世界から猫が消えたならのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
死がテーマになる話はありふれていて、単に同情を誘う話ならどうしようかと思ってたけど、いい意味で裏切られました。
モノを通じて、その良さや思い出を共有した、恋人や友達、家族との間に、築かれた絆やかけがえのない宝物に気が付いていく主人公。
「自分」という存在は、人と人との関係性の中で生まれる。
なんでもない日々の中に、尊い時間がある。
主人公が残された時間の中で辿っていく過程を見ながら、私自身のことを見つめる時間となりました。
印象深かったのは、イグアスの滝の前で宮崎あおいさんが叫ぶシーン。
轟音で流れ落ちる水、この壮大な自然を目の前にしたら、「人間1人が死んだところで世界は何も変わることなく回り続けていく。じゃぁなんで人間は生きていくの?」そう感じさせられずにはいられない、そんな情景描写が素晴らしかったと思います。
世界に溢れる愛のはなし
試写会で観てきた。
まず、映像がとても綺麗
映画の世界観にぴったりな映像美だった
そして監督が数多くのCMを手がけ、最近「ジャッジ!」から長編映画のメガホンを取っている永井聡さんという事が、視聴後分かりびっくり。
前作とまるでジャンルが違う。
そして感心したのが、映画の中で人物の名前が殆ど出てこない。
なのに、違和感なく入り込める。
たぶん主人公を包む愛の話であるこの映画に、名前は大事なことじゃなかったのかな、と。
ファンタジーかな?と思いきや現実の話で、現実の話というか自分の話で。
家族がいなくなること、
恋人との記憶が無くなること、
親友が消えてしまうこと。
愛する人が消えることは、
誰にでも悲しいし、
その感情はきっと誰にでも当てはまる。
だから観ている人達自身の話でもあるんじゃないかなぁと、思う。
佐藤健が1人二役、と言っている人もいるけど私はそうは思わない。
二役じゃなくて一役だ。
ラスト、悪魔にむかって主人公が言うセリフがある。
このひと言で、そう思った。
ここがちょっとネタバレかな?
まぁ、感じ方は人それぞれだけど。
おそらく洋画ではこんな映画はそう無くて。
日本映画らしい、日本人にのみ通じる繊細な映画です。
でも伝わるメッセージは大きい。
猫が愛おしかった。
生きている自分の周りにいる家族、友人、大切な人が愛おしかった。
生を感じさせてくれる一瞬一瞬がとても愛おしく大切なものに見えてくる作品でした。
本作は、世界から猫が消えるというSF映画ではありませんでした。不治の病を宣告された主人公が、自らがいかに愛されてきたか、世界はどんなに愛で満たされているのかということを、自分の大切なものが奪われるという体験を通じて悟っていくというヒューマンストリーです。
『世界から自分が消えたなら、
世界は何も変わらずに、
いつもと同じような明日を
迎えているのだろうか』
…という問いかけから始まる本作は、自らの存在理由を求めて、何度も過去の記憶を辿っていきます。主人公にとって、猫より世界から消えて悲しかった存在が母親でした。どんなものよりも母親を失ったことが、辛かったことだろうと思います。 失って初めて気がつく大切なものが、親の愛ではないでしょうか。主人公も自らの死を覚悟したとき、少しずつ忘れていた母の思い出が蘇っていきます。
極めつけは、死んだ母から、現在の自分に宛に手紙が届くこと。
その中で、自分が産んだ息子の優れいているところを褒め称え、生まれてきてくれたことを感謝するメッセージが残されていたのです。なんて愛情を感じさせる手紙なんでしょう。思わず涙が溢れてきました。
たとえ世界から自分が消えたとしても。この愛された歴史は消しようがないものと主人公は悟り、たとえちっぽけな自分でも、存在したことにありがとうって言ってもらえる人がいたことに歓びを感じるのでした。
いま孤独感で悩んでいる方に、あなたはひとりで生きてきたわけではないよということを、優しく語りかけてくれる作品だと思います。
原作と違う点は、「僕」に死を告げに来る「悪魔」を女性キャラではなく、主人公の「僕」とうりふたつの一人二役にしたことです。悪魔はあくまで自分の分身なのだとすぐ観客に伝わるようにしたことで、本作の「自分探し」というテーマがより一層はっきりしたと思います。
また「悪魔」が主人公の1日分の命と引き替えに奪っていく、「僕」の大切なものが、携帯電話・映画・猫の3つを終点的に描くことで、失って初めて気がつくインパクトがより鮮明になったと思います。
それぞれのアイテムには、それぞれ失いたくない思い出が宿っていたのでした。
まず携帯電話がなくなることで、電話がきっかけで始まった彼女との出会いそのものがなくなってしまったのです。そして次の日、今度は映画がなくなって、映画がきっかけで不二の友となった親友も失ってしまいます。「悪魔」は、単にモノを消すだけでなく、主人公の大切にしている思いでや人間関係まで奪っていくのでした。
さらに、次の日はいよいよ世界から猫を消そうとします。けれども「僕」にとって、母が遺してくれた猫のキャベツは、母の思い出そのものであり、かけがえのない存在だったのです。その猫までも失ってしまうと覚悟したとき、キャベツは突然消えてしまいます。雨の中必至にキャベツを探す「僕」。このシーンまでにいやというほど、キャベツと母との楽しかった想い出がリピートされていたので、主人公の喪失感に思わず感情移入して、泣けてきました。
結局キャベツは見つかったものの、「僕」はキャベツの失踪を通じて、失うことの大きさをまざまざと実感するのでした。
「悪魔」が初めて来た月曜日から、ちょうど7日目の朝。「僕」は「悪魔」にある決意を告げて、心からありがとうと感謝するのでした。この7日間というのは原作に依れば、聖書にある神がこの世界をお作りなった時間のことだということでした。
主人公はどんな決意をし、なぜ大切なものを奪っていった「悪魔」に感謝したのか、ぜひあなたも劇場で、猫が消える真実を目撃して、涙してください。
それにしても、見終わったとき人生がとても愛おしく思えました。その訳は、アルゼンチンでの恋人との回想シーンで強く感じたことです。世界を旅する友人と再会したのもつかの間、別れたあとすぐ、友人は事故死してしまうのです。それを受けて恋人は、滝に向かって何度も「生きてやる」と絶叫します。つまり世界の一寸先は闇であり、無常に溢れているけれど、無ではないということ。刻々と出会う人との一期一会は、刹那くとも生きていることを感じさせてくれるのですね、孤独なままでは味わえません。生を感じさせてくれる一瞬一瞬がとても愛おしく大切なものに見えてくる作品でした。
さて、出演者の演技のなかでも、佐藤健の「僕」と「悪魔」の全く違ったキャラの二役を見事にこなしたことを讃えたいと思います。素晴らしい演技力です。加えて、わずか30歳で余命宣告を受けた主人公の表情を押さえた演技で見事に表現していました。死を前にして喜怒哀楽を爆発させるよりも、どう納得するのか自分の内面に心を向けていく演技のほうが、見る側も感情移入しやすくなると思います。静かに貯めに貯めた感情を、最後に涙となって語られると、こちらもぐっとくるわけですね。
最後に本作の大きなみどころのひとつとして、絵画のように美しいロケーション映像の数々をあげたいと思います。
函館・小樽の静謐な美しさと、アルゼンチン・ブラジルの情熱的でカラフルな街並みとのコントラストの対比が素晴らしい!なかでも世界遺産「イグアスの滝」でのシーンはまさに圧巻の迫力です。
監督は、『サントリーBOSSゼロの頂点』など数々のCMで広告賞を受賞し、映画デビュー作『ジャッジ!』が高い評価を得た映像界の鬼才・永井聡。
永井監督ならではの、いかにも世界から猫が消えてなくなってしまいそうな、ちょっぴし神秘的な映像でした。世界から映画が消えてしまわないうちに、お早めにご鑑賞ください。
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