作品と観る。
実写とアニメのギャップ。
美しくファンタジーあふれる夢心地なアニメ世界の、しかしながら行き詰まり退廃的でどこか影がつきまとう雰囲気。暗い現実の、しかしながら不思議な安心感。
どちらを自身の現実として生きるか、迫るにいずれも帯に短したすきに長しで、悩ましいところが暗に何かを言わんとしているようで絶妙だった。
他にも多数あろうが「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」と基本的設定は似ている、と理解しなおしたとたん見やすくなっている。
時代が追いつき昨今のAI 事情とリアルに絡む分、
作品もその存在はひとつ模擬人格であり、
そこには確かにアイデンティティ(著作権)がある、と本作から理解できる。
なりたい姿(他の著作物)で生きる世界はつまり、
自由なようで自身のアイデンティティを放棄した生ける屍の世界ではなかろうか。
冒頭に記述した退廃的な雰囲気の原因をそう考える。
これをネット上のアバターと考えるとなおさら仄暗い。
そして物語のラストも。
どう考えてもトム・クルーズ的アニメキャラがチラチラ出入りしていて、
ちょっとニヤけながら見てしまったw
Ari Folman監督が描く近未来の世界はdystopiaなのか、それとも…
前半は痛烈な現代マスメディア(とくにハリウッド業界)批判、後半は一転してアニメーションを通じてドラックとXRに覆われた近未来の世界を描いている。
そこでは人びとがなりたい人物になりきることが可能な世界であり、他人とのコミュニケーションも問題なくできて、容易に自己実現が可能な世界。
大半の人びとは拡張現実の世界で生きているが、一握りのエスタブリッシュ層だけがまさに「天空」の世界で現実世界を生きている。
極端な所得格差で分断された社会と「見たいものだけを見る」世界はすでに今ここに在る世界であり、この作品で描かれている世界はその延長線上に過ぎない。むしろその社会課題の解決策を提示しているともいえる。
この作品で描かれている世界はディストピアなのか。近未来の向こう側からみれば、こちら側の現実世界がディストピアとみえなくもないのではないかと。
向こうにみえる景色がディストピアかユートピアかはそれぞれの主観的価値観にもとづくものであり、ヒトの主観的価値にもとづく課題はTechnologies によって十二分に補完できるというのがPeter A.Thielの主張で、その主張は直接間接問わず社会に受け入れられつつある。
この作品を通じて、私たちはこれからどのような社会を迎えたいのか、個人個人が考えて周りの人と議論することは決して無駄なことではないと思う。
観終わって切なくなった
内容はさておき
私も主人公と同じ母親なので後半は
どうしても主人公の中の母性を観てしまい
ラストの彼女の行動はやむをえないと思った
(ラストは難しくてあまり理解できなかったが)
観終わって心に切なさが残り続けている
薬でアニメの心地よい空間をさまようのは
やはりみな孤独だからなのだろうか?
主人公のとった最後の行動をみると
そうとも考えられる
まずしいなかでも愛するもの仲間がいえば
インチキ仮想空間で楽しまなくても
生きていけるのかもしれない
近い未来
苦しいことが起きると仮想現実に
浸り続けるなんてことがおこるのだろうか
奇才アリ・フォルマン
題名は着想を得た原作名からの引用で映画自体は会議ものではありません。
ロビン・ライトが自身の役名で落ち目のハリウッド女優を演じていますが実際の私生活を批判しているような老マネージャーの暴言にドキュメントか?と思ってしまいます。人物紹介が終わったあとハリウッドの映画作りの風刺へと矛先が変ります。唐突におとぎ話のようなアニメーションの世界にトリップしてからはアニメーションで往年のスターを描きこんだり遊び心満載です、しかし油断禁物、映画会社の社名には和名が加わり社長は和服、顔はビルゲイツ、演説様式はヒットラー、監督の日頃の疑念やホロコーストへの怨念が垣間見えます。考えすぎでしょうがアニメ手法採用も巨大化したディズニープロへの物言いかとも勘ぐりたくなります。
未来では映画産業は終焉しドラッグによる仮想現実という流れですが描かれる現実自体が仮想なのかリアルなのか混沌として早く実写に戻してと祈りたくなります。
戻ってからがまたすごい、未来社会の側面は貧民窟並みの退廃さ、いきなり死生観を問うようなシリアスなテーマに様変わり。
脳がやられるのではないと怖くなるほどの奇抜なプロットと卓越した表現力に脱帽です。
中盤のアニメが長い
なんとも難解な話だと思いながら観ていて、終わってから知った。「ソラリス」と同じ原作者。どうりでって感じ。難しい話が嫌いなひとには絶対におすすめしません。
実写の部分はとてもよくて、でもこの話で2時間も続くかなと思ってたら、アニメのところでかなり引き伸ばした印象を受けた。あそこはもっとシンプルにできたと思う。
あと、アメリカだからやっぱりアニメの質がよくなくて、日本でつくったらもっといいものになっただろうなと思ってしまった。
なぜアニメ?
名前が似ている(?)というだけで未来世紀ブラジルみたいな映画を想像していましたが、完全な誤解。これは映像軽視な気がします。CGが題材になっているくらいですから、後半の全然かわいくないアニメに代わって、CGを使うくらいのカネはかけてほしかったです。でなきゃ、これ、あえて映画にする必要あります?
現実と仮想現実のすり合わせが不十分
2015/11/05、シネマ ジャック&ベティで鑑賞。
俳優の姿をスキャンして現実の俳優は使わずにCGに置き換えて演技させてしまおうという近未来の話。その技術が高じた結果一般人までもが望みの姿で生きられるということが可能になるが、それはまやかしだった。
果たしてそんな世界がユートピアと言えるのか、そして母の息子への愛が作品のテーマだと思うけど、テーマは好きな部類なので期待して観に行ったのですが、アニメに変わったあたりからが残念。
この世界に生活感がないんです。マトリックスはコンピュータが世界を支配していましたが、この世界ではあくまで現実側で生きている人間が管理しているようなので、どう経済を回しているのかとか、ちょっといろいろ無理がある設定。
アニメーターを解雇したパラマウント社やハリウッドへの批判が込められているらしいけど、それは観る側には関係ないし。
仮想現実まで実写で作るほど予算がなかったのかもしれないけど、それなら戦場でワルツをみたいに前編アニメにしたほうが良かったかも。
(手をいっぱい広げて)こんぐれーの不思議
とても不思議な映画だった。体調は決して悪くはないのに、睡魔に襲われるしかし、それは決してつまらない映画なのではなく、音楽も相俟って夢うつつの世界を何度も往復している内に本当の自分との境界線があやふやになっていくようなそんな気持ちにさせるのだ。
色々なアイロニーがこもっているテーマでもある。デジタルの世界が進めばもう自分が必要ではなくなるだろうし、そのデジタルでさえも、ケミカルなモノを使えば、リアリティさえも必要としなくなる。その先にはキアヌリーブスの世界、、、あ、だから台詞の中にあったんだw
主人公はフォレストガンプの女優。そのまま自分役を演じている。その曖昧さがまた芝居と現実との境をぼやかしてしまう。そのぼやかしが妙に心地よい。
結局、ラストの部分は何を訴えたかったのか、理解は出来なかったが、でもそれでこの映画は完結するものだとおもう。
空の青さ、雲の位置、沢山のエキストラ、どこまでが実写でどこまでがアニメ・・・
パンする毎に切り替わるその不確かなイメージ。とても新鮮でとても夢のような映画だった。
うーん……
アニメパートが始まってからは眠気との戦いでした。まったく引きつけられないという(^-^;
難しい、というよりは単にわかりづらいという作り手側の責任でしょうか。おそらく原作は文章だから成立できていた世界観だったのでは。そこから映像化に際しての省略もあるだろうし。
日本のアニメを多く見て育った身としては画面に、演出に、細やかな表情に、と日本アニメのレベルの高さを改めて感じる映画となりました。日本で作ったらもっと理解し易く面白い作品になったのでは、と思ったり。
広告ビラで知った時点でこれは面白そう!と即観に行くリストに入れ、某ラッパーさんも奨めていたこともあり、大変楽しみにしていたのですが……残念。
よくもこんなに創造できるものだ
実写とアニメを見事に使い分けていた。
実写があるからこそ、アニメにおける自由な発想がより際だって見えて、ビジュアルだけでも楽しめる。
映画の始まりは、何か薄っぺらさを感じたが、それも意図したことなのだろうう。そのチープが故に笑える演出を楽しめたし、後に展開されるアニメと実写の展開の布石として、見事なものである。
自由奔放に展開され、見ているこちらが舌を巻いてしまうくらいの創造力だったのだが、途中から、これはどうけりを付けるつもりなのかと心配になって、その懸念も半ば当たったかのような半端な終わり方をしたように思う。分かるような分からないようなモヤモヤした感じ…。個人的には、もっと分からなくてもいいくらいに、制作者側中心の創造性を爆発させて終わってほしかった。とはいえそれは贅沢すぎるかな。
非常に良い映画
見たいモノしか見ない世界を描いた作品。
本作の魅力は滲み出る違和感。
冒頭は現在技術の延長線上を描く近未来。
「数十年後、いや数年後はその状況に。いや、知らないだけで今でも……」という想像が付き易い、違和感の無い近未来を見せた上で。
そこから急激に進展した未来の世界に観客を拉致する。
“拉致”という表現を使いたくなるような急激な世界観の変貌。
或る種の酩酊感を伴う急激な変化により否応無く作品に惹き込まれます。
無理矢理連れて行かれた中盤以降に描かれる世界は一種のユートピア。
或る種のフィルターがかけられた世界はネガティブな要素がまるで無い。
…と見せつつ、ユートピアという言葉の印象が何処か“ディストピア”の要素を匂わすのと同様に。
部分部分で不穏な雰囲気が滲み出ている。
周囲の人間が熱狂する姿を描かれる中で何処か距離や不信感を覚える主人公と共に。
観客はその世界観に違和感を覚え始める。
被膜のような違和感は折り重なり何層にもなり。
しかし違和感の確証は得られず不安ばかりが煽られる中で迎える或る時点。
正に“我に返る”瞬間。
その瞬間に思わず息を呑み……状況を理解して……深く息を吐く。
その一連の感情の揺さぶりに痺れました。
人々が見たいモノしか見ない世界を描いた本作。
正直、上映時間120分は少々長い。
描かれる物語が、要素が全て必要とは思えず。
中盤以降に差し込まれる或る人物との逢瀬等は中弛み感が否めませんでしたが。
その点を差し引いても急激な世界観の変貌に伴う酩酊感は魅力だと思います。
前情報を殆ど入れず、作品に乱暴に揺さぶられ酩酊感を味わうのが正解かと。
オススメです。
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