「家族がとても愛おしく感じられる感動作です」サクラサク 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
家族がとても愛おしく感じられる感動作です
さだまさしの幼い頃の体験を元に書かれた原作だけに、人間の愚鈍さを深くえぐり出すストーリーに涙を禁じ得ませんでした。両親を看取る世代の人にとって身につつまされる物語だと思います。
表向きは老人性認知症に振り回される家族の物語のように見せておきながら、その実、父親の認知症がきっかけとなり、バラバラにだった家族が再生していくところが感動的なんです。今満開のサクラが、本作をご覧になればもっと愛おしく感じられるようになることでしょう。『利休にたずねよ』では酷評したものの田中光敏監督が描く人間模様は、繊細で、美しいものでした。またロードムービーとなる後半の沿線の描写も美しかったです。
それにしても、父親俊太郎の痴呆ぶりは凄まじかったです。冒頭の大雨の中で傘も差さずに踊りまくるし、家の中では脱糞するシーンやおむつを取り替えるシーンまでありました。藤竜也はプライドをかなぐり捨てての熱演です。悲しいのは、完全な痴呆になっていないこと。正気に戻ったとき自分がしでかしたことの記憶が全く消失して、いちいち息子の俊介から聞かされるときの辛そうな俊太郎の恥じ入る顔つきに、同情してしまいました。
そんな父親のピンチに、俊介はひとりで立ち向かおうとします。余談ですが、俊介という役も難役で、父親の醜態と初めて遭遇したとき、思わず浮かべてしまう独特の悲しみの表情は、本来なら経験したものでないと演じられないはず。そこを説得力ある演技で乗り切った緒形直人も素晴らしかったです。
これまでは仕事人間で家族を放置してきた俊介でしたが、さすがに実の父親の異常は無視できなかったです。仕事もそこそこに家に帰ってみると、俊太郎の失禁は放置されたまま、妻の昭子は逃げるように外出してしまいます。息子の大介は自室に籠もりっぱなしで、娘の咲子はテレビとカウチポテトに夢中。誰も俊太郎のことにを気にかけていない現状に俊介は、今更ながらも愕然とします。
こうしてみると、俊太郎と俊介、俊介とふたりの子供たちに横たわる大きな溝。親子って、わかり合えない生き物同志なのでしょうか?
このままでは、家族がダメになると危機感を感じた俊介は、家族旅行に出かけることを決意します。それは重い決断でした。何しろ取締役に抜擢される重要な会議への出席を反故にしてまで、家族の絆の再生を選択したのです。
バラバラになった家族の冷たい反応のなかで、心から反省していく俊介が一つ一つ思い当たることを丹念に描いて行くところが良かったです。
妻の昭子だって、新婚当初は俊介にたいして優しかったです。でも仕事が忙しくなっていった俊介は、料理を作っても美味しいと言ってくれず、いくら家事を頑張っても、無関心のままで誉めようとしなかったのです。娘の咲子の父兄参観も、いつも忙しいから話はあとでと聞き流すばかりで一度も行ったことはありませんでした。おかげで咲子は淋しい思いばかり父親に抱いてしまい、いつしか俊介のことを家にいてもシカトになってしまったのです。
家族がバラバラで、凍ったように冷たい空気が家中蔓延したのも、自分が家族に無関心過ぎたのだと悟ったとき、この現状を変えていくために俊介は、家族のひとりひとりと向き合あう必要性を痛感したのでした。
そのために俊太郎が幼少期に過ごした福井の寺を捜す旅に出ることを、俊介は決断したのでした。最初はよそよそしかった家族同士でしたが、旅の途中の様々なアクシデントを経験することで、お互いがお互いの存在に関心を持つようになって、やがては家族全体の絆に繋がっていくところは、やはり感動的でした。
でもこの旅を通じて、さだまさしは人の愚鈍さを暴き立てるのです。自分の無関心さを反省したかの俊介でしたが、つい昭子を掴まえて、「おまえはいつもオレに背中を見せているばかりだった」と愚痴をいうのです。まるで自分は善人で、こんな善人に背中を向けて拒絶するおまえは悪人だと言わんばかりの物言いです。
すかさず昭子は反論します。「そんな風にしたのは、あなたが背中を向けたからよ。」そう言われて俊介は絶句します。自分が善人だと思い込んでいると、往々にして自分が誰かを傷つけていることに鈍感になってしまうものです。そうならないためにも、時々徹底して自分を見つめて、してくれて当然だと思っていたことの有り難さやその奉仕に何かお返しをしたことがあったか、つぶさに見ていくと、善人だと思っていたわが身の傲慢さが俊介のように滲み出て感じられることでしょうね。うちの家族にもあるあると、思わず感情移入できることでしょう。
いまこの作品と同じように家族同士の絆がなくな