チャップリンからの贈りもののレビュー・感想・評価
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2.9
物語の構成のバランスがあんまりよくない。前振りが長くて、ラスト10分がかなり濃すぎる気がする。
物語自体はほっこりするし、ほろ苦い映画でいいと思った。チャップリンの庭に桜が咲いているのには驚いたし、治療費を支払ってくれたエピソードもいいなあと思った。
そして、やっぱりフランス映画っていいなって思った。静かで落ち着いた雰囲気で音楽とかがとてもセンスがあると思う。なんか湖畔の場面で風が吹くと、爽快な感じになるし、色彩も素敵だと思った。
オサレなコメディ
普通に楽しいです。
奥さんの病気が、重苦しくなくて、悲痛感がないのは、コメディだから?
ラストの贈り物は、感動的な演出ではなくあっさりしてます。序盤、サーカスにいきなりスカウトされるのも?だけど
まあ、いいかな。
チャップリンさん今の日本どうですか?
チャップリンの棺桶を盗んだ二人の男のお話であります。これ実話です。物語の舞台はスイス。
刑務所から出てきたばかりのエディ。この男、ちょっと盗みぐせがあるんですね。出所した彼をひきとったのが親友のオスマン。
物語はこの二人を軸に進みます。
オスマンは、アルジェリアからスイスへ渡ってきた移民です。
奥さんは仕事で体を壊し入院中。愛娘サミラの面倒も見なければ、それに学校にもちゃんと行かせてやりたい。奥さんの入院費もかかる。
移民であるオスマンには健康保険もない。おまけにロクな仕事もない。肉体労働で安い賃金しかもらえない。
ああ、全く、どうしたらいいんだ、とため息ばかりです。
対照的に、刑務所から出所したエディは、根っから陽気で楽天的。人懐っこくて、どこか憎めないヤツなんです。仕事が無かろうが、明日はやってくるさ、と、その日暮らしを楽しんでいます。まるでチャップリン演じる、あのお気楽なトランプ(tramp)放浪紳士チャーリーの生き方そっくり。もちろん、この人物像、監督、俳優とも狙って作りこんでます。
ある日、エディがその「得意技」を生かして、どこからか中古のテレビをちょろまかしてきました。自分を引き取ってくれたお礼にと、オスマンにプレゼント。オスマンは怪しげなテレビを見てちょっと複雑な顔をします。
それを見たエディが放ったセリフ。
「ほら、ナショナル・パナソニック製だぜ!!」
愛娘のサミラは無邪気にはしゃいでいます。
ある日、そのテレビからニュースが流れます。
スイスに住む世界の喜劇王、あのチャップリンが亡くなったのです。
そのニュースを知ったエディ。
ポジティブ志向のエディに、いいアイデアが浮かびました。
「こりゃ、ぜったいうまくいくぞ! なあ、オスマン手伝ってくれ」
エディは、親友オスマンの暮らしを、少しでもよくしてやりたい。
刑務所から出てきた自分を、嫌な顔もせずに引き取ってくれた、大親友オスマン。それに可愛い、娘っ子のサミラを、このままにしておけない。
サミラには未来があるんだ。この娘をいい学校にも入れてやらなくっちゃ。
それにはやっぱり先立つもの、まとまった「金」が要る。
無謀にも思える計画を聞いたオスマンは躊躇します。
エディはオスマンに諭すようにいいます。
「チャップリンは俺たちと同じ、移民だ。映画のチャーリーは、浮浪者で、おまけに俺たちと同じ、貧乏人、その日暮らしだ。彼なら分かってくれるさ!」
そして
「何も誘拐して殺そうというんじゃない。なにせチャップリンは、もう死んでるんだから」
亡骸が入った棺を、ちょっとの間だけ、俺たちが預らせてもらうだけさ!
とエディはどこまでも楽天的です。オスマンも生活苦には、これ以上耐えられない。これも病気の妻と、娘のためだ。しょうがないと、腹をくくり、この「闇の仕事」をやろうと決意するのですが……
本作は、紛れもなく犯罪者の物語なんですが、決してダークな作品ではないのです。
とはいえ、観光都市スイスの別の一面も描かれます。そこに住む移民の暮らしにくさ。異国の地で、一つの家族と、その親友の放浪者、トランプが生きてゆくこと。現実はやっぱり厳しいわけです。
ついつい悲観的になる。でもそれを笑いで乗り切ろう、という作風なんですね。
ちなみに、亡骸を盗まれた当の御本人、チャップリンも、生前こんな風に語っています。
「私は悲劇を愛する。悲劇には何がしかの真実が含まれているから」
「喜劇の王様」とさえ呼ばれたチャップリン。その上質な喜劇が生み出された、母なる創造の源泉、エネルギー源。それは彼が子供の頃、生身の体で味わった、感じた、極限の貧しさ、現実生活の悲劇そのものにあったのですね。
本作の登場人物は、生きてること、それ自体が、ある種の滑稽さをもって描かれております。
まさにチャーリーの作風を継承しているわけです。全編にわたってチャップリンの人情悲劇を彷彿とさせる、コミカルタッチで描かれるんですね。
だから観終わった後の後味がいい。
本作を制作するにあたり、チャップリンと(それ自体が一つのジャンルですね)そのご遺族に対して、きちんと配慮がなされているようです。そしてチャップリン作品への敬愛の念が随所に見られます。
あっ、このシーンはチャップリンの「サーカス」だな、あのシーンは「ライムライト」へのオマージュだな、といった具合です。
犯罪を犯した二人の男。だけど、どこか憎めない、ダメダメで、それでいて愛おしい、この男たち、そして家族の生き様。
事件が収束し、改めて埋葬されたチャップリンの墓前で「ごめんね」をするシーン、なんとも救われる気が致しました。
***
上映された映画館では、これを機会にチャップリンに関する貴重な写真資料などが展示されておりました。
日本が大好きだったチャップリン。秘書も日本人の高野さんが永きに渡って、公私ともに佳きパートナーとして付き添っておられたのは有名な話ですね。
チャップリン最初の日本訪問は船旅でした。チャップリンは僕の住む街、神戸に記念すべき、来日第一歩を記したのでした。
日本のてんぷらの美味しさに舌鼓を打ち、歌舞伎の高い芸術性を見抜き、「茶の湯」における、日本の美と精神性の高さに、心の安らぎを覚えたチャップリン。本当にニッポンが大好きだったんですね。
本作上映をきっかけに、チャップリン作品の再上映が決定した映画館もあります。
チャップリンという人物は、人類史上に残る偉人であることは言うまでもありません。
コメディアン、パントマイム、舞台俳優、映画監督であり脚本家、作曲家、プロデューサー、何より最高の映画作家でありました。
そして忘れてならないのは、彼が「権力」や「支配」というものに対して、敢然と「映画という芸術」で立ち向かった、という一面です。
ヒトラー政権の絶頂期、この独裁者を徹底的に、おちょくり、笑い者にした作品を、命の危険も顧みず、巨額な自費を投入して作ったということ。
いま、きな臭い雰囲気が漂う、この国。
チャップリンが愛した、この日本の国で、今一度、チャップリン作品を鑑賞するというのは大変意義あることだと思います。
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