FRANK フランク : 映画評論・批評
2014年9月30日更新
2014年10月4日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
かぶり物をしたバンドマンたちの絡まる世界のすべてを、歌の誕生が祝福する
かぶり物をしたマイケル・ファスベンダーというのが話題になっている。いや、実際、これってファスベンダーでなくてもいいじゃん、とおもわず呟きたくなるくらいギリギリまでかぶり物。もちろんそのかぶり物からいつ本人が出て来るか、という興味がこの映画の推進力となるわけだが、簡単ではない。というか面倒くさい。いかにもイギリス映画と言いたくなる、変化球と皮肉とが物語を混乱させる。
バンドの物語と言うより、ひとつの歌が誕生するまでの物語と言ったらいいだろうか。かぶり物から1人の人間が現れるまで、その人間の誕生が歌の誕生に重ね合わされるわけだが、そのためにバンドはイギリスからアイルランドへ、そしてアメリカへと渡る。気がつくと旅は果てしなく、人間関係も変わり、混乱は増し、もはや歌が生まれようがかぶり物から本人が現れようがどうでもいい。そんな疲労感と締念と怒りや悲しみといったさまざまな感情が絡まり合い、その絡まりに登場人物たちもそれを見る観客たちも耐えられなくなる。
歌が生まれるのはそんな時だ。それがどんな歌であろうと生まれたものは祝福されるのがこの世の常なわけだが、それまで彼らが通ってきたねじれた混乱が、そんな状況を反転させる。歌が世界を祝福するのだ。どんな混乱もどんなねじれもどんな矮小さも、この歌がすべてを愛おしいものにする。どうやらこの映画で演奏される音楽は、実際の出演者たちが現実に演奏しているらしい。演奏のプロではない彼らのつたなさも、それ故のひずみも、この歌がすべて祝福する。かぶり物がとれてもとれなくても、あなたがそこにいるだけでいい。そんな気持になれる。
(樋口泰人)