「呪縛を、解き放つ」at Home アットホーム ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
呪縛を、解き放つ
「未来予想図 アイシテルのサイン」を監督した蝶野博監督が、「真夜中の5分前」「ストレイヤーズ・クロニクル」などが立て続けに映画化され注目を集める本多孝好の原作、竹野内豊主演で描く、群像劇。
映画に限らず、小説、演劇など「ストーリー」好きの多くの人間には、どうやら共通のセオリーがあるようだ。それは簡潔、「物語は、開始5分で善し悪しが分かるものさ」というもの。日本を代表する文豪、池波正太郎も映画を語るエッセイでこう断言する。「だいたい開始数分で良し悪しは分かるものですよ。分かる人はね」
その真意は人それぞれだろう。だが、その一つには物語りの暗黙のルールがある。「観客をスタートから引き摺り込むために、簡潔に、円滑に人物相関図を冒頭にねじ込む。そこから、本当の演出を始めよう」という王道。物語に慣れ親しんだ者は、自然とその王道に則って世界を把握し、ドラマを予測し、2時間弱の演出に寄り添っていく。
もちろん、その「物語」を支配してきたルールを否定する気はない。むしろ、現代の映画はこの道筋を通らないと、違和感を観客に与えるという一面もある。それは戦略であり、ビジネスの結果だ。
この「呪縛」が幅を利かせる時代にあって、本作は明らかに異色である。時間軸を巧みに操作しながら、竹野内、松雪を軸とした主要な登場人物達の相関図を意図的に、冒頭から曖昧にしている。「家族・・なんだろうな」程度の観客の予測を可能にさせる塩梅で、違和感に満ちた人間の集まりのぎこちなさを強調させ、ある「事件」の発生、顛末へとぼんやりと突き進む。
これは、演出の稚拙さによるものではないだろう。「これが、愛にあふれた家族だ。人の温かさなのだ」と行政広報のようなメッセージが陳腐であることを無自覚に知ってしまった現代人には、むしろこの「ぼんやり」したつながりこそが、家族の「リアル」に直結してしまった。作り手はこの変化を敏感に捉え、的確に提示した結果として受け止めるべきだろう。
が、この秀逸な現代人気質の提示を経た、「偽物家族」作成のプロセスがなんともいただけない。一人一人のいたたまれない事情を畳みかけるように描写するのは致し方ないが、それがまだまだ発展途上の役者を含めたキャストによる短編劇の寄せ集めを、さらに寄せ集めたような連帯感の断絶が続き、「事件」の衝撃、不可思議を完全に消滅させてしまう。言うなれば、物語が真っ二つに分かれてしまったような、疎外感。
浮遊感に満ちた時間軸の物語を得意とする本多原作作品としては、見事にこの作家の本質を捉えた一本として評価すべきだろう。(本作の曖昧な人間関係が心地よい貴方は、ぜひ「真夜中の5分前」も併せて御覧いただきたい)だが、一本の映画として満ち足りた充足感があるかといえば、旬の若手を十分に活かしきれていない組み立て方、余りに美しさを捨てすぎた松雪の使い方など、改善の余地が大いにあると言わざるを得ないだろう。
現代の「物語」が雁字搦めとなった「呪縛」からの解放を目論んだような演出が光る、特異な一本。作り手の今後の発奮に期待したい。