「わかりやすい寓話であるが、観客にはツラすぎる」神々のたそがれ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
わかりやすい寓話であるが、観客にはツラすぎる
ロードショウのときは、ゲルマン監督の作品は1本も観たことがない上に、原作はアンドレイ・タルコフスキーが映画化した『ストーカー』と同じくストルガツキー兄弟だし、その上、モノクロ3時間という代物。
よっぽどの覚悟を決めなければ・・・と、二の脚を踏み、今回特集上映で鑑賞。
ストーリーはよく判らない。
設定はナレーションで説明されるが、惑星の住人たちとの攻防など、誰がだれで、どういう立場なのか、あまり説明がないまま進んでいくから。
ロードショウ時に観た友人曰く、
「ストルガツキーの原作は1960年代に発行されて、ロシアではベストセラー。ほとんどのひとがストーリーは粗方知っている」
はずなので、
「あまりストーリーの説明には重きを置かない演出をしている」
らしい。
という前知識だけはあったので、ストーリーが判らなくてもいいか、って気持ちで観ていました。
じゃあ、どこに力を置いているんだ、というと、とりもなおさず画面づくり。
中世ルネッサンスを思わせる石造りや土壁の住まい。
三方を沼に囲まれ、突然降る粘つくような豪雨と長く続く霧の相乗効果で、道という道は泥まみれ。
甲冑をまとった「神扱いされている」ドン・ルマータはまだしも、それ以外の登場人物は、これでもかというほど汚れに汚れている。
その上、泥や汚物を顔に塗りたくる風習など、生理的に受け付けないような行動をとるひとびと。
それを長廻しのカメラで撮っていくのだから、うーむ、臭いまで感じそうで辟易する。
しかし、30分ぐらいすると、その風景にも慣れてきて、なんだかストーリーもおぼろげながら判ってくる。
知識人たちを次々と処刑していた上層階級がいて、その周りに兵士がいる。
かつて、その上層階級から追われた僧たちが僧兵となって、都へ舞い戻ってくる。
そして反乱を企てていた農民たちの集団は、都を離れて逃げていたが、あるとき都へやってくる・・・
と、たぶん、人間の歴史を短い時間のなかで再現しているようである。
神扱いされているドン・ルマータは、そういう上層階級や僧たちや農民たちに傍若無人に振る舞うが、決して手を出したりはしない。
なるほど、そういうことね。
原作のタイトルは『神様はつらい』。
なにもしない、なにもできない神にとっては、人間が繰り返す行為そのものが耐え難い、ということなのだ。
終盤、ドン・ルマータは、文字どおり「神は、つらい」と言うが、「神は、無力だ」とも言う。
地球と異なる惑星でも、人間の行うことは「蛮行」にほかならない。
それを、「単に観ているだけ」なのは、つらいはず。
それをゲルマンは画面でみせる。
画面づくりだけではなく、カメラワークも使って、である。
長廻しのカメラで撮っていく中で、登場人物の多く(その場面のハナシを進めていく役の登場人物ではなく、傍の登場人物だが)は、カメラを意識して、カメラの前を通り過ぎたり、カメラを覗きこんだりする。
それは、席に座ってみている観客に向って視線を送っているのである。
つまり、ドン・ルマータだけではなく、観客も観ているだけなのはでツライだろう、よく目を見開いて観ろ、というのがゲルマンの意図だろう。
クライマックス、掟を破ってドン・ルマータは都の住人を殲滅しようとする。
そして、ほとんどの住人は死に絶える。
しかし、都を離れていたひとびとが戻ってくる・・・
突然降る粘つくような豪雨の季節は秋だった。
一転して雪景色・・・
になるが、生き残ったドン・ルマータは数少ない人々と一緒にいて、映画の冒頭と同じ行為を繰り返す。
人々の対応も同じままに。
まとめてみると判り易い寓話であるが、それにしても・・・ゲルマン、凄すぎ!