劇場公開日 2015年11月13日

「原作を踏まえた新しい作品」ハーモニー ジョンソニージョンソンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0原作を踏まえた新しい作品

2015年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

知的

原作が好きで見に行かれた方々は映画オリジナルの結末に不満を抱かれているようですが、私はとても美しい結末だと感じました。
原作小説は読んでいません。映画から入っても充分楽しめました。
なのでここに書くのは純粋にハーモニーという映画作品を先入観無しに見て受け取った感想です。

所々に入る13年前の回想ではミァハとトァンの関係性を描写するものが多く、トァンは自分が知らないことを知っている・見えないものが見えているミァハに惹かれていって、トァンがミァハに対して強い憧れ・親愛を抱いていることがみてとれました。それに比べトァンとキアンの繋がりに関する描写は少なく、序盤のキアンに対するトァンを通したイメージがキアンという存在をそれほど重大なものではないと思わせました。なのでトァンにとってのキアンの死はあくまでもミァハの生存を示唆する程度のものとしか受け止めませんでした。父親のヌァザに関する印象も同様で、和解の描写がヌァザが銃弾からトァンを庇った直後少しのみで、それ以前のトァンの父親に対する厳しいセリフと比べると、一応確執は払われたが復讐に燃える程ではないように感じさせました。死ねなかったトァンのミァハに対する申し訳なさや、ミァハが生きていることを知った時のトァンの描写、13年前の唯一の理解者としての関係性等を考えると、トァンがチェチェンへ行くラストは単純に、ミァハに会いたいんだろうなという印象でした。なので後日見た原作の、父とキアンの復讐のために二発の銃撃でミァハを殺す、という結末を知った時は逆にとても驚きました。要は上記のように映画では二人の死を重く受け止めたり復讐に燃えたりしているトァンが描写されていないのです。むしろ演出の重点はトァンのミァハに対する想いに置かれていて、世界の命運がトァンに懸かっているというセリフに対しても、本気で言ってんの?、と返したり、トァンの中の優先度も、ミァハを止めること<ミァハに会うこと、であるようにはっきり書かれていました。回想シーンでも思春期の不安定な心を描写していてトァンがミァハに愛情を持つ過程が見られます。自殺前にミァハが本を燃やすシーンでは己のうつし身である本を殺すことをトァンに代執行させているわけです。これを踏まえると、ミァハはチェチェンでトァンが殺しに来てくれるのを待っていたのだと思いました。
私が映画を見ただけで持った解釈は、
ミァハの望みは、人間的な生き方。それが叶わない13年前の世界で、ミァハは死を選ぶ。13年後、世界中に本来の人間的な営みを自覚させる。私は、ハーモニー化はミァハにとって死と同義だったのだと捉えました。本を燃やすことと死ぬことが同義であったように。意思が消滅するなら、ミァハはトァンに自分を殺してもらいたいと思っていて、トァンもまた、自分の中のカリスマであったミァハですら意思が消えてしまうことに耐えられなかったのではないでしょうか。私は映画の結末は、最後まで世界を憎悪したかったミァハと・今度こそミァハと一緒に、また愛する人を愛しいままにしたかったトァンの心中だと受け止めました。なので映画だけを見た私としては、最後に、私の好きだったミァハのままでいてほしい・愛してる、といって銃声が一発響くことはすんなり受け止められましたし、そこに120分の物語が全て集約されていてその壮大な要素が見事に成就したなと思いました。そのまま人物を映すことなく終わるのも、映画オリジナルの解釈の幅を持たせるためだと思いました。横から頭を撃つのでもなく、密着した状態で相手の背中に銃口を自分側に向けて突き立てるのもそういった意図があったのだと感じました。

とにかく、原作如何は考えず映画単体として見たときは本当に素晴らしい作品であると思います。そしてそのラストも一つの作品として見れば自然な流れで美しくまとまっています。監督がインタビューで、結末は当初の予定から変更して最後にアレンジしたと言ってますが、それはまさに、映画を最初から見ていくとそれが自然な流れに見えたからでしょう。もちろん、原作通り復讐でミァハだけが死んだとも捉えられますが。
作者の価値観や主張がうかがえる、魂のこもった大変素晴らしい映画でした。

ジョンソニージョンソン