劇場公開日 2015年11月7日

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サヨナラの代わりにのレビュー・感想・評価

全46件中、41~46件目を表示

4.5よかったです。

2015年11月8日
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鑑賞方法:映画館

いい涙が溢れました。

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かん

4.0泣いちゃった。

2015年11月7日
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鑑賞方法:映画館

最強の2人を思い出す作品。
話はなんとなく読めますが、分かっていても泣けました。

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いづみ

3.5近頃の難病映画は生きている時のことを描くのさ

2015年10月24日
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鑑賞方法:試写会

ヒラリー・スワンクがALS(筋委縮側索硬化症)を発症した女性を演じる『サヨナラの代わりに』、ポスター等のデザインでは、車椅子にに乗った彼女を後ろから支える若い女性(エミー・ロッサム)の姿があることから、なんとなく『最強のふたり』をイメージします。

難病もの映画も最近は変化しているのでありまして、主人公が死んじゃうことで涙を絞るということはよしたようです。
この映画もそのとおり。

早くに、ケイトの病気がALSであり、克服困難な病気であることを告げます。

つまり、残された時間をどのように生きるか、その時間で、登場人物のだれが新しい人生のキッカケを得るか、ということに焦点が置かれます。

映画では、ケイトの看護人で、少々無軌道で自堕落で男癖が悪いベックが変化していくわけですが、親密になっていく過程がちょっと類型的かしらん。
女子大生にしてはとうが経ったエミー・ロッサムが演じているのも、いささか作り物めいてしまっている。

そこを補うのが、ヒラリー・スワンクの演技。
アカデミー主演女優賞を得た『ミリオンダラー・ベイビー』を髣髴とさせる(もしくは凌駕する)ような演技で、その日増しに衰えていくさまは心に突き刺さる。
後半、もう手の施しようがない段になってからは、先の作品以上の決意も感じさせます。

また、同じALSを患った黒人女性夫婦との交流なども途中描いており、残された時間をどのように充実させるのかのも巧みに描いています。

ただし、そのような生きる力を前面に押し出しているので、本来ならばもっと悲壮感があるのではないかと思われる描写が少ないあたり、米国メジャー作品でないにも係わらず、少々エンタテインメントに寄っちゃったかな、とも感じました。

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りゃんひさ

4.0心に響くフィナーレ

2015年10月22日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

笑える

難しい

難病ALSに侵された女性と彼女を介助する事になった奔放な女子大生との人間模様・心の交流は、映画を観るというより、ふたりを見守っているような気分にさせられました。

親や夫や友人たちが揃って頼りにならなかったり、ダメ人間だったりと、そんなものなのかな、と思えるような環境の中で出会った2人の心が奇跡的につながっていき、心に響くフィナーレに展開していくのですが、そのことは周囲の情けなさと裏腹の状況でもあり、若干複雑ではあります。

そうした余計な感情を補って余りある、ヒラリーの演技力。
そしてエミー・ロッサムの歌声も聴けて満足です。

よく比較される「最強のふたり」とはまた違う激しさと深さがあり、新たな出会いによって まるで解き放たれたみたいな心からの声が届くのと、メイクと共に変わっていくエミー・ロッサムもチャーミングでした。

名大リーガー、ルー・ゲーリックのエピソードと共に語られる黒人男性の妻を偲ぶ様子、ヒラリー・スワンクの絞り出すような声、深い悲しみを湛えながらも前を見据え生きる姿に胸があつくなりました。

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ちゅうみぃ

4.5思いのほか気付かなかった、してもらって本当にうれしいこと

2015年10月15日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

笑える

知的

ALS(筋萎縮性側索硬化症)や認知症等の介護活動が、現状では、どうしても、「非日常のはじまり」と捉えられてしまうことが多いのですが、「日常の延長」として、みんなで、肩の力を抜きながら続けることができる環境が、日本でも整ってゆくといいなあ、と感じる作品でした。

今回の設定は、比較的裕福な方々に起きてしまった出来事とされていたため、メッセージもわかりやすい形でまとめられていたのですが、現実としては、経済的な負担でご苦労される方も少なくなく、疾病に対しては、みんなで応援できるような、所得再分配の仕組みが働くようになるといいなあ、と感じる作品でした。

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81。screen

3.5『最強のふたり』との違い

2015年9月16日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

泣ける

単純

身体の自由を奪われた人間が、ふつうの介護人ではなく自分と縁遠い若者に友人のような役割を求めるという点は『最強のふたり』と同じ。違うのは彼らを求めた理由で、フランスの富豪は今の状態で数十年過ごさないといけないのに対してこちらのピアニストは(病気の特性からして)数年しか生きられないから。

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ant