ポール・ボウルズの告白 シェタリング・スカイを書いた男のレビュー・感想・評価
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シェルタリング・スカイ。 閉塞感、そして 原作者自身の八方塞がり。
「シェルタリング・スカイ」を鑑賞後、この原作者のことを知りたくてDVDをレンタル。
ご本人が、相当にお年を召されいて、モロッコのタンジールで、自分の生い立ちを語ります。
インタビュー・ドキュメンタリーです。
幼少期、遊ぶことも、書くことも、すべてを父親から禁じられ、自宅に閉じ込められていた苦しみ。
母親からはすべてにおいて皮肉とダメ出しを受けるばかりで、鬱屈していた同時期。
宗教も許されていなかったその家庭の中では「運命を受け入れるしかなかった・・」
という諦めのつぶやきからインタビューが始まる。
そして実家を脱出してからの音楽家としての、また作家となってからの 彼の半生が とつとつと述懐されます。
サディスティックな文体は
けして自分ではそれを成せないゆえに、そこに憧れてのことなのだと、氏。
運命に抗えない人間を冷ややかに描写し、押しつぶされていく人の姿を静観。少しの憐れみの感情もなく、撮り留めておく映画の様相は、
こういう彼の人となりの反映なのだと思わされました。
インタビューを聞きながら、
その後ろの画面に流れるのは
タンジールの市場で解体され、皮を剥がされていく山羊の頭部。
その生々しいアップシーンと、ボウルズの頭部〜頸部が、繰り返し交互に映るカメラは、インタビューの真髄をうまく表しています。
作家としての自分を露わにし、革を剥がれ、肉を削ぎ取られていく、彼の人となりです。
そして
作家仲間のウイリアム・バロウズや、モロッコの詩人、評論家たちがボールズについて語り、そしてそれにボールズが自分の作家としての姿勢を答える。
ここでも採用されるこの《両者を交互に観察》するカメラで、地味なインタビューも我々に飽きさせない作りだし、ボウルズの人間像が徐々にむき出しに見えてくるのが、構成上大変興味深いところ。
ドキュメンタリー映像作家としての、本作の監督ジェニファー・バイチウの手腕はなかなかのものです。
ボウルズは、著作のアイデアは翔んでいても、文体についてはオーソドックスであり、その頃流行りの新しい単語や文法を作り出す風潮には彼は乗らず、
性的志向など、自分の中で答えの出ていない課題についても書いてみたりはしない、と本人の弁。
他の作家がやったような試験的で実験的な著作はやらなかったようです。
でもやはり、生育歴は作家たちの文体に必ず影響を及ぼすのであり、
両親に閉じ込められていたシェルターの中から、彼はずいぶんと見えない壁に囲まれて、八方塞がりの人間の世界を描いたものだと、インタビューから納得したものです。
即ち砂漠は踏み出して行ける新しい地平としてではなく、人を拒む結界の情景として、そのトポスが用いられている。
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原作の文庫本をやっと入手。
あの「本人出演の映画のエンディングのシーン」については、仲間からその出来を問われて、その脚本に本人が否定的なコメントを告げていた。
これはやはり原作の文体に当たるべきだろう。
古本入手。1月19日。
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