共犯 : インタビュー
「共犯」チャン・ロンジー監督、ラース・フォン・トリアーに学ぶ「人間心理の解剖」
ひとりの女子高校生の死をきっかけに、交差することのなかった少年少女の運命が絡み合っていく――視覚障害を持つ天才ピアニストを描いた「光にふれる」で注目を集めたチャン・ロンジー監督の新作「共犯」は、近年の台湾映画に風穴を開ける青春ドラマだ。思春期特有のきらめくような甘酸っぱさとは一味違う、自分の居場所に迷う青少年の孤独と闇に光を当てる。(取材・文・写真/編集部)
同級生の変死体を発見し、死の真相を突き止めるようと動き出す3人の男子生徒。忍び込んだ女性徒の家で発見した謎のメモ、ふとしたことで発生した事故、やがて明らかになる真実。「推理ものが好きで、ずっとミステリーを撮ってみたいと思っていた」というロンジー監督は、原作小説の作家2人組が執筆した脚本に修正を加え、現代の若者の内面に肉薄していった。
「もとの脚本は人の気持ちがきちんと書き込まれておらず、時代背景も現代から少し離れていたので、どうやってコミュニケーションしているかといったことを書き直し、今の若者の実態にあわせていきました。もうひとつ、『共犯』という概念も変更しています。事件に関わった3人の男の子、つまり当事者しか意味していなかったのですが、彼らを無視し何事もなかったかのように振舞った周囲の人間も共犯者だと変えていったのです」
Facebookなどコミュニケーションツールとして普及したSNSは、本来人と人をつなげるものだが、本作では「炎上」「噂の一人歩き」など孤独を浮き彫りにする。
「他人を攻撃する行為の原因は、顔の見えない人同士がやり取りしていることにあるのではないでしょうか。無責任な言葉で安易に他人を批判し傷つけてしまうことは、往々にして起きているわけで、ある側面から見れば『インターネットは殺人を犯す』と言ってもいいと思います。しかし、物事には必ず裏表があって、自己管理をして責任を持って使えば世の中の役に立つものなので、ネット社会を悪としてだけ考えるのは良くないですよね。マスコミにも問題があって、事件の報道時にマスコミの姿勢が問われることもあります。物事と向き合って人間としての感情をきちんととらえず、ひとつの面だけで報道してしまうと、マイナス面ばかりがクローズアップされることになってしまうのです」
SNSの二面性に加え、物語の核となる3人の男子高校生も表と裏を持つキャラクターとして描かれている。他人から見たイメージだけでは図ることができない三者三様の孤独、脆さを抱えている。「推理サスペンスは、目の前に現れた事象を弁証する必要があります。この作品では、弁証の過程で3人の個性が生きてくるのです。ひとりは不良っぽい生徒、もうひとりは模範的な生徒、3人目は目立たないいじめられっ子。こういった個性は普通の状況ではあまり見えませんが、強烈な物事に出合った時に隠されていたものが前に出てきます。これは彼ら3人に限ったことではないのです」
「光にふれる」「共犯」と現代の若者を取り上げてきたロンジー監督。本作は、これまでとは異なるミステリーに挑戦しているが、伝えたかったものは「この作品は、お互いの友情を物語っています。ミステリーやサスペンスというジャンルは、映画を包んでいる包装紙であって、本当に言いたいことは人と人との通い合いなんです」と変わらない。
そんなロンジー監督が影響を受けた作家のひとりは、ラース・フォン・トリアーだという。「彼のタッチは非常に暗いですが、人間心理の解剖が素晴らしいですよね。他の監督とは違った角度から、人間をしっかり見据えているのだと思います。とてもリアルなタッチでの人間観察が衝撃でした」。自らの映画作りにおける最大のテーマは、人間心理の描写だと語る。「いろいろな事件にせよ、出来事にせよ、すべては人間が起こし、人間によって展開していきます。人間をどうやって見るか、描くかということほど面白いことはないんです」と熱を込める。
ロンジー監督の活動拠点となる台湾は、街中にアートスペースが設けられるなど、アートシーンが盛り上がっている。映画製作においても「機材調達がかなり便利になり、映画製作の環境が整っていると思います。マーケットもだんだん大きくなっていて、若い監督にとって第1作を撮りやすくなっているのでは」と話す。それでも「ただ、マーケットが大きくなったとはいえ、制限があり相対的に見て小さいのは事実なので、外に出て行くこともいいのではないかと思うんです。その土地だからこその独特の姿が撮れるということもありますが、映画は世界共通の言語なので、いろいろなところで撮って、いろいろな人に見てもらうことができるのではないでしょうか」と広い視野で映画を見つめている。今後、国内外でどのような活躍を見せてくれるのか、ロンジー監督から目が離せない。