劇場公開日 2015年5月30日

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「その映画人は、幸福か」新宿スワン ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)

2.0その映画人は、幸福か

2015年6月19日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

「地獄でなぜ悪い」「ヒミズ」など、様々な個性にあふれた作品を世に送りしてきた園子温監督が、綾野剛、伊勢谷友介などの俳優を集めた制作した、人気漫画の実写化作品。

とある、中高年層に高い人気を誇る某人気バンドのボーカルが、ラジオで語っていた。「俺達は幸運よ。全く人気のないバントはライブ自体ができない。でも、あまり人気が出すぎると、大人の事情でこれまたライブができない。その点、俺達は程よく人気が出て、好き勝手に音楽ができるから」なるほど、芸能界も大変そうである。

この悩ましい「アーティスト事情」。これは、そのまま映画人にも当てはまるかもしれない。全く知名度のない映画人は、映画自体作れない。でも、あまり人気が出すぎると、何やら配給側から無用なオプションがくっつけられる。それは、つまり「俺の」映画ではなくなる事に直結していく。好き勝手にやって、声高に叫んだあの時代よ、さらば。なるほど、映画界も大変そうである。

さて、園子温である。幅広い媒体に顔を出し、表現をまき散らし、「個性なんて、ないからな、俺は」とアンニュイにつぶやく、分かりやすい「芸術家」として日本映画界をけん引してきたその男。他人の原作を料理する事を配給側から課せられても、持ち前の柔軟性とあまのじゃく根性で、自分の味付けに仕立ててきた孤高の映画人であった。

それは演出、役者へのこだわりもさることながら、作品の爆発力を支えてきたのは、彼が投げかける言葉の確かな説得力、理解力だった。「いや、それは」と一笑に付すような展開も、観る者の無音の反撃をなぎ倒す台詞への自信が劇の正統性を際で支え、スクリーンで耐えうる奇抜な世界観を成立させていた。力だった。

今作、園は初めて脚本制作を他人に譲った。それは、人気の脚本家であり、スタンダードな群像劇からコメディまで手掛ける手腕の持ち主だ。が、それは映画人「園 子温」にとっては、最強かつ唯一の武器を捨てることになった。

冒頭から、違和感はあった。それはまるで、一度作った砂の城を壊して、もう一度同じく作り直すような、「面倒くささ」。そう、面倒くさいのだ。その違和感は、最後のバトルシーンまでだらだらと引き伸ばされる。

「いや、それは」な無謀な展開に打ち勝つ、言葉の説得力が空へと消えていく。白々しい幼稚な言葉が、脳を埋め尽くす。いくらスピード感を出そうと処理を施しても、砂の城は何度も波に砕け、満足感まで沖へと引きずり込んでいく。無理もない。これは「園 子温」映画ではないのだ。熱を持たない言葉が、この男の映画にとってどれほど無益か。まざまざと観客に伝え、学ばせ、空白の2時間はあっけなく過ぎていく。まあ、それはそれで有益なのか。

役者は自分の役割をつかみ、的確に世界を作る。そこは評価して然るべきだろう。もちろん、指揮者が何人も並んで偉そうに棒を振っていては、シンフォニーもなにもあったものではないが。

前述のボーカルは、最後にこう語った。「音楽家は、その人が好きで職業を選んだ特別の仕事だ。妥協がない。幸福だよ」妥協がない・・それが幸福なら、映画人にとって幸福とは。オリジナルを作る事か。いつもみたいに、血みどろ人間をなだれ込ませる事か。

それも、ステロタイプへの「妥協」と言われたら・・幸福もまた、大変そうである。

ダックス奮闘{ふんとう}