「受け継がれる遺伝子(酷評に対するいくつかの反論)」ジュラシック・ワールド チャプチャプさんの映画レビュー(感想・評価)
受け継がれる遺伝子(酷評に対するいくつかの反論)
【離婚】
まず、「アトラクションを楽しんでいる最中に、弟が唐突に泣き出す」という点。
別に唐突じゃないです。
ザック(お兄ちゃん)のあの性格は父親譲りって設定なんです。
親にからかわれるほど、熱烈な「行ってきます」を彼女に告げた後でも、イケてる女の子がいると ついガン見してしまうあの性格は、父親の遺伝なんですわ。
そんなザックの様子を見て、グレイは「本当にお兄ちゃんはパパそっくりだ」と呆れ、両親の諍いを思い出し、パパとママがホントに離婚しちゃったらどうしよう と泣き出す。
心理の流れとして矛盾は無いです。
ヒロインの兄の性格が父親の遺伝で、兄貴の言動が父の若き日の姿なのだという伏線は、ジェシカ・ラング主演の『ミュージックボックス』(ベルリン映画祭金熊賞グランプリ受賞作品)で効果的に使われていました。第二次大戦中のユダヤ人虐殺を題材にした映画なので、スピルバーグ監督やその周辺の映画人は当然観ているハズです。
そっから着想を得たんだと思われ。
第一 DNA抜きには語れないでしょ? このシリーズは
父母の離婚騒動の原因と結果は明らかです。作品の中の位置付けも。
メソメソ弟と軽くあしらう兄のやりとりが、夫婦の代理戦争的な、離婚騒ぎを推察する手がかりです。
夫の側としては、「単にキレイなコだと思って見てただけ。浮気じゃない。声かけて食事に誘ってベッドまでしけ込んだら浮気だけど、そんなことはしていない」
妻「ワタシというものがありながら、目移りした時点で精神的な裏切りよ!離婚よ!あなたはもうワタシを愛していないのよメソメソ……」
夫「んな、大げさな(呆れ)」
まあ、離婚案件としては大してこじれるケースでは無いような。
息子達があわや恐竜の糞に…という危機的状況に見舞われると、つまらないことにこだわっている場合じゃないと仲直り ですから。
(妻の苦悩をあっさり「つまらないこと」と片づけると、鬼女連やフェミニズム団体が怖いので追記(笑)
夫が、オンナとっかえひっかえ隠し子バコバコつくるような男なら、もっとずっと早くに破局している。元々、綺麗な花に見とれるような無害な女好きで、妻のことは深く愛している。妻が若く美しく、女としての自信があった頃ならば軽く受け流すことができたが、中年の容色の衰えが気になりだした時期に、夫がピチピチの娘さんをガン見してたら情緒不安定にもなるでしょ。更年期はホルモンバランスが狂って鬱になりやすいんだぞ。妻をいたわれ夫! という深~いメッセージが……こんだけ言っとけば勘弁していただけますでしょうか)
ただ、この伏線が、作品の魅力を底上げする力になっているだろうかと問われると ちょっと考えてしまう。
で、ちょっと考えてみました。
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【オーウェンとラプター】
観終わっての満足感の大部分は、なんといってもオーウェンがカッコよかったからです。
それと、ラプターの復権。
「1」でのラプターは出会ったら即人生終了な最凶の殺し屋でした。それが「2」では少女の段違い平行棒であっさり撃退され、「3」では卵さえ返してくれればお咎めなしのものわかりのよさで、あまつさえ本作「4」では、調教されて人間と協力体制を取るとかいう前評判だったのでガッカリしていたのですが、フタを開けてみたら、
オーウェンの「特別なヒーロー」としての存在感が半端なくて、
特別なオーウェンだからラプターを制止できる。
でも、そのオーウェンでさえ一瞬でも隙を見せたら殺られる、
という緊張感がシリーズの地盤沈下をくい止めたように思います。
予告編でもあった「支配するのではなく信頼関係を」というセリフが、この映画の隠しテーマの一つかと。
信頼関係といってもラプターとオーウェンの間柄は、条件付き期間限定の休戦協定。
ギリギリの信頼関係ですけど、人間同士の戦争では自分から申し出た休戦協定を一方的に破るケースだってあるので、ラプターの方がまだしも仁義をわきまえてる。でも、もっと強力なボスが現れるとアッサリ乗り換えるあたりが仁義なき戦いか?
で、このオーウェンとラプターの関わりあいが、オーウェンとクレア、両親の諍い、にも通じる。
「支配するのではなく信頼を築く」
異なる者同士の付き合いの第一歩。
クレアも当初は、オーウェンに「私を誘うなら私にふさわしい男になってよ」と上からな態度でしたが、後半はどんどんはっちゃけて、仁王立ちで翼竜に弾を撃ち込んでオーウェンを救う。
けど、オーウェンはクレアに対して勝ち誇った態度はとらないんですよね。
従来型の「男らしい」タフガイは、「女だてらにやるじゃないか」とか「じゃじゃ馬がずいぶんしおらしくなったな」とか、男性優位で女が従うのが正道、みたいなセリフを言わずにおれないようでしたが、オーウェンはそういうこと言わないし、さりとて女の尻に敷かれてトホホでもないし。
そういう点が、ニューアメリカンヒーローな感じ。
劇場用パンフの監督のインタビューにもあったけど、自信があるから空威張りしないんですよ。
オーウェンの引き立て役として配置されているホスキンスは典型的な男権社会のタフガイ。
飴と鞭、利権と暴力で他者を支配して利用しようとする。(いかにも「じゃじゃ馬慣らし」とか言ってドヤ顔しそうなおっさんだもんな)
そして相手を軽んじて、簡単に手懐けられるとタカを括っているから、オーウェンの制止のポーズを形だけまねても喰われます。
(ラプ子GJ!)
あのシーンでは「よい子はマネしちゃだめだよ」という目に見えないテロップが見えたわ。
各キャラの対比、関係性の変化、こもごも考えていくと、やっぱり両親の離婚設定は必要な配置なんですよ。
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【クレア】
翼竜大暴れの中でのキスシーンも酷評の口実になってましたが、条件付きの信頼関係、協力体制 からの~、全幅の信頼、愛の芽生え~、だから、あそこでチュウは有りでいいと思います。
USJでの火災 とか現実味のある設定ならともかく、架空の恐竜ランドだし、テーマ性優先でいいんじゃないかしら。
クレアのハイヒールとヘアスタイルも、「お高くとまったエグゼクティブ女」という記号です。
アップをよく見れば、クレアの髪質はさらさらのストレートヘアではなくて、そう見せかけるために縮毛矯正とかスタイリング剤を使ってシャープ&クールな印象のストレートボブを作っている設定。
だから髪ふり乱して奮戦するうちに、本来の性質そのままの跳ねっ返りでラフな髪になっていく。
(たぶんクレアB型じゃないのか? B型がA型に見せかけようとしても無駄な努力だと思う。自分がB型だからよくわかる)
ハイヒールも、取り立てて貶しの口実にするほどのことではないです。「エグゼクティブのコスチュームの一部」ですから。
危険を省みず飛び込んでいく決意表明として、ベルト取っ払ってトップスのひらひらの裾を一文字にきゅっと縛る。歌舞伎の見得を切るようなワンアクションで心意気は十分伝わります。
クレアがピンヒールをベキッと折ってペタンコ靴にして履き直す、という演出はどうだろうか?と 自分が制作側の一人になったつもりで考えてみましたが、右の靴を脱いで~ベキッ、左を脱いで~ベキッ という反復は流れがダレるし、靴の脱ぎ履きは絵的にも収まりが悪い。
(クレアになったつもりで自分でその動作やってみ?)
あと、タイアップの靴ブランドからヒールを折るのNG出されるかもしんないな。
既出のレビューで「どこかでスニーカーや安全靴にはきかえれば?」という提案もあったけど、クレアのサイズにぴったりの靴が都合よくある方が叩きの口実になるような気がするし。
ちなみにアッテンボロー監督の『コーラスライン』では、ダンサーのオーディション風景で、すごいピンヒールで踊っている女性が複数いました。ダンサーとかモデルとか、ヒール履きこなしてる人はほとんど踵に体重かけてないです。だから激しい動きでもグラつかない。
素人がちょっと考えてすぐ思いつくような改善提案はプロの現場ではとっくに検討対象になってるはずなんで、いろいろ多方面から検討した上でGOサインがでたんです。
さも重大なミスみたいにハイヒールハイヒール連呼してもなんの手柄にもなりませんよ?
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【ディープ・ブルー】
それと本作は、レニー・ハーリン監督の『ディープ・ブルー(1990年作品)』を下敷きにしています。いわゆる本歌取り。
『ディープ・ブルー』(以下DB)を観れば、共通要素の多さに驚くんじゃないかな。本作を楽しめた人ならドストライクのはずです。おすすめ。
(CEOマスラニ氏がヘリで出撃する顛末も、DBを観れば「なるほどコレがやりたかったのか」と納得できますよ)
DBのパクリと非難しないのは、そもそもDBが、スピルバーグ監督の『ジョーズ』や『ジュラシックパーク』から、それとシガニー・ウィーバー主演のエイリアン・シリーズ(特に1と4)から、多くを借りている作品だからです。
大ヒット請負人のハーリン監督の場合、作家性やオリジナリティより、観客を楽しませること、観客はなにを求めているかを読みとるのに長けていて、ヒットした作品からの要素の引用と組み合わせ方が見事です。
芸術的なコラージュ、上質な寄せ木細工、パッチワークキルトの傑作(廃物利用のおかんアートじゃなくて、展覧会で大賞を取るレベル)と賞賛されてしかるべき出来映え。
『ジョーズ1』の大ヒット遺伝子を受け継いでいるのは、『ジョーズ2』よりDBの方だと思うくらいです。
今回、スピルバーグ御大から「レニー・ハーリンに学べ」と指令でも出てたんじゃないかしら(←妄想です)
んで「借りは返してもらうぜレニー」とか、スクリーンの向こうでスピルバーグが不敵な笑みを浮かべてるようでなんかカッコイ(←妄想です笑)
映画の歴史も長いので、今後も本歌取りは増えていくと思われ。共通要素を見つけるたびに、何でもかんでも「パクリだ~」と はしゃいでいたらお里が知れます。
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【越えられない壁】
一番情けない酷評は、
「1」を越えてない、「1」の方がよかった
とか言うやつ。
あたりまえだっつの。「1」は永遠に越えられない壁ですよ。制作スタッフ全員がそう思ってるわ。
印度美奈子が「越えられない壁」を越えたように見せかけて、別方向に突破口を狙った展開を観てないのか?
観ててもその意味がわからないのか?
それに、随所に「1」へのオマージュがあり、スタッフ全員の「俺らみんなジュラシックパークの大ファンだったんだぞ!」って心の声が聞こえるではないの。
心ないアラ探し屋が、どこをどう嘲笑するかもすべて想定内なのは作中のセリフの端々から伺えるし。
あと、印度美奈子が食うためではなく楽しむために殺しているというオーウェンのセリフはオーウェンの誤認ではなかろうか。ヒーローだからってやることなすこと言うことすべて正しい という設定にはなってない。ハズ。たぶん。違うか?
今、自ブログで、『ライフ・オブ・パイ』のレビューを書き綴っているところなんですが、原作小説『パイの物語』(ヤン・マーテル著)の中に、動物が相手を殺すのは食うためだけではない。腹が減ってなくても殺すことがある。それは…
というくだりがある。
もう字数が尽きるので、(なんで5千字しかくれないんだよ~)続きはブログで書きます。
ザラ姐さん(兄弟のお世話係)が、なんであんな酷い最期なのか? の考察も書きたかったけどもう無理だ。
ブログタイトル「ライフ・オブ・パイ専用ザク格納庫」で検索よろ。
長文がお嫌いでなかったら、ぜひ おいでなんし。
正月明けぐらいにはupしてると思う。
あと二百字弱 何書こうかな。
個人的に好きなシーンは、兄弟がラプターを撃退した高揚感から「このこともママに話そうぜ!」→クレア「お願い!このことだけは言わないで!」ヘイヘイ♪クレアビビってるビビってる のシーンです。
「あかん!お姉ちゃんにどつかれる~」みたいな。
けっこうなエグゼクティブに出世したのに、未だに姉に頭があがらない妹キャラなのがカワイイ。