機動戦士ガンダムUC episode7「虹の彼方に」のレビュー・感想・評価
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盆と正月とオリンピックとワールドカップがいっしょに一日で一生分来たような、想像をはるかに超えたすごいラストだった(長文)
長い戦いの旅路の果てについに主人公バナージたちは探していた「ラプラスの箱」を見つける。ラプラスの箱を見つけてからのストーリー展開がすごすぎる。例えると十数分間で宇宙の誕生から終了までを体験しさらに天国と地獄を全部旅して回った後に今までのガンダム作品をいっき見したようなラストの展開ですさまじい満足感に包まれる。簡単に言うと「機動戦士ガンダム」でのララア・スンが見た「時の世界」を視聴者全員に見せてくれる。このラストは「2001年宇宙の旅」や「インターステラー」や「スターウォーズ」などのアメリカの宇宙SF名作映画を超えた気がする。私の映画人生でベストなラストであった。文句なしの5.0点。
視聴機器:液晶テレビ(無料BS放送) 今回視聴日:2025年9月14日
以前に半分想像で書いたレビュー:
この物語は憲法の条文に込められている人々の思いや人間の魂の集合である「信念」の話である。憲法や映画やアニメなどには当時の製作者や当時の社会の強い信念が込められていると思った。
あらすじ: 主人公たちが探し追い求める「ラプラスの箱」の中身の正体は昔の憲法の条文だった。人類における憲法の重要性がこの物語のテーマとなっている。宇宙世紀元年の地球国家設立時、地球国家のラプラス憲法はちょうど日本国建国時の日本国憲法にあたる。ラプラス憲法にはそれをつくった当時の人々の強い思いが込められていた。ところがラプラス憲法の条文を快く思わない軍事勢力や軍需産業や戦争によって恩恵を受けている大企業によってラプラス事件という事件が起こされその条文は「消された」のであった。主人公たちはユニコーンガンダムの超パワーでこの不条理な社会に立ち向かおうとする。
レビュー: 点数3.5。お勧めします。モビルスーツという戦闘兵器を奇跡を起こす神の機械に進化させたアニメ映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(1988年)の魂を受け継ぐ作品であり神秘的奇跡への感動の涙が止まらない。また、プルシリーズという魂のない肉体のみの強化人間に人間の魂を与える救いの物語でもあり過酷な現代社会で抜け殻のようになった人々に救いをもたらす作品である。また、ある憲法の条文がストーリーの重要なキーアイテムとなっていて明らかに憲法改正をテーマとしており政治問題への関心を社会に訴える作品でもある。マイナス点は逆襲のシャアに続いてまたもオカルト超常現象で問題を解決しており作品に新しさを感じない。
自由な感想: ラプラスの箱に込められ秘匿された憲法の条文を世界に公開する、させないの争いが本作のストーリーの大きな流れであるがやはり現実社会での日本国憲法の改正議論を連想せずにはいられない。現在の日本の憲法を改正すべしというニュースがよくでるが、そういう人たちの信念は日本国憲法作成時の人々の信念を上回っているだろうか。日本国憲法作成時の日本は生きるか死ぬかの大変な状況であった。現在の議論のように他国が攻めてくるかもしれないといった論理や理論ではなく実体験としての戦争をじっさい目の当たりにした当時の人々の強い信念が憲法には込められている。同じように、人間の作ったすべてのものやアニメや映画などにもそれを作った人々や当時の社会全体のもつ「信念」が多かれ少なかれ必ず込められているのである。この連続7作もある長編映画の本作、機動戦士ガンダムUCは「信念」がテーマのひとつだと思った。ラプラス憲法の未来条文には平和への信念が込められていて主人公たちはそれを必死に追っていた。フル・フロンタル(シャア・アズナブルの偽物)やプル・トゥエルブ(マリーダ・クルス)などの強化人間は人間の魂(信念)は必要ないとされ作られた人造人間だが、フロンタルもマリーダもストーリーのなかでそれぞれの「信念」を獲得している。信念とは人間の魂そのものでありその存在を表現するのに主役機のユニコーンガンダムとバンシィガンダムが効果的な小道具として映画に使われている。ユニコーンガンダムとバンシィガンダムが緑色の光を放って奇跡を起こすのは人々の信念すなわち人間の魂が世界に奇跡をおこす可能性をもっているということである。本作で大きな存在感を見せるフル・フロンタル。このフル・フロンタルもじつはプルシリーズのひとりだったのではないだろうかと私は思った。「プル」と「フル」という名前の響きや人気のために作られた目的の類似や名前の「全裸」という意味が初代プルやプルツーの裸の名シーンを連想するからだ。フル・フロンタルのネーミングはエルピー・プルの裸の風呂(フロ)シーンにも通じる。また、戦いのためだけに作られ魂のない戦闘人間であり操り人形だったマリーダ・クルスことプル・トゥエルブもプルシリーズのひとりである。戦闘人間プルシリーズ1号である初代エルピー・プルはテレビアニメ「機動戦士ガンダムZZ」(1986年)のファンの間で人気の悲劇的ヒロインだった。オードリーことミネバ・ラオ・ザビも初代プルと髪色と髪型が似ているのでこの「機動戦士ガンダムUC」はプルが大勢登場するプルファンのための物語といってもまたよいであろう。
※信念とは何か:
信念とは、自分が「正しい」「重要である」と確信している事柄であり、揺らぐことのない考え方や価値観のことです。それは人生の指針や行動の原理原則となり、困難な状況でもそれに従って行動し、諦めずに貫く強さの源となります。(AI回答より)
視聴機器:液晶テレビ(有料配信) 初視聴日:2025年 総視聴回数:1(早送りあり) 視聴人員:1(一人で見た)
2025/09/13 追記1:
ラプラスの箱に込められているのは宇宙世紀開始時の人々がもっていた信念である。以下がラプラスの箱の正体、「宇宙世紀憲章ことラプラス憲法において消された条文」である。
第七章 未来
第十五条
地球連邦は大きな期待と希望を込めて、人類の未来のため、以下の項目を準備するものとする。
1.地球圏外の生物学的な緊急事態に備え、地球連邦は研究と準備を拡充するものとする。
2.将来、宇宙に適応した新人類の発生が認められた場合、その者達を優先的に政治運営に参画させることとする。
(ピクシブ百科事典より)
とくに第15条の2項の「宇宙に適応した新人類」を「優先的に政治運営に参画させる」という部分に強い信念が入っている。この時代の地球は人口が増大し、資源は枯渇し、飢餓や災害や戦争などが頻発し差別が蔓延して貧しい人たちの人権はひどかったに違いないだろう。もはや宇宙に貧しい人々を移住させるしか地球政府に打つ手はなく、宇宙に見捨てられた彼ら宇宙移民は宇宙棄民と呼べる状況であった。そういうなかでこの時代の地球人類はおおいに反省し「宇宙に適応した新人類」を「優先的に政治運営に参画させる」という条文を入れたのである。当時の地球人類は人類愛にもとずいて将来宇宙移民たちの人権を認めようとしていた。ラプラスの箱に隠されていたこの条文には「人類愛の信念」が入っていたのだった。
追記2:
日本国憲法の平和の条文や国際連合憲章の前文などには1945年に終わった世界大戦の深い反省の信念が込められている。
国際連合憲章前文
「われら連合国の人民は、われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、・・・・(略)」
(国際連合広報のサイトより)
この前文や日本国憲法に込められた信念は「平和」と「人権」についての「人類愛の信念」である。ラプラス憲法もこれを真似ている。
追記3:
登場人物たちのもつ信念。ジンネマン、マリーダ、フロンタル、ミネバ、バナージ、サイアムビスト、リディなど本作には数多くの信念が登場する。まずジンネマンの名前の響きだが「信念の男=シンネン・マン=ジンネマン」からきていると思われる。(略)
追記4:
私たちは彼らのように信念を持って生活しているだろうか。私の信念は弱者救済、科学の勝利、人類愛の奇跡の存在などである。この作品のガンダムのように科学が将来人類の問題を解決するであろう。ただしオカルト超常現象の部分は認めない。ガンダムのテクノロジーが人類を救うであろう。(略)
2025/9/15 追記5:
懐かしい旧ネオ・ジオン軍のモビルスーツたち紹介
AMX-006 ガザD (がざ・でぃーと読む) 旧ネオ・ジオン軍の可変量産型モビルスーツ。アクシズ軍の可変量産型モビルスーツ、ガザCの後継機種。
AMX-008 ガ・ゾウム ガザDの後継機種。可変機構はガザDと異なり変形後の脚部クローがなくなった。
AMX-011 ザクIII (ざく・すりーと読む) 旧ジオン軍の名機ザクIIの流れを組む正統な後継機。ガンダム系統の頭部バルカン砲に対抗して頭部の口部分に小口径ビーム兵器を搭載している部分に進化を感じる。
AMX-102 ズサ 全身にミサイルを装備した支援モビルスーツだが武装を変更して汎用的に運用もできる。他のモビルスーツに比べ大きさが少し小さい。
AMX-107 バウ 上半身と下半身が分離してそれぞれ飛行機形態になれる可変モビルスーツ。変形時の上半身は「バウ・アタッカー」、下半身は「バウ・ナッター」という名称である。ガンダム系統の変形合体を真似ており対抗心がうかがえる。
※第一次ネオ・ジオン紛争時のネオ・ジオン軍を「旧ネオ・ジオン軍」(首領:ハマーン・カーン)とし、逆襲のシャア時のネオ・ジオン軍を新ネオ・ジオン軍(首領:シャア・アズナブル)とする。また、本作時のネオ・ジオン軍は「袖付きネオ・ジオン軍」(首領:フル・フロンタル)とするものとする。
追記6:
本作の見どころは多すぎて書ききれない。序盤、袖付きネオ・ジオン軍部隊とネェル・アーガマ部隊とリディの乗るバンシィガンダム単騎が3つどもえの戦闘をする。この3つどもえ戦闘は「機動戦士Zガンダム」でのクライマックスのエゥーゴ軍とティターンズ軍とアクシズ軍の3つどもえ戦闘を思い出させる。実際の戦争での戦闘はこう着状態や一方的な戦闘になることが多いので3つどもえ戦の混戦はめったにないのである。これは宇宙空間かつミノフスキー粒子散布下という特殊な環境の戦場だからであろう。さらに、サイコミュ兵器が戦場に多数投入されているのでその感応波が一般兵士たちの脳に影響を与えているからかもしれないと思った。サイコミュ兵器が戦場にまき散らす感応波によって兵士達は死を恐れなくなりあのような3つどもえの混戦につながったのかもしれない。終盤のユニコーンガンダムとバンシィガンダムが地球連邦のコロニーレーザー砲を止める場面はテレビアニメ「機動戦士ガンダム」第41話「光る宇宙」でのジオン軍が使用した決戦兵器ソーラ・レイをほうふつとさせる。この話ではソーラ・レイの使用を目撃した主人公のアムロ・レイが「戦争の憎しみの光に巻き込まれるな」といったセリフを言うのだが「機動戦士ガンダム」放送から数十年後に本作でユニコーンガンダムとバンシィガンダムが地球連邦のコロニーレーザー砲を止めて見せたのには作者や主人公やその他いろいろな人々の平和への圧倒的な信念を感じた。
追記7:
まるで神様のようなユニコーンガンダムとネオ・ジオングの存在感がすごい。ストーリー終盤、ユニコーンガンダムとネオ・ジオングが「神」となりバナージたちを宇宙の果てまで連れて行きそこで宇宙の真理について私たちに教えてくれる。本来何もないはずの寒い宇宙空間に暖かさをもたらしているのは人類の魂である。非科学的であるが宇宙空間をとびかう宇宙線や宇宙背景放射なるものの正体が人類の魂の暖かさである事をこの映画は教えてくれている。バナージもフロンタルも視聴者も心が暖まるラストのこの映画を観て大宇宙の真理である人類の魂の暖かさをぜひ感じてほしい。
書いた本人もこんなに人気になるとは思わなかっただろうな…
とにかく作画・BGM・演出が高水準
ユニコーンが「変身」する演出はBGMも相まって今見ても鳥肌が立つ
半ば暴走に近い赤く光るデストロイモードの姿から、翡翠色に変化していく演出は物語上の意味も含めてとても印象に残る
ビームマグナムのSEもいいんだなこれが。あの特徴的な響きと掠めただけで撃破する威力にはロマンがある
覚醒したユニコーンがコロニーレーザーを防ぐシーンは、正直なとこ「そんなのアリかよ」と思わなくもないけど、それでも燃える演出だった。カッコよさがすべてを納得させるパワーがある
vsネオジオングとのユニコーンとバンシィが並び立つ所もいい。本当に映える画面作りが上手いと思う
ただマリーダさんが死んだのが悲しい過ぎる。バナージと一緒にアイスを食べにいってほしかったよ…
物語的には、現実vs理想という構図が見えてくる
フル・フロンタルの主張には現実的な説得力があるし、「正しく」聞こえることもある。
でも、それでもリディのセリフが響く
「知っておいて損はない。俺たちは祝福されて生まれてきたんだってことを」
この言葉にはロマンがある。そしてそれを支えるのがバナージの歩んできた道のりだと思う。連邦にもネオジオンに翻弄されながらも、対話を重ね、関わり合い、それでも歩んできたバナージたちの言う「可能性」には、理想論だと切って捨てられない重みがある
宇宙世紀という時代は進み、やがてこの戦いも風化し、歴史の一部となっていく。それでも、この戦いは無駄ではなかった、そう思わせてくれるだけの力が、この作品には確かにあった
可能性の獣
自粛期間中ゆえにNETFLEXにてTVシリーズを全話一気見。
そんなつもりはなかったのだが、見出したら止まらなかった…。
映画版も観てたのだけど、こんなシーンあったかなと思われるものがいくつか。なんか得した気分だった。
ファーストを彷彿とさせるエピソードがふんだんに盛り込まれてあり往年のファンには堪らない。何より作画が…素晴らしい!
観ているだけで眼福なのだ。
無論マイナーMSの活躍にもテンションは上がる。オリジンの時のようなCGの介入は少なめで、手書きの滑らかさが光る。
展開が早く分かりづらい部分もあるのだけれど、元からある流れに挿入される史実を後付けで組み込む事って大変なんじゃなかろうかと、脚本家の力量に唸る。
宇宙憲章が改竄されてたとか、よくまぁそんな事思いつくな、と。ジオンの独立戦争からシャアの反乱に至る流れに過不足なく融和していく感じがとても良かった。
それはMSの性能にもしっかり組み込まれてて、NTDって切り口が斬新だった。
声優さんも、皆様良い仕事をしてくれていて…とてもとても良かった。
ミネバの声の距離感とか、バナージのよろけながらにも前を向く意思の強さとか…まさに命を吹き込む所業に感嘆とする。
リディなんか大変だったろうなと思う。一貫性のない一貫性というか…変化の振り幅が目まぐるしい。1人の人間としてギリギリ踏み止まったような印象だ。浪川さんは葛藤しまくりだったんではなかろうか。
今回改めて観て思うのが「シャア」である池田秀一さんだ。
劇場版を観た時に思ったのは、あー、池田さんも老けたのかなと、声のか弱さを感じでたんだけど、その印象は180度変わった。
俺はシャア本人だと思って観てたのだけど、フロンタルって、まさかのクローンなのかと疑念を抱く。
クローンに関して直接語られる事はないのだけれど、マリーダのエピソードやなんかもありで…あの抑揚を極めて抑えた口調に至るプロセスを推察したりした。
勿論、突拍子もない馬鹿げた推論でもあるのだが、この余白こそが可能性でもある。
イッセー尾形さんに匹敵する程の仕事ぶりに感嘆すると共に、失礼極まりない過去の自分をフルボッコにしてやりたい。
そして、やはり難解だったのがネオジオングの末路だ。台詞はよく分かる。いや、そおいう事かと納得もする。
だがタイムトラベル的な思念の跳躍を経て、朽ちるネオジオングには「何故?」の文字が貼り付いて離れなかった。
その内、腑に落ちる日が来るといいな。
「でも、それでも!」
このフレーズは暫く耳に残って離れなかったのだけれども、この作品に出会う前から、幾度となくそおいう局面は訪れていて、その時の感情がこの作品を経て言葉になったような感覚だった。
「ガンダム」という王道を迷う事なく直進し、更にはその王道たる所以を証明してみせた作品に思う。アナザーストーリーでもなく、局部的なドラマでもない。
直系の続編にして、まさにガンダムの可能性を押し広げた作品だった。
財団と連邦がコロニーレーザーで全てを無に帰そうと
90分拡大版
ブライトさんが地球に降りて阻止しようとする
ユニコーンとバンシィの一騎打ち
満身創痍のマリーダさんがバンシィの足どめを
「ありがとう」「クシャトリア、出る!」
マリーダさん逝く
なんだ、この声・・・
あなたは私の光、私を産んでくれた光、ありがとうお父さん
ユニコーンのシールド凄いな
ニュータイプとは認識力の拡大
箱とはオリジナル宇宙世紀憲章の石碑
消された条文とは「将来、宇宙に適応した新人類の発生が認められた場合、その者たちを優先的に政府運営に参画させる」
増えすぎた人口を宇宙に捨てた贖罪のために書き加えられた一文
ラプラスプログラムとは真のニュータイプを識別するもの
リディ少尉は箱の中身について最初から知っていた。
1年戦争によってニュータイプの存在がはっきりしてからは、ますます箱を秘匿せざるを得なかった。
フルフロンタルがやってきて囁く
ちょっとやせてますますシャアに。
まこと亡霊か
ついにユニコーン呼んだらやってきたよ
ついに白黒ユニコーン共闘
またアクシズショックと思ったらファーストの再放送も
共に宇宙の果てまでいこうか、バナージ君
虚無
熱、暖かな光・・・この熱が宇宙を暖めるのでしょうbyララァ
君に託す
どうしてこうなるんです!?男の論理を否定し続けてきたあなたが!
グリプス2から出るコロニーレーザーをサイコフィールドで阻止
マリーダさんが助けてくれた
ミネバの演説でエンディング
まとめて評価したので1作目と同じ
富野節とは違う聞きやすい、それでいて深い語りが各インテリキャラから出てきて、ガンダムらしい濃厚なストーリーです。
全体を通じて人の死や恋愛で心情が揺れ動く様子が、けれん見なく表現されてるので、一気見してもしんどさが無いです。
見やすさという点ではアニメーションも優秀です。
1話目の主人公たちをマリーダが追いかけるシーンだけで、この作品は観るに値すると感じました。
あれだけでマリーダの能力、立場、キャラが伝わるんですよね。
特に宇宙移民を「参政権の剥奪」と捉えるのは面白いです。
小説を読んだ人からすると詰め込みすぎだそうですが、ダラダラせずしっかりした話になってるように見えました。
タイトルなし(ネタバレ)
堂々たる完結。
何度見ても泣ける。
マリーダさんが死んじゃったシーンでは悲しくて泣いたけど、後半リディが参戦してバナージとサイコフィールドをはるシーン。
あれは感動した。感動して泣いた。
お守り無くしちゃったけど、ちゃんと思い出せたんだね〜!
お父さんも飛行機思い出してたもんね〜!
お〜わーしゃっしゃっしゃ〜!
ってなった。素敵。
わかるだろうか、この感情の昂りを。
挿入歌も素晴らしく、音響担当の方が主題歌も手掛けているみたいなので作品と主題歌の相性もバッチリ。
小説と違うところも多々ありますが、それはそれでいいと思える作品でした。
バナージは精神面のまっすぐさではガンダム1なのでは?と思います。
完結!
よかった!
最後なので戦闘シーンは多かったですね。
マリーダとジンネマンの関係は素敵ですね。
この二人のシーンはいつもグッとくるものがありました。
たまらんのは、やっぱりアムロ、シャア、ララァでしょう。
全部みおえましたが、この作品は、ここ最近観たアニメの中では作画もストーリーも一番良かったかな。
ワクワクで始まった第一章… 終わってみれば、結局いつもと同じ。 長...
総括の力量が半端ない。
福井晴敏原作、約4年に渡る映像化プロジェクトの最終章。
一年戦争をリアルタイムで見ていた世代にとっても納得がいく出来栄え。
特に過去作品を含め、世界感を総括する手腕は見事、正当な後継作品であると認めざる得ない。
シリーズ集大成
鳥肌、そして涙
他の宇宙世紀作品も見なきゃ
“ガンダム”という思想 ここに完結!
ファーストで初めてガンダムに出会ったのは、5歳だったろうか。あれからウン十年。信じて見続けてきて本当によかった。
人類が宇宙で暮らすことによる革新・ニュータイプの可能性を信じる。きっと幾世代を経ても、私たちには体験のできない生物としての進化が、温かさを伴ったものであってほしいという祈りという物語の結論。
それは現実世界にあっても、今の世の中がフロンタルが言うような「現状を維持するためなら、可能性を葬る」世の中だとしても、いつか人類は次のステップに進める、あるいは進むことを信じようというメッセージだ。
きっと宇宙世紀シリーズを作る上では、何度も紆余曲折を経たことだろう。はじめからこの答えが用意されたものではあるまい。しかし、これしか結論がなかったようにも思える。
サイコフレームというおよそ超科学的な代物や、バナージが真のニュータイプとしていきなり覚醒してしまうことなども、このメッセージを伝えるために必須だったように感じる。
壮大な叙事詩の完結に涙していた、その時、まさかの!!
いやぁー、今後も引き続きお世話になります(笑)
圧巻のクオリティでした。
紛れもない福井晴敏作品、紛れもないガンダム映画。
世代としての宇宙世紀ガンダム作品の完結、ファンとしての福井晴敏原作、それだけで外しが無いんですが、作品としての完成度が高い!これが一番嬉しい。
福井晴敏原作映画は実写は全てダダスベり。もう新作に期待さえ出来ない状態なので、ガンダムUCの快挙はそう言った訳でも大きい。
宇宙世紀ガンダムに取り組むに当たり、ファンが食いつくと考え得るほぼ最高と言えるスタッフ布陣、一年戦争〜シャアの叛乱全てを受けるストーリーと、福井節の説教を語らせるに足るキャラクター。素晴らしい一本です。
最終話を向かえるにあたり、ネオ・ジオングの是非だけが引っかかりましたが、ニュータイプ同士の精神感応によってフロンタルとバナージの二人で時空を超えるという展開と、あの2人を絡めるという落とし所をストーリーに盛り込む為にはシナンジュとユニコーン・バンシィでは役不足だったのかな。ま、許容範囲と思います。
全29件中、1~20件目を表示














