ローマ環状線、めぐりゆく人生たちのレビュー・感想・評価
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すっぴんのイタリア
イタリアは世界に誇れる文化遺産やおいしい食べ物に溢れ、粋な人々、ファッションや車にしても高級ブランドが息づいている、とりわけローマはその文化の中心でしょう。「フェリーニのローマ(1972)」もそうだったが観光PRのようなローマではなくあえて猥雑な生命力に溢れた都市の混沌を描いていた。本作もローマではなく環状線(Grande Raccordo Anulare, GRA)周辺に住む市井の人々の暮らしに焦点を当てている。
主に描かれるのは屋敷をレンタルする没落貴族、椰子の害虫駆除の老人、ウナギ獲りの漁師、老々介護の中年救急隊員、車上生活の熟年娼婦、只管愚痴をこぼす老人たちなど日の当たらない人々が殆ど。近代的な高速道路と時代に取り残されたような人々はコントラストとして監督には魅力的だったのでしょう。
GRAはローマを中心に半径約10km、全長約64kmのフリーウェイ、ピンとこないので東京で置き換えると首都高環状線(都心から半径8km、全長47km)と外環道(都心から半径15km、全長85km)の間くらいでしょうか。それにしても都会からちょっと離れるだけで羊の群れる牧羊地やウナギの獲れる川が流れる風景というのは意外でした、まあジャンフランコ・ロージ監督の視点で観れば利根川の分流の江戸川でもウナギは獲れるらしいし田園風景も無い訳では無いから撮れるかもしれない・・。
確かに「ポツンと一軒家」や「珍百景」など興味本位なテレビ番組は人気なようだがだからと言って脈略無く外環道周辺に暮らす人々のドキュメンタリーを、作ったり観たいと言う人は多くはないでしょう。それがベネチアで金獅子賞を受賞というのも文化の違いが歴然、審査委員長がベルナルド・ベルトルッチ監督なので化粧無し、すっぴんのイタリアというのに共感したのでしょう。
ただ、玄人受けしても観ていて楽しい類の映画ではないので社会勉強が苦にならない人向けでしょう。
宣伝文句を読まずに観たのが吉
普通の人たちの普通の人生たちを、ただただ映す。
ドラマは起きません。クライマックスも無し。
生々しい人生たちのその背景やその後への想像がふくらみ、遠い未踏の地ローマへの旅情が掻き立てられました。
元々子供の頃から、海外に行くと地元の普通の人々の日常生活が気になる性質だったので、この作品はドンピシャでした。
何度でも観たい。
しかし後からこの作品の宣伝文句を見て、こりゃ誤解招くなと。
いかにもなにか起きるような期待をさせるあのPRじゃ、ガッカリする人続出も頷けます。
何も起きません!でも、わたしは好きです笑
朽ちていく
ローマ環状線の周りに住む人々のドキュメンタリー。
様々な人が出てくる。裕福でもなく若くもない人々。
子守唄を歌う男娼。
自分の事をカビ臭いと言う老人。
錆びれゆく館に住む没落貴族。
中でも植物学者のおじいさんがイイ。
木の中を食い尽くす虫の研究をしている。
まるで人のような行動をとる虫。
食い尽くされて枯れゆく木。
皆どこか朽ちていく匂いがする。
それを、優しくもなく冷たくもなくニュートラルな視点で撮っている。
なぜか、そこはかとなくユーモラスだ。朽ちていっているのに、淡々とした余裕すら漂う。
人々の断片は、かつて栄華を誇ったツヤを残しつつも、ゆっくりと衰えていくローマという都市そのものにも見えてくる。
—
救急隊員をしながら年老いた母親の世話をする人が出てくる。
その人は母親の皺くちゃの手を見ながら「美しい手だ」と言う。
おそらく、彼にとっては、本当に美しいのだ。愛おしいのだ。
それが老いて朽ちていても。
そこにある限り。
—
人と都市は、静かに朽ちていく。
それでも、今を生きている。それで充分じゃないか。
今ここに存在している。それが貴重なことなんじゃないか。
人々の断片、「今」が積み重なって、ローマの果てしなく長い歴史(栄えて朽ちてを繰返す)の一部となっていく。
遠い時の流れを見渡す力強い映画だったと思う。
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