劇場公開日 2013年12月14日

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「ショットが無いのは仕方ないとして、パンデミック映画で☆1.5は普通」FLU 運命の36時間 都会の男さんの映画レビュー(感想・評価)

1.5ショットが無いのは仕方ないとして、パンデミック映画で☆1.5は普通

2021年3月7日
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序盤のカット割りの早さ、寄りの手持ちは岩井俊二とか現代映画の素養である。まあ何とも言わぬ。
まず良かった点としては、主役の男は正義感のある救命隊員というのに対して、医者の女は自己中心的に振る舞うという対象的な二人が物語の中核を担っている設定が挙げられる。
また娘は自由奔放で自主自立したような性格であったものの、パンデミックを通して、親の存在から一時も離れなくなるドラマは評価できる。

一方の悪い点であるが、そもそもパンデミック映画は映画的に成り得ない(ショットが無い為)という議論はさておき、残念な点は多々挙げられる。
まずシネスコはパンデミック映画に売って付け(人物配置を考えるものではなく、寄りやカット割りで見せるものだから)なのだが、それにしてもシネスコが分かっていない。黒澤を観ろ。
それ以上にガッカリなのは、少女を死体の山から間一髪で見つけ出す、その契機がちょっと前に見せたスマホの動画というのが何とも情けない。それまで散々、通信機器を用いてきたものの、そこだけはそれを使って探し出すことが不可能な場面であったのだ。それなのにスマホ。しかもちょっと前に見せた笑。
確かに光というのはいいと思う。ただ私だったら、男と少女が出会う契機であった女の鞄に、何か象徴的な娘へのプレゼントとかを重要なアイテムに用いたりするな。流石にこの監督よりマシな物はいくらでも思い付く。
さて、冒頭にも話した通り本作は無理やりなモンタージュが多かった。特に医療現場、感染区域、閣僚のクロスカッティングをする訳だが、閣僚がどうも繋がりが薄い。まあこれは仕方のないことであるが、それ故にシン・ゴジラが評価できるのである。

本作はアウトブレイクそっくりで抗体の在り処は一瞬で分かってしまったのだが、まあ登場人物の設定とドラマで少しは持ちこたえたとも思う。
ただやはりパンデミック映画には映画になる素養がそもそも欠けている。それを言ってしまえばホラー映画の大半は映画ではないという議論になりかねないので、リュミエール主義者はここらで身の引きどころと心得る。

都会の男