「色んな意味で、良くも悪く」トランセンデンス 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
色んな意味で、良くも悪く
クリストファー・ノーラン作品の撮影で知られるウォーリー・フィスターの監督デビュー作。
名カメラマンの初メガホンを祝うかのように、ノーランがプロデュースでバックアップ、ジョニー・デップが主演し、内容的にも意欲作。
画期的な人工知能を開発した科学者が反テロ組織の凶弾に倒れるが、その意識がコンピュータにインストールされ、驚異的に進化していく。
題材はいいし、面白味もあるが、最高に良かったかと問われると…。
まずこの作品、「チャッピー」や「LUCY」が問いかけだとしたら、一つの“その後”やアンサーと言えるだろう。
死の間際意識をインストールしロボットとして生き返った「チャッピー」、あらゆる全てを超越した「LUCY」。
本作でも、肉体は死んでも、意識はコンピュータの中で生き続け、世界中のコンピュータにハッキング、ナノテクで人の怪我や死、地球そのものすら再生出来る。
と同時に、それは脅威。
人がコンピュータに…と言うより、全てが一人の人間の意識に包まれる。
主人公ウィルの行いは、人類全ての為か、自分自身の傲慢か、妻の為か。
コンピュータの中で生き続けるウィルの意識は、実像か、偶像か。
危険性や恐ろしさ、人間やコンピュータの在り方を訴えるに足りうる。
同じく科学者である妻エヴリンは、死んだ夫との再会に依存していく。
が、怪我した技術者に意識の一部を入れて現れたウィルを、妻は拒絶した。
これはもう、コンピュータの中のウィルは意識であって、その身体や温もりは無いと言っているようなものだ。
例えコンピュータが人の死を超越しても、その人そのものはもう居ないのだ。
妻の喜び、苦悩、葛藤は分からんでもない。
でもこの妻、ウィルの為に巨大な研究施設を作ったり、拒絶したかと思うとまた彼を肯定し、反テロ組織に制止されたらそれを否定し、ナノテクで肉体を完全再生して現れたウィルに葛藤して…と、最後まで気持ちがブレブレでその行動や意思を理解出来なかった。
それなりにSFやアクションの見せ場はあるものの、とりわけ目を引くものではなく、展開も平淡。
名カメラマンながら映像面でも斬新なものは無かった。
奇抜な衣装やメイクが続くジョニデ、その極みと言えるような(?)遂にコンピュータと化す。
豪華キャストが揃ったものの、活かせてるとは言い難い。
題材や訴えるテーマは悪くない。でもツッコミ所やありえねー!とも思ってしまう。
面白いようで、イマイチ。
色んな意味で、賛否を地でいく作品であった。