「“falling forward”過酷な状況にあっても、人は生きる強さと喜びを見出せることを感じさせてくれる」サヨナラの代わりに 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
“falling forward”過酷な状況にあっても、人は生きる強さと喜びを見出せることを感じさせてくれる
いわゆる難病映画。しかも介助者と介護人の関係が対称的という点で、『最強のふたり』と同じシチュエーション。しかも全体のムードも『最強のふたり』同様に明るかったです。それに加えて、悲しみの中にも、ユーモアや希望が描かれて、ラストシーンでは、大粒の涙してしまいました。やっぱり分かっていても、よくできた難病ものは、泣かされますね(T^T)
35歳らなったケイト(ヒラリー・スワンク)は、弁護士で夫のエヴァン(ジョシュ・デュアメル)と仕事に恵まれ、何不自由ない暮らしを送っていました。夫や友人に囲まれて幸せそうな彼女の場面は、ジュリアン・ムーア主演の「アリスのままで」を思い出させてくれます。
初めて身体に異変を感じたのは、誕生日パーティでピアノを弾いた時でした。やがて難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)と宣告されたケイトは、徐々に進行して体の自由がきかなくなり、一年半後には歩行器と車椅子に頼り、一人では着替えることすらできなくなってしまうのです。常に介助が必要に。
そこで介助人を雇い、毎朝メイクをしてくれるエヴァンが出勤した後は、介助人が毎日通ってきて、身の回りの世話をするようになったのです。
しかしケイトは、介助人に不満がありました。その理由は、『最強のふたり』と一緒で、自分を病人扱いせず、対等の人間として、本音で語り合える相手を求めていたのです。
ある時、ケイトはエヴァンに無断で介助人をクビにし、大学生のベック(エミー・ロッサム)を面接します。
しかしベックは、面接に堂々と遅刻するは、おまけに介助の素人どころか、普通の家事さえもできないというのです。
当然エヴァンはその場で断ろうとします。でもケイトは、ベックの自己を飾らない物言いに共感したのです。そして、自分を患者としてではなく、友人として話を聞いてほしいとベックを採用するのでした。
しかし、ベックの働きぶりは予想より遥かに、スクリーンで見てても、とってもひどかったのでした(^^ゞ
ジュース用の野菜すら満足に刻めない上に、「ALS発症後の寿命は?」と無神経な質問をし、言葉遣いも下品で、スラングを連発します。特にトイレの介助は大失敗!ひどいものでした。(アカデミー女優になんたるん惨めな振る舞い!)
何をやってもうまくいかないベック。本当はミュージシャンを目指していたはずでしたが、極度の緊張症で、人前で歌うことができません。私生活では、ヤケになって酒をあおっては、バーに居合わせた男性と一晩だけの関係を繰り返すという、奔放な生活を送っていたのでした。
ある夜、深夜になっても帰らない夫のメールをベックに頼んで盗み見たケイトは、彼の浮気を見つけてしまいます。日頃「夫には幸せになる権利があるの」と言ってきたはずなのに、夫の浮気に直面したケイトは動揺。ベックに「ここにいたくないわ。彼が帰る前に連れ出して」と頼むのでした。
やがて夫と別居したケイトのもとへ、ベックが住み込みで介助するようになります。より親密になったベックの自由な言動が、ケイトの心を解放していくのでした。積極的に外に出掛け、新しく刺激的な日々の中で絆を深めていく二人。「限られた時間」の中で、彼女たちが見つけた、「生きる上で本当に大切なこと」に向けて、後半は物語が叩きつけるように動き出します。
ちょっとネタバレゾーンに入っていくのですが(^^ゞ、泣かせどころは、ケイトがベックをあえて解雇してしまうところから、深刻に涙腺が緩くなっていきました。
ケイトから託された思いを歌に込め、自分の殻を破って飛躍しようとしているベック。二人は確かな絆で結ばれていたのです。
それを象徴しているのがピアノのシーン。ベックがケイトの手を取って一音一音確かめるように演奏するのです。序盤に健常だったころのケイトの演奏シーンが描かれます。その映像で、彼女がどれだけピアノを愛していたことかが分かります。そんな前振りがあったので、余計に感動してしまいました。序盤での力強いケイトの演奏に比して、このシーンでふたりが奏でるピアノは、とても優しい音色に満ちていたのです。
だからこそ、ベックの歌手としての才能を感じたケイトは、断腸の思いでベックに解雇を告げたのでした。
刻々と悪化するケイトの病状。ふたりの関係はこれで終わってしまうような描き方でした。
自分が自分でなくなる恐怖を淡々と描いた『アリスのままで』(6月公開)と比べ、この作品は正反対の印象でした。ベックとの友情を通して、本当の自分を取り戻していくケイトの話かと思っていたら、健常者ペックの側が人生を取り戻していくストーリーだったのです。
なによりケイトからベックへの最期の言葉に泣かされます。それは「あなたが私に向けてくれたことを、他の多くの人にも見せなさい」そして「本当のあなたを見てくれる人を探しなさい」という言葉でした。原題は『You'reNotYou』なので、今のあなたは本当のあなたじゃないというケイトの遺した言葉が本作の一番伝えたかったことでしょう。
ケイトの最後の言葉に答えるベックが答えた言葉は、全て感謝でした。何にもできなかった自分に料理ができるようにしてくれたこと。介助ができるようになったこと。何もかもが感謝ですと。
そして、ケイトの言葉に勇気づけられたベックは、本当の自分を見せるため、自らの道を開いていくことになるのです。
私たちも、辛いときも、調子の悪いときも、このケイトの言葉を思い出して、最高の自分、最高の笑顔を、多くの縁ある方へ差し出したいものですね(^。^)
そんな過程がテンポよく描かれた本作は、難病ものなのに、つらいだけでなく楽しくなる場面も多くて、いいなと思えました。ジョージ・C・ウルフ監督の演出は抑制が利いていて、過剰な湿っぽさがあません。後味はとてもさわやかでした。きっと人生には失いかけて初めて気づく大切なものがあることや、避けられない過酷な状況にあっても、人は生きる強さと喜びを見出せることを感じさせてくれることでしょう。
多くの患者と会い、体の動かし方や心境の変化などを教わったヒラリーのリアルな演技が凄かったです。ケイトは、ALSになる前は相当に気が強い性格だったのに、そんな彼女が徐々に衰えて弱々しくなっていく様子が丁寧に演じられていて、そのギャップでなおさら憔悴するケイトの気持ちが伝わってきたのです。
それよりもよかったのは、ベックを演じたエミー・ロッサムだと思います。プロデューサーとしてのヒラリーも、ベックを演じたエミーに「私が思い描くそのものを演じてくれた」と絶賛しています。登場時は、あばずれ女だったベックが、後半では見事な介護人に変身していく、変わりようが素晴らしかったです。
エンディングロールも感動的。なんとベックはステージで、歌っていたのです。
「Falling Forward」という曲は、シンガーソングライターでもあるエミー自身がこの映画のために作ったオリジナル曲。“falling forward”とは日本では“倒れるときは前のめり”と訳される言葉で、どんな時でも志を捨てずに前に進もうという意味なんですね。思わず『花燃ゆ』の台詞を思い出してしまいました。