「このサクラは咲かずに散ってしまうかな?でもサクラの散り際って特別美しいけれど・・・」サクラサク Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
このサクラは咲かずに散ってしまうかな?でもサクラの散り際って特別美しいけれど・・・
私の住んでいる神奈川県では、もうすっかり桜の花は新緑の葉桜に代わっている。
見事に桜の花は散ってしまった。
この映画「サクラサク」、見事に散ってしまう映画の印象があった。
主演の緒形直人をはじめとして、藤竜也、南果歩、そして若手の美山加恋、矢野聖人に至るまでキャスト陣は皆全員に努力賞を差し上げたいと思って観ていたのだが、この映画程、俳優の芝居が活かされる事の無い作品も珍しいと言うのが、観賞後の第一印象だった。
俳優の誰もが、御自分達の演じるキャラクター像を精一杯に表現されているのは分かる。しかし、何とも観るシーン観るシーンのそのどれもが全く説得力の無い、不自然な映像の連続になってしまっていた。少なくとも私には、そう言う印象が残るだけの作品だった。その理由は一体何処にあるのだろうか?と何度も考えた。
この作品の監督と言えば、田中光敏氏で、脚本は小松江里子氏だ。この御両人つい先頃お正月に公開していた「利休にたずねよ」を制作していたコンビである。
あの作品を私はとても気に入っていた。
そして「利休にたずねよ」は海外の映画祭でも賞を受賞するなど、その評価も決して悪く無い、素敵な作品を作られる作家である。
だが、事も有ろうに、これ程までに役者が活かしきれずに、そして不自然なエピソードの羅列と説得力の無い話の原因とは何なのか?
監督の演出の劣悪さなのか?それとも脚本が劣悪で、それぞれのシーンのエピソードが不自然で説得力を持たないのか?これは一体どうした事なのだろうか?
このお二人は先の「利休にたずねよ」を産み出したお二人なので、素晴らしい作品を作り上げるお力のある立派な作家だと思う。
私が思うには、この作品良い意味で、邦画の悪い手本が全面に出た作品なのではないだろうか?そう、一つ一つのシーンに深みが感じられないのだ。
そして、どのシーンも中途半端で、浅くて、上辺だけを追っているようにしか感じられないのは、きっと私の映画を観る目がないだけだろうか?と自信を失う思いも有
そして結論から言えば、本作はハリウッド映画で言えば、ニコラス・スパーク原作の作品の様に、「これで泣けよ、この話で感動しなければ人間ではない!」と言っているような、あの手の作品のような原作の描き方に原因が有ると思うのだ。
先にお涙頂戴と言う、泣かせる目的が見え隠れする匂いがプンプンするのだ。それ故
エピソード作りはどれも極端で見苦しく不自然だった。
緒形演じる俊介の会社での仕事にシーンも、ワークホリックの仕事人間には微塵も見えない。妻の昭子の庭の植木の手入れのシーンや俊太郎が失禁した時の騒ぎよう、数え上げたら限が無い。それらのエピソードのどれもが撮って付けたようで、映画のテーマへと繋がって行くドラマとしての自然な連続性が感じられない作品であった。
我が国も高齢化社会となり、親の介護をする事の現実的な難しさは理解出来る。
そして、今後の日本では多くの家族が多かれ少なかれ、この作品に描かれているような現実に遭遇するであろう事も容易に想像が着く。
このレビューを書いている自分も現在、同じような立場にいる。だからこそ、私は俊介の気持ちは自己の人生にそのまま当て嵌まり、痛い程理解出来るのだが、しかしこの映画に共感を得て感動を憶える事は残念だが出来なかった。