「圧倒的映像美。だけど肉体が復活することは幸福なことか疑問?」屍者の帝国 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的映像美。だけど肉体が復活することは幸福なことか疑問?
作品レビュー
★★★☆☆
日本SF界のポープであったものの2009年に肺癌で夭逝した伊藤計劃の絶筆として河出文庫の『NOVA1』に収録されていた未完の原稿約30枚が、そもそもの原作のもと。それを遺族から承諾を得て友人の円城塔が原稿を引き継ぎ、2012年8月に『屍者の帝国』として刊行したのが本作の原作となりました。
舞台は19世紀末、ヴィクター・フランケンシュタインによって屍体の蘇生技術が確立され、屍者が世界の産業・文明を支える時代が到来していたイギリス。なんと屍者が産業革命で枯渇していた労働力を補填していたのです。
そして主人公のロンドン大学の医学生ワトソンは、異常なまでに死者の蘇りに執着して屍者技術の開発に没頭していたのでした。
その理由は、屍者技術を共同研究していた親友フライデーの死。その親友の肉体を使って、自らの手で記録専用屍者として違法に復活させたものの、感情や思考は失ったまま。ワトソンは、完璧な屍者技術を完成させて、フライデーを元の親友の生前の頃に戻すことの一念で、研究に没頭していたのでした。
ワトソンの違法行為を知ることになった、政府の諜報機関「ウォルシンガム機関」の指揮官「M」は、ワトソンと密会。その技術を見込まれて、機関の一員に迎えられ、アフガニスタンでの諜報活動を依頼されます。その目的は、屍兵部隊と共にロシア軍を脱走してアフガン北方に「屍者の王国」を築いた男カラマーゾフの動向調査でした。
ワトソンはフライデーを連れて、機関に所属するバーナビー大尉と、ロシアから派遣された諜報員クラソートキンと共にアフガン奥地の「屍者の王国」を目指します。
辿り着いた「屍者の王国」で彼らを待っていたカラマーゾフは、かつてフランケンシュタインの創造した最初の屍者ザ・ワンが生存し、人造生命創造の秘密の記された「ヴィクターの手記」を所持していると告げ、ザ・ワンの追跡を依頼します。そして
ザ・ワンは生者のように話ができると知ったワトソンは、フライデーにも適用できるのかと色めき立つのでした。
以降ストーリーは、ワンの消息と「ヴィクターの手記」がキーアイテムとなって、屍者を暴走させるテロ集団「スペクター」や「ウォルシンガム機関」の下部組織「ルナ協会」の部隊などが入り交じり、手記の争奪戦が繰り広げられます。
その中でワンと遭遇したワトソンたちは、ワンから屍者化の推進は人類の破滅に繋がると警告を受けます。ワンの提案を受け入れたワトソンたちは、ワンとともに屍者解析機関があるロンドン塔に乗り込み屍者化の阻止に乗り出します。
しかしザ・ワンによって「屍者の言葉」を理解した解析機関は実体化し、全生命の屍者化を始めるのです。果たしてワトソンは人類の危機を止められるか。そしてフライデーを約束したとおり、元の人間として復活できるかというお話しです。
屍者が蘇生して文明が栄える世界いう、実際の歴史と異なった背景描写。その違和感を和らげるのが19世紀の街並みの緻密な町並みの描写とともに、当時開発が始まったばかりの機械式計算機の精密な描写。それが当時の科学水準でも、屍者が蘇生しそうな雰囲気を醸し出しています。そしてなにより淡雪の舞い降る町並みの情景や、魂と思われる光の乱舞する光景が、どのアニメ作品よりも美しいのです。さすがは『進撃の巨人』シリーズなどを手掛けたWIT STUDIOならではの画質の高さが印象的でした。
しかし霊的科学を標榜しているように見えて、本作の実態はかなり唯物論的です。霊的な存在や輪廻転生には全く触れようとせず、人間の意識=霊的実在も物質的な実体として暴こうとします。本作ではフライデーが生前に、魂とは「重さ21グラムの霊素」出てきているのだとワトソンに語ったシーンが何度も回顧されます。それが原作者伊藤計劃のSF観かもしれません。
ワトソンは、エジソンも引き合いに出しましたが、エジソンは屍者が蘇生でなく、霊界ラジオの研究を通じて、屍者の世界とのコンタクトと魂の生まれ変わりのシステムについて科学しようとしたのです。
宗教の立場から本作をみれば、親友の肉体の復活に汲々とするワトソンの科学万能主義に疑問を感じてしまいます。本当に親友を復活させたいのなら、屍者技術よりも、信仰による蘇生の科学的解剖に向かうべきでした。
その例としてあげるなら、イエスさまが、死せるラザロよ生きよと一喝しただけで、ラザロは蘇生した事例があるのです。ラザロは死んで埋葬されたのにもかかわらず、元のように蘇生したのでした。その聖書の記録を信じるなら、親友の復活の可能性を信じて、主なる神に、全身全霊で祈りを捧げるべきではなかったかと思います。
さて、物語が終わった本編エンドロール後に、本作は意外な展開をみせます。ロンドンを舞台にしたワトソンという存在は別な物語の相棒として、有名です。では、その別な物語の主人公となる存在の正体とは誰か?という問いかけが、本作のある登場人物に暗示されていてビックリしました。
原作を大幅に省略しているため、いささかストーリーが飛び飛び気味です。原作を読みこなしてからの方が、伊藤ワールドに深く感情移入できることでしょう。