「自分の”死”を考える。」母の身終い とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の”死”を考える。
死を考えること=生を考えること。
これからの生き方のビジョンを考えるセミナーに出た時、自分の葬式で語られる弔辞を考えさせられたことがある。どんなふうに生きてきたかを語られる弔辞。それが貴方の”こうありたい”なのだと。
映画は重い。
自分の生き様―誰にどう最期を見取ってもらうのか、そのために今何をすべきかー仲直り?新たな関係構築…?―を考えるきっかけになると思うが、あまりに重い。
自分の生き方しかできぬ母。
その母に傷つけられ、遠ざかり、自分から関係を壊すことしかできぬ息子。
そんな当てにならない息子に、さらに自分の生き方に固執していく母。
あの犬のエピソードは何だったのだろう。
「帰ってきて」との一言が言えない代わりに、犬を病気にして母は息子を呼び戻そうとした?
お互いを必要としていながら、傷つけあうことしかできない親子。
せっせとモップをかけ、タオルにアイロンを当て、身の回りをホテルのように居心地よくする母。
その母の努力を片端から台無しにしていく息子。
息子にとっては息詰まる生活。
息子なりの努力を微塵も認めようとしない母。息子に一人前らしくなってほしいが故にだが。
もし、二人の関係が違っていたら、
息子の家族に囲まれた”おばあちゃん”として生きていたら、
隣人の気持ちを受け入れられていたら、
もっといたわりあい、理解しようとし、お互いが近づこうとしていたら、
母はあの選択をしたのだろうか?
「自分らしく死にたい」「夫の様には死にたくない」その思いはわかるものの…。
少なくとも、闘病・死を息子に託していたら、”自分らしく”は死ねないだろう。
乱暴なやり方での看護ならまだしも、へたすれば放置…。
息子の負担にはなりたくない。せめて支えになれぬのなら。
そんな二人の生き様を、映画は静かに静かに描く。
表面上は、母の死の選択という事件はあるものの、母と子二人の思い通りにいかぬ様を、おちゃらけたエピソードやお涙頂戴なエピソードなど排して、ただただ平板に綴っていく。
だが、母子二人、隣人、恋人のわずかな表情・動きでその人柄・思いを描き出す。
見ているのが辛くなるほど、ヒリヒリとした愛憎。
こんなに雄弁な沈黙があったなんて。
たらればを語っても仕方がないと思うものの、いつまでもリフレインする。