「傑作だと思う。」悪の法則 nokkinokinokiさんの映画レビュー(感想・評価)
傑作だと思う。
傑作だと思う。
アカデミー賞脚本賞のノミネートは、ほぼまちがいないのでは。
しかし、ここでの評価は芳しいものではない。
そりゃあ、まあ、そうだ。マイケル・ファスベンダー、ペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルデム、ブラッド・ピット、ハリウッドを代表するスターが登場するのだけれど、ストーリーも描写も役柄も、陰々滅々、暗澹冥濛。そのため、羊頭狗肉、ふざけるな、と思ってしまうのだろうし、話の展開だって説明不足なところもある。でも、そんなことは、百戦錬磨な作り手と演じ手は百も承知。闇の世界、裏社会を、そして、この世には不条理なこと(=筋が通らないことや道理が立たないこと)も存在するのだということ、それを我々に映像で疑似体験させてくれるのだから。それも天下の美男美女によって。
セリフの数々がふるっている。
主人公が若干の報酬は得るにせよ、職務として至極真っ当で取るに足らない行為によって、想像するだにしていなかった事件に巻き込まれ、しかし、相手からするとそれは裏切り行為であって、それを画策したのはあくまでも主人公だと思われ、これは主人公にとってはなんとも理解しがたい不条理な局面。そんな局面を少しでも好転させようとメキシコの有力者にじかに相談、そののち電話で必死に援助を請う主人公に対し、その有力者は、
「オレにわかるのは、あんたが自分のした間違いを何とかしようとしている世界は、あんたが間違いをしてしまった世界とは別の世界だってことだ。あんたはいま自分が岐路に立って進むべき道を選ぼうとしていると思っている。でも選ぶことなんてできない。受け入れるしかない。選ぶのはもうとっくの昔にやってるのだから。」
と穏やかな、しかし有無を言わさぬ説得力をもって、告げられる。
美しく愛しい婚約者も行方不明となってしまい、主人公の途方もない絶望感、どうしようもない閉塞感、惨殺されるのではという恐怖感、それらが、観客も拒否することができすに、ヒシヒシといやおうなくスクリーンから押し寄せてくる。
そうなのだ、僕らは日々、選択して日常を過ごしている。
その瞬間ごとの選択をどこまで意識しているかにかかわらず。
その結果が、いままさに、自分の置かれている状況。
今朝、一日を過ごすための靴の選択に少しの躊躇が生じ、その迷いの時間が生じたために、通勤途上で交通事故に遭遇せずに済んだのかもしれない。こう書くと運命論者めいてくるのだが、それでも、よりよい明日のためには、そのときに最善と思われる選択をするしかない。
だから、この映画を見終わって結果的におかんむりになってしまった観客も、数ある上映中の映画のなかから、この映画を選択した時点で、もはや泣こうが喚こうが身をゆだねるしかない。そして、作り手と演じ手が披露するこのストーリーとこの映像だからこそ、巨大な説得力を伴って観客の上に注ぎかかるコーマック・マッカーシーによる極上の警句の数々、それらを味わおうとしないのは、あまりにも惜しいと思う。
まあ、ガールフレンドと2人でデートムービーのつもりで見に行って、「傑作だったね」 と言おうものなら呆れ顔をされてこれっきりにされる可能性は低くはない。でも、それはそれ、その言葉を選択して、彼女に告げてしまったのはあなたなのだから。