劇場公開日 2016年5月14日

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「悪魔に猫を売ってはいけない」世界から猫が消えたなら ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5悪魔に猫を売ってはいけない

2016年6月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

萌える

この世界から猫を消してはいけない。猫のいない世界は有りえない。僕はそう思いつめる程に猫を愛してしまっている。
だから、こういう映画に付き合う羽目になってしまった。
結論から言うと、最も泣けるのは予告編である。
本編を見ても一滴の涙も流せなかったし、冒頭部分、ストーリーの流れがすこぶる停滞気味なのも、間延びがして、作品全体の緊張感を欠いてしまう導入になっている。
僕が観賞した劇場では、上映終了後「これ、なんだったの?」と薄ら笑いさえ見せる人もいた。
ただ、本作をみていて、やはり映画好きなスタッフたちによって作られたのだ、ということだけは痛いほどよく伝わってくる。
濱田岳演じる、レンタルビデオ店の「タツヤ君」
彼が主人公に「映画を知りたいならこれを見ろ」と、次から次に、DVDを紹介して行くくだりはとてもいい。
それは濱田岳という個性的な役者さんと「タツヤ君」という人物像が、見事にリンクしたからに他ならない。
本作の撮影はどうやら函館・小樽らしい。本編中の映像はやや重く、色彩のトーンは鈍い。金属的な空間表現であり、空の色も、鉛のように描かれる。
本編、中ほどでは、主人公と恋人が、ブエノスアイレスに旅した時の様子が描かれている。(なお、公式HPのストーリー紹介ではアルゼンチン、ブラジルの旅となっている)
この旅の部分だけは、街中に光と色彩と原色が、咲きこぼれる花のように満ち溢れ、それこそ「生きている」こと、命あふれかえるような描き方が印象的だ。
ここで二人が出会った若い日本人旅行者。その出会いと唐突な別れ。
生き生きとした色彩の元で描かれる残酷な現実と、どんよりとした北国の空の下で、平凡な1日を生きることの鮮やかな対比。
監督はそれを狙ったのだろう、というのは一目瞭然である。

主人公の「僕」は郵便配達員だ。その「僕」に突然、「脳腫瘍」が見つかった。手術はほぼ不可能。いつ、突然死してもおかしくない、と医師から告げられる。
一体、あと何日生きられるのか? それすらわからなくなる「僕」の目の前に、突然もうひとりの「僕」が現れる。そいつは「君の中の悪魔さ」と、うそぶく。
そして「この世から何かひとつを消してしまおう。その代わりに君は1日長く生きられるんだ」と持ちかける。
最初に消されてしまうのは電話だった。
次に映画がこの世から消えた。
そして悪魔は提案する。
「そうだねぇ~、次は、猫をこの世から消してしまおうか」
電話で結ばれた恋人との会話、そして想い出。
それは電話が消えたことによって、全てこの世から消え去っていった。
次に映画が消えることによって、「僕」は、大切な友人「タツヤ君」との関係も失ってしまった。
主人公「僕」の母は、病がちだった。その母を慰め、寄り添い、家族の絆を作ってくれたのは生後間もない「捨て猫」だった。
レタスのダンボールに入れられていたその猫を、家族は「レタス」と名付けた。猫のレタスは天寿を全うし、母に抱かれて息を引き取った。
そして今、目の前にいるのは、おなじく二代目捨て猫の「キャベツ」だ。
自分の1日の「生」と引き換えに、思い出や、愛する人、愛する猫との関係を天秤にかけられるのか?
「何かを得ることは、その引き換えに何かを失うこと」なのだろうか?
本作はそういう世界観で描かれてゆく。
オブラートに包まれているようで、実はかなり残酷な物語のように、僕は受け留めてしまった。
主人公の「僕」は三十歳という設定である。
それに引き換えこの文章を書いている「私」は、いま五十代後半。四捨五入すると六十代なのだ。
人間、五十年も生きているといろんなことがある。
私は十歳の時に母を失った。
高校生の時、結核にかかり、一学年を病院のベッドで過ごした。
のちに下半身麻酔で一度、全身麻酔で三度、手術台の上に乗った。
さすがに三度目の手術の時は、麻酔液が体に入ってくるのを感じながら
「もう、この世には戻ってこれないかも」と半ばあきらめの感があった。
しかし、しぶとく私は生き返っている。
職場で一緒に働いていた若者が、ある日突然、自ら命を絶った。
高校時代のクラスメートが喫茶店を開いた。
その矢先、彼はバイク事故でこの世を去った。
こんなことが五十年生きていると、当たり前の出来事のように起きる。
櫛の歯がかけて行くように、仲間がこの世を去って行く。
私はそれを見送るしかないのか……。
私はいつも思う。
私の1日、いや、私の存在そのものと、彼らの命を交換できないだろうか?
私は未だに「のんべんだらり」と日々を過ごしている。
私の1日に何の意味があるのだろう?
いまも、こうしてつまらない映画レビューなどを書いている。
なぜ世の中に必要な「彼ら」は天に召されたのか?
なぜ世の中にとって「どうでもよい」私は、のうのうと生きているのか?
この残酷な問いかけを、いつも腹に溜め込んで、私は今日も、のうのうと生きている。

ユキト@アマミヤ